ぽん、ぽん、と。
 空に無数の火花が上がり、大輪の華を咲かせている。あたりは、まるで昼間のように一瞬輝き、そしてまたすぐに紫がかった空へと戻った。



***花火と君とお邪魔虫



「綺麗・・・・・・。」


 あたりをまばゆく染めては散っていく花火に、リノアは思わず感嘆の溜息をついた。そんなリノアの姿に、ドールのアリーテシア公女はにっこりと笑った。


「気に入ったようじゃな、リノア。どうじゃ、ドールの花火はとても美しいじゃろう?」
「ええ。とても綺麗です。花火は見たことありますが、ここまで繊細に美しいものは初めて見ました。」
「・・・・・・だから。いつも言っているが、私に敬語は止めるようにと申したであろう?私はそんな風に他人行儀に話されたくないのだ。」
「・・・・・・え、と。」


 リノアの返答の仕方が気に入らなかったらしい目の前のアリーテシア公女は、バラ色の頬をぷうっと膨らませて文句を言った。でも、彼女はこの世界で最も長い歴史を誇るドール大公国の皇族であり、しかも第一位公位継承者なのだ。アリーテシア公女はいつも、リノアに敬語は止めるように、と言うが、そんな訳には行かない、と思う。わたしは魔女だけど、貴族の出とかそういうわけじゃないし、ただの平民だし、姫様にそんな風に馴れ馴れしい口を利くのはどうかと思うのだけど。でも、目の前でキラキラした緑の瞳でまっすぐわたしを見上げるお姫様の期待を裏切るのも忍びないし。
 どうしよう。おろおろ、と困っていると、隣からくすくすと笑う声と静かに朗々と響く声がした。


「そうですね、あまりに公式の場でアリーテに敬語を使わないというのは困りますが、でもこのように私的な場ならば構わないと思いますよ。是非、アリーテの願いを叶えてやってはいただけないか、魔女殿?」
「・・・・・・ドール大公陛下。」
「この子は一人っ子だし、同じ年代くらいの子どもも周りにはいないし。アルスを除いて、貴女たちくらいの若い子と触れ合うことすらないですから。きっと、アリーテは貴女のことを姉のように慕っているのでしょう。その小さい願いくらいは、聞いてやってください。」


 ドール大公がウィンクして、そうリノアに微笑んだ。ドールの元首である大公にまでそう言われてしまっては、アリーテシア公女の望むようにしないわけにはいかない。親1人、子1人だからだろうか。ドール大公はいつもアリーテシア公女に甘かった。だからこそ、アリーテシアはたった一人の公位継承者であるという重圧の中でも、それに負けることなくキラキラとした王者の光を放っていられるのかもしれなかった。
 そんなアリーテシア公女は。父大公が言った言葉が少し気に食わないようで、豪奢な金髪をふるふる、と震わせて父大公に文句を言った。


「父上!私はリノアのことを姉のように思っている訳ではありません!リノアはリノアです。私はリノアのことが好きなのです。それだけです。
 断じて、姉として思い描いているなどということはありません。」
「はいはい。アリーテは魔女殿のことが好きなのだな。」
「そうです。」


 神妙そうにアリーテシア公女の文句を聞いているドール大公は、それでもやはり笑いを噛み殺してリノアを見た。リノアは、何て言ったらいいのか分からず、少しだけ苦笑した。
 どうしてだろう。アリーテシア公女はリノアのことが大好きだ。どこが気に入られたのかさっぱり分からないが、三度目に会ったときにはっきりと好きだと言われた。今まで、そんな風に面と向かって「好きだ」と言われたことなんてほとんどないから、最初すごく驚いたのを覚えている。ただ驚くばかりで、頭が真っ白になって。口をぽかんと開けてまじまじとアリーテシア公女のことを見ていることしか出来なかった。ああ、そのときも怒られたんだった。自分の告白に、驚くだけとはどういうことだ。そう言って足を踏み鳴らしてアリーテシア公女は怒った。
 小さな可愛らしい女の子である公女の、真っ直ぐな気性と正直な性格はリノアにとっても好ましい。あれだけ好き放題に物を言うのに、公女は誰からも嫌われることがなかった。それは、アリーテシア公女の持つカリスマ性のせいなのだろう。まだ幼女といってもいいくらいの幼さなのに、目の前の姫君は確かに偉大な元首の卵だった。


