5.Fleur Cherie
(テニス・手塚夢)


「何、コレ。」
「何、じゃないわよ。あんたも高校生になったんだから、1つくらいこういうおしゃれグッズ持ってたっていいんじゃないの?」


 いきなり姉ちゃんからぽん、と香水瓶を渡されて、あたしは思いっきり顔を顰めた。あたしには、6つ上の姉がいる。今は花の女子大生ってやつで、メイクもお手入れもばっちりだ。あたしも大人になったらああなるのかな。多分ならないな、そう思う。
 あたし、お化粧なんて興味ないし。今興味あるのって、プロ野球でどこのチームが優勝するかなとか今度の草野球のためにバッティングセンター行かなきゃとか、そんなこと。化粧とかおしゃれなんて、微塵も入る隙間無い。


「要らないよ〜。あたし、こういうのつけないもん。学校だって禁止だし。」
「学校以外でつければいいじゃない。」
「姉ちゃん、高校生は学校にいる時間がほとんどだよ。大学生とは違うの。」
「でも、持っておきなさいよ。腐るもんじゃないし、いつか必要になるから!」


 あたしがうんざりと手を振るのにも構わず、姉ちゃんはやたらと強気に瓶を押し付ける。その瓶はうっすらピンク色してて、可愛らしい小花の透かし彫りが入っているものだった。またえらくロマンティックなやつだなあ。もっとシーブリーズみたいなやつだったら、まだ使い道があったかもしれないのに。こんな如何にも乙女な香水、多分あたしの生活に出番はない。
 ーーーーーまあでも、この瓶見たら多分安くはないものなんだろうなとわかったから。一応、あたしにって姉ちゃんがわざわざ買ってきてくれたんだろうし。
 そのまんま姉ちゃんに突き返すのも気が引けて、あたしは自分の机の上にその瓶を置いた。窓からはいる日差しに、キラキラ輝いている。綺麗なものは嫌いじゃない。だから観賞用にでもすればいいか。そんな風にも思った。


「じゃ、あたしこれから用あるから。ありがとね、姉ちゃん。」
「どこ行くの?」
「隣町のスポーツセンター。」
「また?」


 あたしがよいせっと部屋の端にあるスポーツバッグを持って姉ちゃんにそう言うと、姉ちゃんはうへえという顔をした。姉ちゃんは頭に手をやって、またはーと深い溜息をついた。


「何よ、悪い?」
「悪いわよ!あんたね、一応女子高生なのよ!何、その色気のない行き場所。そろそろ卒業したらどうよ?また酒屋のおじさんたちと行くの?」
「今日は違うもんねーだ。」
「誰よ?」
「手塚。」
「手塚?手塚って・・・、手塚国光くん?たまに遊びに来る?」
「そう。一緒にテニスしようかなーと思って。」
「・・・・・・やだ!」


 最初呆れ顔であたしの話を聞いていた姉ちゃんは、一緒に行くのが手塚だと知ったとたん、目をキラキラさせ始めた。何でそんな顔すんのよ。心なしか頬まで紅潮している。あたしは姉ちゃんの勢いに、ちょっとだけたじろいだ。


「やだ、あんたそういうことは早く言いなさいよ!」
「・・・・・・姉ちゃんが聞かなかったくせに・・・・・・。」
「手塚くんとお出かけなら、早速これの出番じゃないの!」
「へ?」


 姉ちゃんの言葉に首をかしげたあたしは、次の瞬間ぎゃっと声をあげた。姉ちゃんが机の上に置いておいた香水をあたしに振りかけたからだ。何か、自分のまわり全部花で埋め尽くされたみたい。嫌な香りじゃないし、むしろいい香りなんだけど、でも普段香りものをつけないあたしからしたら、それは強烈すぎる。思わずむせてしまった。


「姉ちゃん、いきなり何すんのよ!」
「手塚くんに会うなら、これくらいはおしゃれしないとね〜。汗まみれになっても臭くならないわよ、多分。良かったわね。」
「良くないよ!あたしが酔いそう、花の匂いに。どうやったら落とせるの!?」
「すぐに慣れるわよ〜。そろそろ行かなきゃいけない時間じゃないの?」


