1.微笑ましい行為
(跡部夢・Kanon設定)


「今度ね、今度の土曜日って、景吾暇かなあ?」
「何だ、何かやりたいことでもあんのか?」


 弁当を食べながら、そっと尋ねる奏に、俺は何だ?と首をかしげた。
 奏は基本、あんまり頼みごとをしないほうだと思う。どこそこへ連れて行けとか、何かが欲しいとか、そういうことを言われたことがあんまりなかった。何か買ってやる、と言うと驚いた顔をして、じゃあこれ、と選ぶのはちいさなチョコレートだったり、飴玉だったりそんな他愛のないもので。それは俺にとって好ましい反面、物足りねぇよなあとも思う。
 もし、奏が望むなら。俺は何だってしてやるのに。何だって買ってやるし、どこだって連れてってやるのに。
 それでも、彼女はきっと、そんなことをしない。何か欲しいものがあっても、自分で取りに行こうとするだろう。自分でどこまでも飛び立っていくだろう。そんな自由な奏のことが、俺は好きなのだから。


「あのね、今度の土曜日の夜に、コンサートがあるの。サントリーホールでね。イタリアのときの知り合いが出るから、招待状送ってくれたのね。だから、一緒に行かないかなあって思って。
 でも、土曜は部活あるんだっけ?」


 つくねをひとつ頬張って、きっと奏の好物なのだろう、おいしそうににっこり笑ってから、奏はそのまま俺に問いかけた。相変わらず、ふんわりとした微笑だった。今は冬だけども、校庭の端にあるこの広場は日当たりがよく、ほんのりと暖かだ。緑の中を、控えめな陽光が降り注ぎ、控えめな暖かさを感じる。彼女の微笑みも、同じようにほんのりと暖かだった。


「部活はあるけど、別に15時くらいまでで終わるぜ。夜のコンサートってことは、19時始まりだろ?十分間に合う。」
「うん、そう。19時スタート。一緒、行ける?」
「ああ、いいぜ。」
「ホント!?嬉しいなあ。」


 俺が奏の頼みを断るわけなんてないのに。無邪気に喜ぶ奏の姿がなんだかおかしくて、俺もうっかり笑ってしまった。
 付き合っても、付き合う前と彼女はあまり変わらない。いつだって、新鮮で初々しい反応を返す。まるで、俺という存在に馴れることはない、と言うように。いつだって、出会ったばかりの頃のように素直に正直な思いを俺に預ける。
 ああ、だから。
 だから俺は、いつだって彼女の魔法にかかってしまうのだ。


「待ち合わせは、サントリーホール前でいいか。あの、カラヤン広場の横の噴水?みたいなとこ。」
「あ、ホール入り口の前にある、お花とか咲いてるとこね?」
「そ。
 お前、めかして来いよ。俺楽しみにしてるからな。」
「景吾こそ、タイしてくるんでしょ?」
「タキシードは着ねぇけどな。日本じゃ、あんまりそういうカッコでコンサート聞かねぇし。」


 そういや、盛装で会うのって初めてかもしれない。普段着や制服は飽きるほど見てるけど、きちんとした格好の奏を見るのは初めてだ。
 少し、いやマジで楽しみかも。
 そう思って、俺はほくそえむ。男なんてそんなもんだろ?好きな女のめかした格好見て、喜ばない奴なんていない。ま、本音を言えば、めかした格好を脱がすのが楽しみ、だったりするんだが。それはまた追々、ということで。


 昔は、付き合うイコールカラダの関係、ってのが当たり前だったけど。彼女とは明日別れてしまうような、そんな刹那の関係じゃない。今日も明日も、その先にある未来までずっと一緒に歩いていけたらいい。いや、一緒に歩いていってやる、離したりなんかしない。そう思っている。
 だから、俺は焦らない。
 時間はたっぷりあるんだ。ゆっくり、彼女のペースにあわせて、先に進んでいけばいい。彼女はそこにいる。俺から逃げないことを、もう知っているから。


「じゃ、約束、な。」


 俺が、ぴんと立てて差し出した小指を見て、奏は少し目を見開いて。それから、うれしそうに笑ってそっと小指を絡めてきた。


「指きり、ね。」
「そ。指きりげんまん、嘘ついたら針千本のーます。」


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だから今は、子どもみたいな触れ合いだけでもいい