 また、ぽんぽん、と花火が夜空に花咲く。今リノアたちがいる場所は、ドール王宮のベランダだ。高台に立っているため、ここからは遠く海まで良く見渡せる。夜空いっぱいに広がる花火も、何にも邪魔されず楽しむことが出来た。
 しゃらしゃら、とまるで音を立てるかのようにたくさんの火花が空中で渦巻いては消えていく。わあ、という歓声がアリーテシア公女からも上がった。本当に綺麗だ。花火はドールが発祥だという。さすが長い歴史があるだけあって複雑な仕掛けなども存分に凝らしてあり、見飽きることはなかった。


 でも。
 やっぱり、こんな風に綺麗なものや楽しいものを見たとき、ふと思うの。


 リノアは、そっと自分の隣の席を見る。アリーテシア公女が座る反対側、そこは椅子だけが鎮座していた。それに座るはずの人物はそこにおらず、椅子はただ空席のまま。リノアはアリーテシア公女に気づかれぬよう、そっと小さな溜息をついた。


 このドールの花火大会のお誘いをドール王宮から受けたとき。リノアだけではなく、一応申し訳なさ程度にスコールにも招待が来ていた。しかしその日は、元々スコールはガルバディアガーデンで会議があった。じゃあ無理かな。そう言ってちょっとだけ、いやだいぶ残念そうにしたリノアに、スコールは目を瞠って。それから、夜までは掛からないと思うから、後から行く。そう言ってくれた。
 でも、分かってるのだった、リノアにも。それは、多分に希望的観測であって、現実には叶わない可能性の方が高いってことも。本当に夜まで掛からないのなら、スコールは「夜までは掛からないと思う。」なんて不確かな言い方はしない。「夜には帰る」と言う。そうは言わなかった、ということは、つまりそういうことなのだ。
 最近、スコールもリノアもお互いの用事とスケジュールが微妙に噛み合わなくて、あまり一緒にいられなかった。だから今回の花火大会も、多分駄目だろうなとは思いつつ、それでも一緒に行けたらいいなとすごく思って。一緒にドールに行けること、それをいつも以上に期待してしまったのだ。そんなリノアの気持ちに気づいて、多分スコールは後から行く、と言ってくれたのだろう。それは彼の優しさだった。


 まだまだだなあ、わたし。
 また、スコールに気を使わせちゃった。
 多分会議に出席したらすっごく疲れるよね。すぐ自分の部屋に帰って寝たいよね。明日だって予定はあるんだろうし。その準備とかだってあるだろうし。
 それに、会議なんて延びることの方が多い。たいてい予定通りになんて終わらないし、その後も初めて会う人間に紹介されたりとか今後の打ち合わせとか、様々なことがスコールを待ち受けていて、予定通りに返してくれることなんてほとんどない。だから、ここにいないのも、当たり前のことなのだ。


 でも、我侭だと思いつつ、リノアはやっぱり思ってしまうのだった。
 せっかく、こんな綺麗なものなんだもの。わたしだけじゃなくて、スコールにも見せてあげたかった。一緒に見て、それから綺麗だねって言いあいたかった。ずっと後になっても、あのとき見た花火綺麗だったねって、そう話したりしたい。2人の思い出、それをたくさん欲しい。
 ーーーーーいやだ、わたしってば。我侭な上に、欲張りだ。
 そう思って、ふるふる、とリノアは首を振った。アリーテシア公女がどうかしたか?とリノアを不思議そうに見る。そんなアリーテシア公女のつぶらな瞳に、何でもないのとにっこり笑った。


