「リノア、お届けものが来てるよ〜。」
「ありがと、セルフィ。」


 リノアが自室で本日の課題と格闘していると、トントンと軽くノックの音が聞こえセルフィの声がした。リノアはさっそく立ち上がって、部屋のロックを解除する。シュンと軽い音を立てて開かれた扉の向こうに、茶色のはね髪を揺らしながらニコニコと佇む友人の姿があった。


「はい、これ。」
「ありがと、わざわざ届けてくれたの?」
「んー。アタシ今日司令室での配達物係だったからね。普段はスコールの机に置いておけば、後でスコールが持ってってくれるんだけどさ。今日はスコールは帰らないから、持ってってもらえないなあと思って。時間もあったし、直接届けに来たんだぁ。」
「ごめんね、有難う。嬉しい。」
「ううん。荷物が届いたら、できるだけ早く見たいって思うじゃない?リノアもそうかなって思って。」


 セルフィはそんなことを言いながら、はい、とリノアに小包を渡した。宛名を見ると、差出人の欄には流麗な文字で「アルス・キャリッジ」と書かれていた。厚み、大きさからしてこれはきっと本だろう。リノアはそう推測して、にこりと笑みを浮かべる。
 セルフィは、そんなリノアを見て面白そうな顔をしながら尋ねた。


「ねえねえ、それ開けてみないの?」
「うん。開けるよ?・・・何、セルフィ中身が気になる?」
「えへ、ちょっとね。あの冷血鉄仮面男の贈るものって何だか興味あって。」


 リノアの手元をウキウキと覗き込みながらそう言うセルフィに、リノアは思わず苦笑した。確かにアルスは冷血鉄仮面男だ。セルフィの喩えは素晴らしい。


「あはは、酷いね。」
「あ、アルスには内緒にしといてよ!アタシ、無茶な仕事押し付けられるの嫌だからね!!」
「はいはい。」


 リノアが笑いながら言う言葉に、セルフィは慌てたように手を振った。勿論、そんな話はアルスにはしない。多分それをアルスに言ったら、彼はにやりと笑ってますますセルフィの仕事の負荷を増やそうとするだろう。そう、スコールに対するかのように。Sっ気の強いアルスは、気に入った相手には特に念入りに甚振る癖がある。スコールのやられている姿を知っているセルフィからしたら、それはご勘弁願いたいと思うのも道理だった。
 セルフィのウキウキとした視線を感じながら、リノアはそっと包装紙を破いていった。茶色の小包用包装の下には、ピンクと紫の地に、金の唐草模様が散りばめられているハードカバーの本があった。さらには、小さなメモ用紙も。いかにもそこらへんにありました、といったような、端がホンの少し破れて欠けている紙には、どうやらアルスからの手紙が記されているようだった。ハガキや便箋を使う気すらない幼馴染に、相変わらずだとリノアは笑みを零した。
 メモを読むリノアを尻目に、セルフィが手を伸ばして送られてきた本を手にとった。


「やー、なんかすっごい本だねえ。無意味にキラキラしいっていうか、ビミョーにクドいっていうか・・・。」


 そんなことをブツブツ言いながら、ペラリ、とページを捲る。題名と作者を目にしてセルフィはうげっという顔をし、パタンと本を閉じた。
 リノアは呑気そうにそんなセルフィに問いかける。


「セルフィ?気になるなら読んでもいいよ?」
「やだよ、そんな本!!何でアルスはそんなもん送ってくるのよ!」
「んー、ニックからもらったけど要らないからわたしにくれるって。」
「要らないならゴミに出しなさいよ!」
「えー、わたしは読んでみたいけどなあ。ゴミに出すなんて勿体無い。」
「ええー・・・・・・。だってそれ、デブータの自費出版小説じゃん。しかも題名サイアク。何、『薔薇色恋物語』って。」


