「何見てるんだ?」
「スコール。」


 リノアがカフェオレを飲みながら写真とカードを眺めていると、スコールが後ろから覗き込んできた。今日はスコールの自宅作業日だ。朝からずっと書斎にこもって何やら報告書を書いていたが、どうやらそれもひと段落ついたらしい。
 振り向けばすぐ近くにスコールの顔がある。彼の吐息が少し擽ったいな。リノアはほんのりと笑いながら、スコールに目を向けた。


「お仕事、終わったの?」
「まだあと少し。ちょっと休憩。」
「そっか。何か飲む?コーヒー?」
「ああ、頼む。」


 リノアが椅子から立ち上がると、それと入れ替わりのようにスコールが椅子に腰掛けた。うーん、と背筋を伸ばしてから、ふーと溜息をつく。ついでに、コキリ、と首を回している姿を見て、リノアはスコールも年取ったなあ、とおかしく思った。
 やがてスコールが好きな、濃い目のコーヒーを手にしてダイニングに戻ると、彼は先ほどまでリノアが見ていた写真とカードを見ていた。


「これ、こないだリノアが災害派遣で行った村の人からか?」
「そう。あのとき出産した赤ちゃんと無事退院しましたよーって、わざわざ手紙を魔女管理局に送ってくれたの。」


 リノアが見ていた写真は、若い夫婦が仲良く寄り添って小さな赤子を抱いている写真だった。カードには、「あのとき助けていただきありがとうございました。これから家族3人、寄り添って力をあわせて生きていきます。」と書いてある。そっとリノアがコーヒーをスコールに差し出した。代わりにリノアに、写真とカードを返すと、受け取ったリノアは、とても愛おしいもののようにそっと指で撫でた。


「この奥さん、大変だったの。土石流のせいで、まだ産み月には早かったのに産気づいちゃって。近隣の病院施設は皆負傷者の手当てで精一杯で、安全に出産できる場所もなくてね。でも何とか首都の病院に受け入れてもらえることになって、わたしがそこまでテレポで送り届けたんだ。ヘリも救助隊も、間に合いそうになかったから。」
「・・・・・・その奥さん、よくそれを承知したな?俺たちみたいな訓練された人間ならいざ知らず、普通の一般の人間に魔法がかける負荷は結構キツイものがあるし。それに何より、こないだの災害ってガルバディアでだったろ?」
「うん。ガルバディアは、デリング大統領の政策の影響や、魔女大戦の影響で魔女嫌いの人が多いものね。でも、この奥さんはわたしを信じて、そして頑張ってくれたの。絶対、赤ちゃんや貴女の身体にはリスクかけないから、わたしを信じてって言ったら、お願いしますって頷いてくれたの。」
「そうか。」
「・・・・・・嬉しかったぁ。」
「そうだな。」


 ほんわり、と夢を見ているかのように笑ってリノアはそう嘆息した。スコールも穏やかに頷いた。
 リノアが魔女の仕事として行っている災害救助は、大体地元の軍や消防隊などが手に負えないものを扱うことが多い。そこは、絶望と死と不安と悲嘆に満ちている、究極の現場だ。迫り来る死の恐怖、それに怯える人々は、感情がむき出しになっていることが多い。もちろん、魔女に対する偏見や恐怖を抱いている人間も世界には結構いて、そういう人間を助けに行く場合はさらにいっそう困難を極めていた。
 救助されることに感謝する人間はもちろんたくさんいる。しかし、自分たちではどうにもならない自然の猛威に対する怒り、それをそのまま魔女リノアにぶつける人間もいる。様々な人間がいる世界から帰って来る反応は一つである訳はなかった。それは当然のことだと理解はしていても、やはりそれに直面すれば精神は削り取られていく。仕事から帰って来るとき、リノアはいつだって疲弊していた。
 今回の災害は、ガルバディア中部の豪雨による土砂災害だった。山が一つ崩れたほどの大規模な土石流は、もう人間の手ではなすすべがない。それでもその地方の首長の要請がなければ、魔女が救助に入ることは出来ない。今回はガルバディアの地方村であったことも災いして、魔女管理局への要請が大幅に遅れた。だから、リノアが駆けつけたときには、もうかなり手遅れだったとスコールも聞いている。