 そのとき。


 肩にぽん、と大きな掌が乗った感触がした。目の前のアリーテシア公女はあっと不機嫌そうに眉を顰めた。 そっとリノアが振り向くと、暗い中でも特徴的な蒼い瞳の人が、少しだけ息を切らして隣の椅子に腰掛ける。彼が座った瞬間に、落ち着いた静かな香りがふわりと漂った。SeeD服のまま駆けつけてくれた彼、そしてリノアをとりまく香り。それらにたまらなく胸がきゅうんとして、リノアは少しだけ身を縮こまらせた。


「・・・・・・悪い、遅くなった。」
「ううん。来てくれて有難う。まだ、花火はやってるよ。間に合ってよかった。」


 ふわり、とまるで小さな花が綻ぶかのようにリノアは笑った。アリーテシア公女が気に入らなさそうに、顔を出して「別に来なくても良かったのだぞ」と憎まれ口を叩いた。そんなアリーテシア公女にスコールは一礼だけして、ドール大公にも挨拶をした。


「このたびはご招待頂き、誠に有難うございました、ドール大公陛下。
 せっかくのお誘いでしたのに、途中よりの参内になり大変申し訳ございません。」
「何、構いませんよ。君が忙しいということは百も承知、まあ運が良ければ来ていただけるかなとか、そう思っただけだったからね。」
「お心遣い、痛み入ります。」


 そうスコールは言うと、深々と礼をした。そして、苦虫を噛み潰したような顔をしているアリーテシア公女にも、礼を言った。


「アリーテシア公女殿下におかれましても、ご招待いただき誠に有難うございました。」
「・・・・・・別に、私はそなたに来て欲しかったわけではない。リノアに花火を見せたかっただけじゃ。だが、そなたも呼ばねば、おそらくリノアは来てくれぬだろうとアルスが申すのでな。」
「なるほど。だから、あの招待状の文面だったのですね。」
「・・・・・・やかましい。そなたがいると、私がリノアと遊べなくなるのじゃ。誘ってもらえただけ有難いと思え。」
「了解いたしました。」


 面白くなさそうにそう言うアリーテシア公女に、スコールもまた無機質に返事を返した。やっぱりこの2人って、あんまり仲が良くないのかしら。リノアは少し心配しながらも、それでもこの綺麗な花火をスコールと一緒に見れることが嬉しくて、また夜空を見上げた。


***


「ごめんね、ここに来るの、やっぱり結構無理した?」
「別にそうでもない。何で?」
「だって、SeeD服のままだったから。SeeD服、あんまり好きじゃないって前言ってたのに、そのままで来たってことは、やっぱり結構時間なかったのかなあ、って思って。」


 花火はあの後まもなく終わった。そして、ドール大公の勧めるまま、今夜はドール王宮に泊まることになった。今2人がいるのは、王宮の客間である、蒼の間。豪奢な調度品に囲まれ、さらに美しいレースの天蓋が下がる2対のベッドを見て、リノアは瞳を輝かせていたが。スコールがソファに座るのを見て、思い出したようにしゅんとした。そんなリノアに、スコールは少し不思議そうな顔をして、小首をかしげた。リノアはもじもじ、と指を組んだり解いたりしながら、ぽつりぽつりとスコールに話す。そんな姿はまるで子リスか子うさぎのようで、スコールは思わずぷっと噴出した。


「何で笑うの〜!?」
「いや、何かまた色んなこと考えてぐるぐるしてるなと思って。それ、俺の専売特許だったはずなのに、お前も最近うつってないか?」
「え・・・・・・そう?わたし、そんなにぐるぐる変なことばっかり考えちゃってる?」
「ああ。
 SeeD服着替えてこなかったのはただ単に面倒くさかっただけだし、それにここに来るのに無理はしてない。最初からいるとかだったら、まあ無理だけど。とりあえず最後の方に間に合った程度だ。たいしたことはしていない。」
「・・・・・・。でも、お仕事、本当に大丈夫だったの?ここの花火、結構早い時間に終わる予定だったし。無理したりとかしてない、よね?」
「当たり前だ。大体、この俺が仕事を途中で放ってくる訳無いだろう。だから、リノアが心配することなんか何もない。きっちり仕事は終わって、ギリギリだけど花火にも間に合った。それじゃ駄目か?」
「ーーーーー駄目じゃない。」