 嫌そうにそう言うセルフィに、リノアは少し吹き出してしまった。セルフィはドールのニコラス・デ・ブータ伯爵のことが苦手だ。如何にも生まれついての貴族らしい、装飾に装飾を重ねた綺羅綺羅しい美辞麗句と仕草がどうにも駄目だそうだ。しかもデブータ伯爵が貴族らしい繊細な美形ならともかく、丸々としたふくよかな(というよりどっしり肥満体の)身体とお世辞にもハンサムとは言えない平凡な顔つきは、その言動と酷いミスマッチを生み出すらしく、どうにもセルフィには耐えられないらしい。悪い人じゃないっていうのは知ってるけど、でもアタシ生理的に無理!苦手!とよく唸っている。
 リノア自身は、ブータ伯爵のことを結構好きだ。本当に悪い人ではないし、むしろあのアルスと学生の頃から付き合えるほど人がよく、決して他者を貶したりしない点は、彼の素晴らしい美点だと思う。
 アルスのことを見下す人間が多いドール貴族の中で、彼はいつだってアルスを大事な友人と言い、そのようにもてなした。元ティンバー人であるアルスがドール王宮で姫付き侍従なんてものに収まって働いていられるのは、勿論大公陛下の引き立てもあるがブータ伯爵、ひいては彼の父であり筆頭大臣であるブータ公爵がアルスの後見をしているからだった。
 そんな彼だからして、リノアのことも特別視はしない。魔女だと恐れることもせず、身分低い外人だと貶めることもせず。ただリノアとして接してくれている。麗しい美辞麗句は誰に対しても平等に紡がれる。そんな彼のことを、リノアが嫌うわけはないのだ。確かに言葉は回りくどいけれども、この人はそういう人なのだと認識してしまえば別にどうってことはない。ただ、彼の本質が分かっていればいい。それだけだ。
 それと、これは大事なことなのだが。
 実は彼は、リノアの同好の士でもあった。趣味仲間、と言ってもいい。リノアとブータ伯爵は2人とも結構な活字中毒だった。文章は読むのも書くのも好き。そしてさらにロマンチックなものに目がない、という点で2人はこれ以上ないほどぴったりと馬が合った。


「薔薇色恋物語、なんて素敵な題名じゃない。この厚さだと読み応えもあるだろうし、嬉しいなあ。」
「あの厚さで、あのデブータの文章が埋め尽くされているってとこに、アタシはぞっとしますケド。」
「結構ときめくよ?」
「ときめきません。ていうか、そういうときめきは要りません。それにアタシ、元々小説なんて読まないし。」
「えー。」


 取り付く島のないセルフィに、リノアはやっぱり苦笑した。この本は後でじっくり読もう、そう思い、本を机の上に置いてしまう。そしてセルフィに向き直って、少しだけ不満そうに言った。


「・・・・・・本当に、皆小説とかって読まないよねえ。読むのは実技書とか理論書とかそんなのばっかりでしょ。ゲームとかもパズルとか格闘系とか戦術シュミレーションとかばっかりで、RPGとかやらないもんねえ。
 面白いと思うのになー。もったいないと思うんだけどなー。」


 リノアの言葉に、セルフィがぽりぽりと自分の頬を人差し指で引っ掻いた。それは少し後ろめたいときにやるセルフィの癖だ。


「あー、うん、まあそうね。アタシもキスティスも小説は読まないし、ゼルは基本中学生男子が好みそうな胡散臭い雑誌系でしょ。スコールは娯楽本なんて読むわけないし、アービンも話のネタ程度にチラ見するくらいで、それほど好きじゃないよね。」
「そうなの!SeeDの皆だけじゃなくて、ガーデンにいる子って小説読まない子多いの!三つ編みちゃんくらいだよ、小説好きなのって。
 だから図書館も、あんなに広いのに小説コーナー少ないんだよ!何で?」
「あー・・・・・・。だってさあ、ガーデンって軍事学校じゃない?夢より現実を好むタイプが多いっていうかさ。多分これからも、そういう文学好きとかロマンチック好きとかはあんまり進学してこないと思うよ〜。そういう子はガーデンじゃなくて普通の大学行くでしょ。」
「サイファーはロマンチック好きだったじゃない。」
「でもアイツ、ガーデンを退学して、結局エスタの大学行っちゃったじゃん。夢見がちな人間には、やっぱりガーデンとかSeeDとかは合わないんじゃない〜?」
「・・・・・・。」


 勢い込んで言ったリノアに、セルフィが心持ち脱力加減でそう言葉を返す。そのセルフィの言葉に、リノアもそうよね、と項垂れた。
 確かに、ロマンティックが好きな軍人がいないとは思わないが、どうしたって人数的に少ないだろうと思う。そしてさらに言えば、ガーデンはSeeDや少数精鋭の優秀な軍人を輩出することを目的にした学校だ。少数精鋭で事に当たる、ということは徹底的に無駄を省き、効率的な最短距離を選ぶということで。ガーデンの生徒や、ましてやSeeDはそれを当たり前のように叩き込まれている。恋愛小説で、特にリノアが胸をキュンキュンさせて読む、じれじれすれ違い系の小説なんか彼らにとっては無駄の最たるものであるに違いない。だから、セルフィの言っていることは尤もなのだ。
 リノアはちえーっと面白くなさそうに、頭の後ろで手を組んだ。