 姉ちゃんの言葉に、あたしは時計を見上げた。もう出ないと待ち合わせには間に合いそうにない。ああもう、シャワーでも浴びてこの香り落として行きたかったけど、そんな時間全然ない。あたしは舌打ちしながら慌てて部屋を飛び出した。後ろから姉ちゃんの、「デート楽しんできてね〜」とか言う呑気な声がする。 デートじゃないよ!そう言い返しながらあたしは家を飛び出した。


***


 あたしが待ち合わせ場所に着くと、そこにはもう手塚がいた。


「ごめん、待たせたね。」
「いや、俺の方が早く着きすぎてた。」


 あたしが走って手塚のところに行き、そう声をかけると。手塚は何でもないように言葉を返して、それから、ん?という顔をした。


「どうかした?」
「斎藤、今秋だよな?」
「そうだね。」
「何か、すごい花の匂いがするんだが。」
「あ、それあたしのせいだ・・・・・・。」
「斎藤の?」


 くん、と鼻を蠢かして手塚は不思議そうにあたしに問いかける。あたしは心持ち小さくなりながら、答えを明かす。そうだよね、あたし自身、自分が噎せ返るみたいに花の香りに満ちてるんだもん。周りだって結構匂ってくるだろう。
 手塚はあたしの答えに、少しだけ小首を傾げて。それからあたしの傍に半歩近寄り、くん、と再度鼻を蠢かした。


「本当だ。香水か何か?」
「そう。出がけに姉ちゃんにつけられた。もう高校生なんだから、こういうのつけないとって。余計なお世話だよね。」
「ふうん。」


 あたしが口を尖らせながら言う文句に、手塚はふむふむ、と頷きながら聞いていた。あたしは手塚にひとつ提案する。


「スポーツセンター行ったら、あたしシャワー浴びるよ。匂い気になるでしょ?」
「別にいいぞ。」
「でしょ、やっぱり匂いって集中力乱す・・・・・・ってあれ?気にならないの?」


 手塚から予想外の言葉が返ってきた。てっきりあたし、「その匂い落としてくれ」って言われると思って、そのつもりでいたんだけど。手塚的には問題ないらしい。何で?
 不思議そうな顔をして見上げるあたしに気づいて、手塚はほんのりと笑った。


「気になるかならないか、で言えば気になる。けれど、落とさないでいい。そのままで構わない。」
「へ・・・・・・。良く分かんないんだけど。」
「そのままで大丈夫だ。ほら、行くぞ。」
「そうなの・・・・・・?」


 手塚が言う言葉は相変わらずよく分からなかった。だけど、この香りを嫌がってる訳じゃないっていうのだけは分かったので、あたしはよく分からないながらも頷いた。行くぞ、と言って歩みだした手塚に追いつくように、とととっと小走りに歩く。手塚の横に並ぶと、あたしに気づいた彼はあたしの歩みに歩調を合わせてくれた。あたしがありがと、と声をかけると、ほんの少しだけ頬を緩めて、どういたしましてという律儀な挨拶が返ってきた。


「あ、そうだ、斎藤。」
「何?」
「その香水、これからもつけるのか?お姉さんがくれたものなんだろ。」
「つけないよー。学校なんかはもちろん駄目だし、普段の生活でも用はないしね。」
「なるほど。それは惜しい。」
「え?手塚こういうの好きなの?」
「多少はな。」


 意外だ。手塚はこういうの嫌いだと思ってた。あたしが目をまんまるにしていると、手塚はおかしそうに笑って。それから小さく低い声で囁いた。


「俺は嫌いじゃない。だから、つけてきてくれて構わないぞ。」
「・・・・・・はあ。」
「それ、俺以外の相手と会うときは、どうせつけないんだろ。」
「・・・・・・うん、多分。めんどくさいし。
 手塚がこの香り好きだって言うなら、それならつけてくるけど。全然使わないのももったいないしね。」
「そうしてくれ。」


 手塚はまたそう言って満足そうに頷いた。あたしはやっぱり良く分からなかったけれど、でも手塚が満足そうならそれでもいいか、と思った。


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真面目タラシ