 くすり、と悪戯っぽく瞳を細めて、スコールはソファに座りながらリノアを見上げた。そんなスコールの表情に、リノアは少しだけ顔を赤くして。それから嬉しそうに大輪の笑顔になって、スコールに飛びついた。
 あまりに勢いが強かったから、スコールもリノアを受け止めきれない。思わず後ろ向きに倒れそうになるのを堪えて、そのまま何とか抱きとめた。リノアはすりすり、とスコールの胸に頬を摺り寄せて、それから深呼吸した。自分の中、胸の中いっぱいにスコールの香りが広がる。さっき隣に座ったときに感じた微かなものじゃなくて、しっかりとそこにある香り。本当にスコールがここにいるんだ。そう思って、リノアは嬉しくて堪らなかった。うっとりと瞳を閉じて、彼の背中を撫でた。


「あのね、有難う。」
「何が?」
「もしかして無理かなあと思ってても、でもやっぱり、わたし花火をスコールと一緒に見たかった。とっても綺麗だったから、一緒に見て綺麗だったねって言い合いたかったの。」
「・・・・・・最後の三発くらいしか、間に合わなかったけどな。」
「ううん。少しだけだとしても、それでも一緒に見られて良かった。わたし、すっごく嬉しい。」


 そこまで言うと、リノアはそっと両手でスコールの頤を捉えて、顔を上向かせた。自分をじっと見つめる、澄んだ蒼い瞳。吸い込まれそうに綺麗に輝くそれには、嬉しそうに笑う自分の姿が映っている。それはしあわせの光景だ、とリノアは思った。わたしがここにいて、貴方がそこにいる。だからこそ見ることの出来る景色。
 またきゅっとスコールの首元に抱きつくと、スコールもしっかりとリノアを抱きなおしてくれた。


「俺も、リノアに会いたかったから。だから、俺も嬉しい。」


 リノアを抱き締めながら、表情が見られない位置でスコールがそっと呟くように言葉を零れ落とす。彼がどんな表情をしているのか、リノアはそれに興味がないわけではなかった。だけど、今は知らなくても良い、そう思う。あんなに言葉がつたなくて、自分の思いを表現することを知らなかった人が、たどたどしくも自分に伝えてくれた言葉。それはとても綺麗で壊れやすくて、大切にしないとすぐに消えてしまうものだというのが分かっているから。


 あなたがくれた小さな言葉を、わたしが大事にして。わたしが言った何気ない言葉をあなたが大事にしてくれたら。そしたらきっと、もっとしあわせな世界が広がるわ。


 スコールがリノアの髪の毛をくるくる、と指で弄って、それから優しく引っ張った。もうこっち向いたらどうだ?という無言の合図。リノアはそれに答えて、そっとスコールの首元から顔を起こして、正面からスコールを見つめた。彼の大きな掌が、そっと自分の頬を撫でる。それに誘われるように瞳を閉じると、静かにスコールの唇が落ちてきた。
最初は優しく、啄むように。そのうち段々と深く熱くなっていって、絡み合った舌と濡れた音が静かな空間に響き渡って。リノアはクラクラしながら、たまらずに吐息を漏らした。


「・・・・・・ん・・・・・・。」
「・・・・・・リノア。」
「・・・・・・うん。」


 顔をあわせた、とかじゃなくてちゃんと会うのは久しぶりで。だから、キスだって抱っこだって久しぶりで。だからこそ、はしたないかもしれないけどわたし、ずっとそうしたかったんだって分かった。やっとスコールに触れて、わたしは充足する。ああ、ちゃんとわたしは貴方はここに帰ってきた。そう思って安心する。
 その気持ちは、スコールも同じなのかどうか分からないけれど。
 キスを止めたスコールが、真剣な、それでいて熱に浮かされたような瞳でわたしを見るから。わたしの名前をそっと呼んだから。だから、彼の意図することが分かって、そしてこくりと小さく頷いた。