 たくさんの人が、死んでしまったの。
 わたし、助けられなかった。


 帰ってきたリノアは、そう言って泣いた。リノアのせいじゃない、そんな陳腐な慰めの言葉はかけられず、スコールはただ泣くリノアを抱き締めることしか出来なかった。それはつい先日のこと。
 あのときの痛みはまだまだ胸に在るのだろうが、今目の前のリノアは穏やかな表情を浮かべている。そう在ることが出来ていた。それは、この温かい写真とカードのおかげなのか。


「こういうのもらうと、この仕事やってて良かったなって思うんだ。魔女でよかったって。」
「うん。」
「普段、辛いことも悲しいことももちろん多いし、魔女だなんて言ったってあまり出来ることもないな、って思うことばかりなんだけど。でもこうやって、有難うって言ってもらったりとか、助かった命を見るとね。わたし、助けられて良かった、助けてあげられる力があって良かったって思うんだ。」


 リノアは、カフェオレを飲みながら、そう嬉しそうに頬を染めて言った。外見が17歳のままの彼女は、そうしていると本当に出会ったばかりの頃のままだ。きらきらと輝く瞳、ほんのり桃色に染められた頬、それらは全て少女としか言いようがない若々しさに満ちている。
 しかし、彼女の口から零れる言葉たちは、出会った頃の彼女が紡ぐはずはない内容ばかりで。その内容だけが、先走りをして遠い未来から伝えられているような、妙な違和感を醸し出す。魔女は生き物の営みの流れから外れてしまう生き物だ、と昔シドから教わった言葉はこういう意味だったのかも知れない。そうスコールは感じた。


「可愛いね、赤ちゃん。」
「そうだな。とても小さい。」
「うん。スコールも、こうだったのかな?」
「そうだろうな、多分。」


 リノアは愛おしくて堪らない、という感情を隠さずに、写真を眺めながらそう言った。自分が赤子の頃のことなんて覚えているはずはないけれど、まあ一般的に赤子は小さいものだ。そう思ってスコールはリノアの質問に同意した。
 スコールの答えの曖昧さに、リノアも気づいたらしい。くすくす、とおかしそうに笑った。


「きっと、スコールもこんな風に小さくて可愛かったよ、絶対。」


 肯定するのも否定するのも何だか違う気がして、スコールはリノアの言葉に返事をせず、ただコーヒーを飲んだ。じわり、と芳香がスコール自身を柔らかく包んでいる気がする。ただ2人、何もすることはなしに、コーヒーを飲んでぽつりぽつりと心に映る由無し事を話しているだけ。だが、その時間は酷く大事でいとおしい。
 やがて、リノアはぽつり、と言葉を漏らした。


「わたしも欲しいな、赤ちゃん。」
「リノア。」


 こそりと、まるで溜息のように漏らされた言葉にはっとして、スコールはリノアを見た。リノアは俯いてカフェオレの入ったカップを見つめていたが、すぐにスコールの視線に気がついた。そして慌てたように手を振った。


「ただの、希望だよ。願望。スコールに似た子どもがいたらいいなあって、ふと思ったの。それだけ。」
「・・・・・・。」


 リノアは、笑っている。スコールは、ただそれを言葉もなしに見つめた。


 リノアは、魔女だ。
 魔女だから、その膨大な魔力を身の内に維持するために、年を取ることがない。いつまでも17歳のままだ。そして妊娠出産は、どれほど科学や医学が進化したとしても、未だに女性にとっては命に関わる大仕事だ。それ故に、魔女は生殖能力を持たない。魔女である限り、子どもを持つことはない。
 どれほど望んでも。何でも叶えられそうな大いなる力を持っているにもかかわらず、いや、大いなる力を身の内に抱いているからこそ、その願いは叶うことはない。
 ーーーーーだけど。


「夢見るのは、自由だよね。」


 リノアが、またぽつりと言葉を漏らした。そして、じっと見つめるスコールを見つめ返して、さらに深い笑みを溢れ出させた。
 その表情は、微塵も暗さや痛みを感じさせないものだった。どれほどどうにもならない現実に囲まれていても、諦めてはいないと、そう物語っているような。だから、スコールも静かに微笑んで、そして大きく手を広げるしかない。
 果たして、リノアは。両手で抱え込むように持っていたマグカップをテーブルに置いて、そっとスコールに近づいて彼の膝の上に腰掛けた。そのまま、ぴたり、と頬をスコールの胸に摺り寄せた。まるで子猫のように。