「本当はスコールと、同じ小説読んだり感想言い合ったりしたかったんだけどなあ。」
「いやいや、絶対無いでしょ、それ。あの実学至上主義者に、芸術を愛するココロなんて微塵もなさそ。」
「セルフィやキスティスたちとも、オススメ恋愛小説を教え合ったり、詩を書いて交換したりしたいんだけどなあ・・・・・・。」
「・・・・・・ゴメン、期待されても困るからハッキリ言うけど、無理です。アタシ、そういう方面はさっぱりです。」
「だよねぇ。」


 ガックリ、と肩を落とすリノアにセルフィは苦笑いを零した。リノアの希望は出来るだけ叶えてやりたいが、それはあくまで出来るだけであって、出来ないことは無理だ。リノアもそこらへんのことは分かっているらしい。無理にセルフィに勧めてくることはなかった。


「じゃあ、アタシそろそろ行くね〜。」
「あ、うん。本当に有難うね、セルフィ。」


 ドアの方に行くセルフィに、リノアも一緒にくっついて見送りに来る。そういうところはいつも律儀なんだなあとセルフィは微笑ましく思った。


「まああの本、アタシは読む気しないけど、リノアには面白そうなら良かったね〜。ガーデン図書室の小説本はもうほっとんど読んじゃったんでしょ?あんまり数がないって言ってたもんね。」
「そうなの。だから、本当に新作読めるのが嬉しい。あ、そうだ。わたしから手紙出すのって、別にダメじゃないんだよね?ニックへ感想書いた手紙出しても大丈夫かなあ?ニックも一応ドールの貴族だし、私用で手紙出したらちょっと問題かなとも思ったんだけど。」
「・・・・・・別に大丈夫なんじゃない。デブータに手紙出したくらいで、あの国の政治バランスなんて崩れないでしょ。チョー窓際族じゃん、アノヒト。」


 いいこと思いついた、とばかりにうっすら頬を染めてそんなことを言うリノアに、セルフィは少しだけ遠い目になってそう答えた。
 リノア凄いな。あのデブータの文章を、本一冊読んで、さらに文通までするんかい。何か考えただけでデブータ語で胸焼けしそう。
 でもとりあえず、相手がデブータであれ、「男と文通」という事実に眉を顰めそうな人間が1人いるな、とセルフィは思い出し、リノアにそっとアドバイスするのは忘れなかった。


「あのさ。手紙出すのは全然構わないと思うけど、スコールにはあんまり知られないほうがいいよ?バレるとうるさいから。」
「?分かった・・・・・・。」


 ホンマに分かってるんかいな。
 セルフィが思わず問い直してしまいそうになるほど、リノアはきょとんと瞳をまあるく見開いて、小首を傾げていた。


***


「ただいま。」
「・・・・・・。」
「リノア?」
「あっ!!」


 任務を終えて自室に戻ったけれど、そこにはリノアはおらず。もしかして体調でも崩したのだろうか、と慌ててスコールはリノアの部屋を訪れた。インターホンを鳴らし、リノアに声をかけてみるけれども、帰ってくるのは無情な静寂ばかりだった。どこへ行ったんだろう。訝しげにリノアの名前を呟くと、ようやく慌てたようなリノアの声がした。
 やがてバタバタという音がして、すぐに扉はシュン、と開かれた。少し頬を赤らめたリノアがそこにいる。別に体調が悪かった訳ではなさそうだ。スコールはそう理解して、ほっと息をついた。


「今日は結構報告会が終わるの早かったんだね?わたし、まだまだかかると思ってた。
 お部屋で出迎えられなくてごめんなさい。」
「いや、いいよ。今日の任務は本当に大したことなかったから、報告会はなしになったんだ。任務遂行書だけで事足りるからって。俺の戻るのが早かっただけだから、気にすることはない。」


 恐ろしくしゅん、とした様子で謝るリノアに、スコールは苦笑しながら彼女の部屋にあるソファに腰を下ろした。リノアもととと、と近寄ってスコールの隣にぽすん、と座る。彼女が隣に来た瞬間、ふわり、と花のような香りがした。数日ぶりのリノアの香りだ。それを感じて、スコールは「ああ、確かに帰ってきたのだ。」と心落ち着かせた。
 安心と満足のあまりに、ふう、と思わずついた溜息を、リノアは何か勘違いしたようだった。先ほどから申し訳なさげに顰められていた眉は、さらにいっそうハの字を描く。