 それでも、このまま、っていうのはいくらなんでも恥ずかしい。そう思って、リノアはそっとベッドを指差した。その指が指す方向を見て、スコールは泣き笑いのような優しい表情を浮かべて、それからリノアを抱き上げてそのままベッドへと連れて行った。


 しゃらり、と天蓋から落ちるカーテンを掻き分けて、そっとベッドの中央にリノアを下ろす。最上級の羽根布団が敷かれたベッドに、リノアはまるで包まれるように埋もれた。その様子は、まるで眠れる姫君そのものだった。そういえば、今日は王宮へ招待されているためか、リノアは普段着ではなくそれなりに正統なワンピースを着ていた。正装はおそらくアリーテシア公女のご機嫌を損ねるだろうが、それでも普段着で参内するわけにも行かない。リノアなりに色々考えて、今日の装いになったのだろう。普段着ない、膝丈にゆれる柔らかな素材のワンピースはとても愛らしくて、リノアの雰囲気によく似合っていた。スコールは少しだけ笑みを零す。
 リノアの上にそっとのしかかり、優しく抱き締めるスコールに、リノアはくすり、と笑みを零した。


「何か、こんな豪華ベッドで、スコールはSeeD服で。わたし、物語の中のお姫様みたいな気持ち。」
「俺も同じこと思ってた。今日のリノアはいつもと違う格好だし。」
「そう?
 じゃあ、何かいつも以上にドキドキするのも、同じかなあ?」


 夢見るように、そう嬉しそうに笑ったリノアに笑って、それからスコールはリノアの首筋にそっと顔を埋めて答えた。


「・・・・・・多分、な。」


 ちゅっと軽く首筋から耳元に唇を滑らすと、頭上からリノアのくぐもった声が聞こえる。それは自分の記憶に残る声よりずっと鮮やかだった。もっと聞きたい、思い出の中に残る声ではなくて、今リノアの出す、一番新しい吐息が聞きたい。そう思って、スコールはそっと手をリノアの胸元に伸ばした。


 そのとき。


 ばさり、と2人を隠すカーテンが開かれ、少し高めの幼げな声が静かな部屋に大きく響き渡った。



「・・・・・・もう寝ておるのか、リノアにスコール。随分と早寝じゃのう。」
「・・・・・・アリーテシア公女っ・・・・・・!!」


 がばっとスコールとリノアが身を起こして声がした方を見ると、そこにはパジャマ姿のアリーテシア公女が佇んでいた。扉を開く音などは全くしなかった。なのに何故ここにアリーテシア公女がいるのだろう?どこから現れたんだろう?
 いや、それより何より。もしかしてアリーテシア公女に、今自分たちがしようとしていたことを見られた!?
 顔が青くなったり赤くなったり、全身から嫌な汗が流れ出しているかのように感じて固まっている2人を尻目に、アリーテシア公女は呆れたような瞳でスコールを見た。


「そなたたち、寝るときには寝巻きを着ないのか?先ほどの服装のままではないか。」
「・・・・・・。」
「それに、案外子どもなのだな、スコール。」
「・・・・・・はい?」


 アリーテシア公女の言う言葉に、スコールはかろうじて反応を返した。そんなスコールに、アリーテシア公女はふふん、という笑みを浮かべる。


「添い寝が必要なのは、赤子だけ。私はそう習ったぞ。きちんとしたレディになるためには、1人で寝られるようにならなければ、とな。
 しかしそなた、もういい年のくせに、リノアに添い寝してもらっているとはどういうことじゃ。私だって1人で寝ているのだぞ。もう十分大人なそなただって、1人で寝るべきじゃ。」
「・・・・・・。」
「第一、見ろ。図体のでかいそなたが寝相悪くリノアの上にのしかかるから、リノアは苦しそうであったぞ。苦しげなうめき声が聞こえたから、私も慌ててしまったではないか。」