「つらいか?」


 そっとスコールが尋ねた。リノアはううん、と首を振った。そういう答えが返って来るだろう、そう確信して尋ねたのだけど、それでもリノアから確かに否定の意思が返って来た事に、スコールは少しばかりほっとした。


「つらいことは全然ないし。普段スコールと2人の生活を送ってて、本当に幸せだし。仕事は忙しいけど、それでも家でスコールが待っていてくれるっていうことが、すごく嬉しいし。わたしの帰る場所、ちゃんとあるんだなあって安心してる。
 セルフィや、キスティスや、ゼルや、親しい友達たちに次々子どもが生まれて、どんどん家族が増えていって。新しい命が紡がれていくのを見て、嬉しいな幸せだなって思うの。羨ましいって妬んだり、どうしてわたしにはダメなのと落胆したり、そういう感情はないの。子どもがいなくて寂しいとも、全然思わない。」
「うん。」
「だけどね、何かの拍子に、ふと思うこともあるの。子ども欲しいなあって。スコールに似た子どもがいたらどんなに可愛いだろうって。会いたいな、って。そうふと思うときもあるんだ。」
「そうか。」
「おかしいかしら。奇麗事かしら。でも、ホントなの。」
「うん。」


 自分が叶えられない願いを誰かが叶えていたとして、それを恨み妬まずにいられない人間もいるだろう。しかし、自分が叶えられない願いを叶えていく誰かの幸せを願い、喜べること、それが齎す温かな気持ちはやはり幸せという言葉以外では表せない。まるで奇跡だ。ともすればマイナスな思考に沈んでいきそうな現状で、温かなやさしい気持ちを持てるということは、そう在れることは、奇跡的な幸福だとしか言いようがない。
 リノアは、いつだって世界を素晴らしいものだと思い、そう確信している。自分が素晴らしいものに囲まれていると知っている。だから他者に、惜しみなくやさしさを降らすことが出来る。そんな彼女の目から見た世界は、きっと優しく光り輝いているに違いない。思考の闇が忍び入ったとしてもあっという間に消し飛んでしまうくらい、光に満ち溢れているのだろう。
 そう。
 世界は、自分の在り様でいくらでも輝くし、いくらでもくすんでいく。
 その鮮やかな変化を、スコールは確かに知っている。彼女と出会った17歳のときに、初めて知った。


「リノア、知っているか?」
「何?」
「願いは、叶えようとすれば絶対叶うんだ。到底無理だとそう思えるようなものでも、叶える気があるなら叶える事が出来る。」
「うん。」
「だから、リノアの願いも叶う。リノアが諦めなければ。俺たちが、諦めなければ、絶対に。」
「そうね。」


 スコールの言葉に、リノアは甘く微笑んだ。
 願いは叶う。それは人嫌いだった頃から変わらない、スコールの信念の一つだ。何も手に入れなくてもいい、そう思っていた頃でさえ、願いは叶うと信じて止まなかった。
 いつか、子どもを持つこと。それは魔女と魔女の騎士である自分たちからしたら、途方もない夢だ。今まであまたの魔女と魔女の騎士たちが望み、希い、叶えられなかった夢。いつか叶えられる日なんて来ない、そう言い切られてしまっても可笑しくないほどの。
 それでも、諦めてしまったら、そこで終わりなのだ。いつでもいい、いつか絶対叶う。そう願い、その道を叶えようとする日々は、きっと暗闇の中で光る一つの星となるだろう。絶望の淵を辿りつつ、絶望へとは落ち込まないでいられる、道しるべとなる。


 スコールはリノアの手をとった。そっと指を絡めて握り締める。この小さな手は、出会った頃から全く変わっていない。このちいさき掌で、リノアは新しい世界の扉を開けた。それは、自分だけではなく、仲間たちに、そして世界の人々に、初めて知る世界を見せた。
 桜色をしているリノアの指先にそっと唇をつけてみた。それは柔らかくて酷く甘かった。
 リノアが擽ったそうに身を捩る。幸せそうに笑いながら。その光景は、例えようもないほどいとおしいと、スコールはそう思った。



End.



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