「・・・・・・ホントに、待ってなくてごめんなさい。スコール、がっかりしたでしょ?」
「そんなことはない。」
「でも、わざわざわたしの部屋まで来てくれて。仕事から帰還したばかりで疲れてるのに・・・・・・。」
「ストップ。」


 放っておいたらずっと謝罪と懺悔を繰り返して、そしてどんどんと暗くなってしまいそうな彼女を止めるために、スコールはリノアの唇に人差し指を当てた。リノアの黒い瞳が大きく丸く開かれる。それは酷く子供みたいにあどけなくて、スコールはふわりと笑った。


「俺がリノアの部屋に来たのは、リノアに一刻も早く会いたかったからだ。俺がしたいから、そうした。それだけ。」
「わたしも、スコールに会いたかったよ。出迎えてないくせに、って思うかもしれないけど。でも本当に会いたかったの。」
「うん、知ってる。だから。」
「・・・・・・スコール?」


 不思議そうに小首をかしげるリノアに、スコールは笑みを浮かべたまま、リノアの唇に触れていた人差し指を離して自らの唇ととんとん、と叩いた。
 合図のようなそれに、リノアはやはり瞳を丸く見開いて、そして恥ずかしげな色を載せながらにこりと笑った。そっとスコールの頬を両手で包み込み、ゆっくりと顔を近づける。
 何回か軽く触れ合ったキスは、酷く愛らしくてもどかしい。スコールはリノアの唇を少し舐め、それから先ほどよりは些か深く口づけた。欲情に任せて深く荒々しく貪るのではなく、柔らかく味わうように、リノアの口内を探っていく。リノアの舌を見つけてそれを優しく絡めたら、反対にちゅっと吸い込まれた。


「・・・・・・ただいま。」
「おかえりなさい。」


 顔は寄せたまま、唇を離してそう呟けば、リノアも赤らめた頬を緩ませて応えてくれる。それが嬉しくて、再度スコールは唇を寄せようとした。さっきよりも深く、身体いっぱいリノアを味わおうとして。
 しかし、それはリノアの「あっ」という声に阻まれる。


「リノア?」
「ねえ、今のキスってどんな味だった?」
「味?」


 いきなり問いかけられた内容は、さっぱり意味不明なもので。スコールは訝しげな表情を隠さずにリノアに問い直した。それに、リノアはああ、と相槌を打って、それから舌を出して笑った。


「キスってよく、レモンの味がするとか言うじゃない?今のって、どうだった?」
「どうだった・・・・・・と言われても・・・・・・。」


 人間ビックリ箱のリノアは、いきなり突拍子もないことを言い出すことがよくある。聞いているスコールからしたら、何でそんな話になるのかさっぱり分からないのだが、一応彼女の中ではその言動を導くフローが存在してはいるらしい。前に、「どうでもいいだろ。」と流したら、えらく怒られて拗ねられた。だからスコールは、リノアから投げられる変化球のような言葉にも、それなりに考えて答える癖がついていた。
 さて、今の質問は。キスの味がどうか?ということだった。
 キスに味なんてあるのか?とスコールは思う。強いて言うなら、唇を交わす前に食べていたものの味がするとか、だろうか。今先ほど交わしていたリノアの唇の味はどうだったろう。何かの味、なんてあっただろうか?


「よく分からなかったから、もう一度。」
「えー、ズルイ。」


 スコールの言葉に、リノアは上目遣いにぷうっと頬を膨らませた。しかしそれは怒っているからの仕草ではなく、ただ単に照れくさく恥ずかしいのだろうということが如実に知れた。何故ならリノアの頬はピンク色に染まりきって、瞳は潤んでいたから。
 スコールは笑ってまた、リノアの頬に手をやる。リノアはそっと唇を開いたまま、瞳を閉じた。自分を待っていてくれる、それを知り、スコールは迷わず顔を近づけていく。


 何回も舌を絡めて、吸い上げて、触れ合って。もうどちらがどちらなのか分からないくらいに絡まり合って。
 そして唇を離した。スコールが離れていくのを知り、リノアはほんのりと瞳を開く。唇は先程からのキスで赤く色づき、瞳はさらにいっそう潤んで揺らめいていた。