 そこまで言うと、何も声にならないスコールを尻目に、アリーテシア公女はリノアに話しかけた。


「そうじゃ、リノア。今宵は私と一緒に寝よう!スコールと一緒では、またいつ潰されるか分からぬ。こんなに華奢なそなたが、大の男の下敷きになるなんて気の毒じゃ。
 私のベッドならば広いし、2人で寝ても問題ないぞ。」
「え、えと・・・・・・。」
「さ、では行こう。ここからすぐに私の居室へと抜けられるのじゃ。」


 楽しげにアリーテシア公女はぐいぐいとリノアの手を取ると、元来た場所、壁の一部がぽっかりとあいた抜け穴のような場所へと消えていった。一人残されたスコールはただ茫然自失として・・・・・・、それからはっと気がついて拳をふるふると握り締めた。


 ーーーーーーあんのクソガキ!!


***


「いや、マジで悪かったって、スコール。まさか姫様がそんな泥棒みたいな真似するとは思わなかったからさ。」


 目の前でむっつりと、まるで顔に縦筋でも見えるかのように憤怒の表情をしているスコールに、アルスは涙を拭き拭き、笑いながらそう謝った。
 さすがに夜更けにアルスを呼び出すのは気が引けて、朝を待ってからスコールは怒りの内線電話をアルスにかけた。すぐに出たアルスは、スコールから話を聞くとすぐにアリーテシア公女の居室へ行き事態を確かめ、それからスコールのいる客間へとやって来たのだった。
 スコールは、ぶっすりとした顔で椅子に座り、アルスを待っていた。おお怖・・・・・・そうは思いつつも、まあスコールに同情の余地大いにあり、そうアルスは思って、謝罪の言葉を口にしたのだった。
 だが、昨夜の間抜けな2人の姿が目に浮かんで、思わず噴出してしまったのは失敗だった。さらにいっそう不機嫌に顔を顰めるスコールに、アルスは再度謝罪した。


「・・・・・・笑いながら謝られても、気持ちは全く伝わらないんだが。」
「悪い。でもやっぱりちょっとおかしくてさあ・・・・・・あ、お前らがしようとしてたこと、姫様は全然分かってないよ。それは安心して。リノアはすっごく気にしてたけど、でもそこら辺は大丈夫だから。」
「・・・・・・。」
「一応、姫様もまだまだ子どもなんでね。さすがにそういう大人の事情までは分からないさ。寝相が悪いスコールが、リノアの上で寝とぼけてたって仰ってたし。
 でも、ある意味良かったよ、まだ始まってなくて。始まってたら、誤魔化すの大変だよなあ・・・・・・運良かったな・・・・・・っと。」


 あはは、と暢気そうに続けた言葉にさらにいっそうスコールの眼差しが冷たくなって、アルスはおっといけないと口をつぐんだ。そして、それから少しだけ瞳の色を真面目にした。


「とにかく、ホント申し訳ない。ドール大公国として謝る。お詫びといっちゃあ何だが、今日はスコールは完全オフにしていいぜ。お前の一日分、ドール大公国で買い取る。」
「今日の任務は、ガルバディアガーデンの運営状態のチェックをする予定だったが。」
「それ、ガルバディアガーデンに頼んで1日延ばしてもらった。その分の違約金、損害金もろもろはドールで負担する。お前は気にせずオフを楽しんでいい。後の始末はドールに任せろ。」
「・・・・・・そんなこと言ったって、ドールにいるんだから、結局あの姫に邪魔されて終わりなんじゃないのか。」


 一日まるごとのオフ、しかも後始末はドールが責任持って行う、というアルスの提案は確かにスコールにとって魅力的だった。しかし、ここはドール。アリーテシア公女のお膝元だ。いくら休みにしてもらってリノアと一緒にいても、あの姫が邪魔しに来るんじゃ全く休みにならない。そう思って苦い表情を崩さないスコールに、アルスはにやりとウィンクした。


「後始末はドールが責任持つって言ったろ?もちろん姫もこちらで抑える。
 今頃姫は、ドール大公陛下にこっぴどく怒られているよ。姫が使った秘密の抜け穴は、元々王族の非常時脱出用のために陛下が姫に教えたらしくてね。自分の楽しみのためにそれを使うとは何事か、と滅多に怒らない陛下に厳しく叱られてるさ。そんな状態だから、いくら姫だって今日一日は大人しく自室に軟禁されるさ。俺も、今日抜け出したら二度とリノアは王宮へ呼ばない、ときつく言い聞かせたからね。今日一日は大丈夫だ。
 うちもさ、今回のは外交上問題ありな事件だったからね。他国に、『ドール公女は客間の覗き趣味がある』なんて噂が立ったらまずい。大公一家の威信に関わる。今日のオフは、まあ口止め料も入ってるってことだ。」
「・・・・・・そうか。」


 アルスがここまで保障する、ということは本当に丸一日、誰にも邪魔されない休日を送れるということだ。それを理解してスコールは少しだけ、眉間の皺を緩めた。アルスは性格は良くは無いが、約束はきちんと守るし嘘は言わない男だった。そこのところだけは信用できる。


「とりあえず、リノアは?」
「今は、薔薇の間で朝食を取っているよ。お前の分もそこへ運ばせて、そこで朝食を取るといい。どうもこの部屋に戻るのは、今はちょっと気恥ずかしくて嫌らしいんでね。とりあえず薔薇の間に案内した。」
「そうか。・・・・・・有難う。」


 椅子から立ち上がり、さっさと薔薇の間に向かおうとしたスコールに、アルスはひらひらと手を振って、それから一言声をかけた。


「今回の件は、まあご愁傷様。でもさあ、お前もこんなとこでがっつくなよ。ガーデン帰れば、いつだってヤれるだろ。」
「余計なお世話だ。」


 冗談交じりに言ったアルスの言葉に不機嫌そうにそれだけ答えて、スコールは蒼の間を立ち去った。アルスはスコールがいなくなったことを確認して、それから腹を抱えて笑い出した。
 うん、スコールのことは本当に同情の余地ありだと思うよ。どうせ忙しすぎて、しばらくリノアと会ってもいなかったんだろ。がっつくのもまあ分からなくは無い。
 だけど、あいつは基本的には運が悪いんだよ。あんなに出来る男で、任務遂行能力も高くて、およそ出来ないことなんて何もなさそうな奴なのに。私生活の面では、どっちかといったら運が悪いと思う。どこにでもいる、必ずジョーカーを引いてしまうタイプ。それがスコールだと思う。要らぬ苦労をして、おかしいなと首をかしげている、そんな姿が目に浮かぶようだ。
 それ、絶対自分で気づいてないよなあ。だからこんなとこでヤろうとなんてするんだ。運が悪いんだから絶対何か邪魔が入るだろうに、そこら辺りのこと、全く考えないんだな。いつになったら気がつくんだろう。それとも、基本的には運が良いリノアの影響を受けて、以前よりはましになってたりするんだろうか。


 まあどうでもいいけどね。そう思いつつ、アルスは目尻に溜まった涙を拭いた。


***


 その後のこと。これは余談になるが。
 それから一時期、リノアはスコールに抱かれるのを躊躇うようになってしまった。そういう雰囲気になって抱き締められると、思わずアリーテシア公女が顔を出したシーンが頭にぽん、と浮かぶのだ。そうなってしまうと、もう恥ずかしくて恥ずかしくて駄目だった。スコールに悪いな、と思いつつも、それでも「ごめん、今日は待って」と言うしかなかった。そしてお預けを食らったスコールはと言えば。そのたびに、「・・・・・・あのクソガキ」と思いながら拳を握り締めていたらしい。


 気の毒な恋人たちが、いつから通常運転に戻れたかは・・・・・・また別のお話。





end.