「ね、どうだった?」
「味ね・・・・・・無い、な。」
「えー。何もなし?」
「リノアはどうなんだよ?」
「わたし?」


 スコールに問い直されて、リノアもはて、と考える。スコールとのキスの味・・・、そんなものあったかしら?大体、スコールとキスするといつも頭が段々ぼうっとして、何が何だか分からなくなって、それでももっとして欲しくて、キスのことしか考えられなくなる。そんな自分に、味なんて分かるわけないのだ。そんな余裕、ちっともない。
 だから、スコールなら分かるかな、って思って聞いてるのに。
 リノアはむうっと唇を尖らせた。


「分かんないよ。わたしには分かんないから、だからスコールに聞いたの。」
「ふうん。」


 リノアの言葉に、スコールはそうだなあ、と相槌を打った。ひと呼吸置いて、また言葉を続ける。


「まあ常識的に考えて、その前に食ってたものの味がするんじゃないか?」
「え?じゃあ何、スコールがランチ終わった後にキスしたら・・・・・・。」
「当然、ラーメンの味だな。」
「やだー!!」


 スコールの身も蓋もない返答に、リノアは項垂れた。その姿を見て、スコールは面白くなさそうに眉を顰めた。
 そりゃあ、スコールの言うことが尤もなんでしょうよ、とリノアは思う。でもいくら何でもラーメンの味のキスはない、と思う。ロマンの欠片もない。
 ああ、こういうところ、セルフィが言ってたように、スコールは実学至上主義者なんだわ。ロマンティックなことなんて、思いもつかない。ただあるべき事実を指摘し、提示する。甘さで装飾なんて、ある訳ない。
 聞いた人間間違えたかな・・・。リノアがそうションボリしていると、スコールがリノアを呼んだ。


「ほら、リノア。」
「なあに?」


 スコールがリノアの手をとって、何かを握らせる。小さな丸いものを掌に乗せられて、そっとそれを見ていると、そこには小さな飴があった。可愛らしい白地にいちごの模様が散らされている包装紙。小さい頃からあって、とても好きだった優しく甘い飴。


「これどうしたの?」
「さっきシュウにもらった。疲れてる時には甘いものがいいとか何とか。」
「わたし、もらっちゃっていいの?」
「ああ。」
「ふうん、有難う。」


 ぺりぺり、と包装紙を破いて早速リノアは飴を口に含んでみた。口いっぱいに広がる、いちごとミルクの味。甘酸っぱいそれは、記憶に残る味覚と寸分たりとも違わなかった。
 ふふ、とリノアは嬉しそうに笑みを零す。


「美味いか?」
「うん。美味しい。わたし、この飴小さい頃から大好きだったんだ。」
「それは良かった。」


 ほくほくと顔を緩ませるリノアに、スコールも笑って。それからまた頬に手を滑らせた。リノアがきょとり、とスコールを見つめる。


「スコール?」


 どうしたの、と続けたかった言葉は、しかし音にはならなかった。またすぐに近づいてくるスコールの顔、そしてそっと覆われる唇。もう声を発することなんて出来ない。柔らかく入り込んできた舌が、リノアの中で動き回る。リノアは悪戯のようにそっとスコールの口の中に飴を押入れた。キスをしたままスコールはその飴を味わい、そしてまたリノアの口の中へと戻してくる。
 ーーーーー飴は、さっき自分が舐めていたときよりもずっと甘くなっていた。


「甘い、な。」
「当たり前でしょ。」


 唇を離して、スコールがそう呟く。リノアは頬を赤くしながら、つんとした。その照れ隠しの仕草に笑いながら、スコールはリノアの頬を撫でる。柔らかな肌の下には、コロコロとした丸いものを感じた。2人で味わって交換しあった、小さな飴だ。


「今のキスの味は?もちろんいちごミルクだよね?」


 リノアがそうスコールに問いかける。スコールは少しだけ逡巡して、それから首を振った。リノアは驚いて瞳をくりり、と見開いた。


「え、だって今わたしいちごミルクの飴舐めてたし。」
「いや、確かにいちごミルクの味はしたけど、それだけじゃなかった。」
「・・・・・・スコール?」


 ふむ、と一人納得したかのように頷くスコールに、リノアは訝しげな雰囲気を纏いながら首をかしげる。そんなリノアに気づいて、一つ笑みを零して、それからスコールはそっとリノアの耳元に囁いた。


「さっき俺が味がしない、と言ったのは訂正だ。味はあった。」
「スコール?」
「リノアの味がする。リノアとするキスは、いつだってリノアの味がする。飴を舐めていようが、昼飯を食った後だろうが。いつだって甘くて優しい味がする。」


 ーーーーーな、何てことを言ってくれちゃったりするんですか、アナタは!!
 アレですか、無意識のタラシって奴ですか。普段本当に事実の呈示しかしないし、ロマンチックな言葉なんか言わないし、愛に溢れた口説き文句だって言わないのに。なのにどうして、こういう風に何気なく、凄い殺し文句を言うのだろう。


 リノアは顔を真っ赤にしながらスコールを見た。スコールは真面目な顔をしている。本当にリノアをからかおうとしたわけでもなく、真実そう思っているようだった。何一つ嘘偽りなどない、清廉潔白な姿でそこにいる。
 それを見て、リノアは、もうどうしようもなくなって、へにゃりと笑った。ただ悪戯に恥ずかしがるのではなく、そこはかとない嬉しさと納得の姿勢を表して、笑みを浮かべた。そんなリノアに、スコールも瞳を綻ばせる。柔らかく、部屋の空気が溶けていくのを感じて、リノアはほんわりとした浮遊感を感じた。そしてそっとスコールの胸にぽすん、と寄りかかった。スコールは身を固くすることもなく、ただ身を寄せるリノアの肩に手を回してそっと抱き締める。


 そういえば、さっきスコールから返された飴の味は。
 リノアはそれを思い出す。そして、スコールの言った言葉を確かに理解した。
 そう、キスの味は確かにある。その前に何を食べていようが、感じる味は結局いつも同じ。スコールの味がする、それだけ。レモンの味なんてしない。スコールの味だけが、わたしの中をいっぱいに埋め尽くす。


 リノアはちらり、とベッドに置きっぱなしになっている本を見た。アルス経由で手にした、ブータ伯爵の小説本だ。つい夢中になって読みすすめてしまい、スコールの部屋に向かうのも遅れた理由。自分が夢中になって読んでいた部分は、姫と王子がそっと口付けを交わすシーンだった。幾度も交わしたそれに、姫君が愛らしく「檸檬の味がする」と言うのだ。
 そのシーンに感動しつつ、本当にキスってレモンの味がするのかしら。リノアはそう疑問に思って、それでスコールに聞いてみたのだった。


 この本を全部読み終わったら。そしたら、ニックに感想を書いて送ろう。そのとき、キスは「レモンの味」じゃなくて、愛おしい相手の味がするんだよって教えてあげよう。こんな素敵な話、きっとニックも喜ぶに違いない。あのロマンティックなお話には、ぴったりの逸話だわ。


 リノアの零す笑みを見つけて、スコールが「何だよ?」と問いかける。ううん、何でもないの。ただ嬉しいだけ。そう返したら、スコールは一瞬目を見張って、それからふわりと笑った。


***


「おお、これはこれは砂金の輝き麗しき騎士殿!この貧しき我が眼にも、その輝きと美を焼き付けることが出来、望外の喜びですぞ!」
「・・・・・・どうも。ご無沙汰しております、ブータ伯爵。」


 打ち合わせの休憩時間に、そっとその大きな身体を揺らしながら訪れたブータ伯爵に、スコールは一瞬身を固くしたが、それでも律儀に挨拶を返した。相変わらず余計な言葉が多い人だな、そう疲れにも似た感情を抱きながら。
 ここは、ドールの王宮。次のSeeD試験もやはりドールにて行われるので、大変不本意ながらスコールがその依頼と打ち合わせに来たのだ。打ち合わせメンバーはドール大公陛下、宰相閣下、ドール市長など。実戦さながらの試験になるので、一般民やドールの街に傷つけることないよう、細心を以て打ち合わせとすり合わせを行わなければいけない。ブータ伯爵も、窓際とはいえ一応高位貴族でありそれなりの役職にはついているので、今日の打ち合わせ会議のタイムスケジュールを知っていたらしい。会議中なら絶対に取り次がないが、休憩中ということもありすんなりと会議室へとやってこれたようだ。
 スコールの無愛想な顔、声にも気にせず、ブータ伯爵はにこにこと人の良い笑顔を浮かべながら、スコールの手を取った。


「勇猛で偉大なる獅子の名を持つ騎士殿よ、日の光が煌く時は瞬く間に過ぎ去ることは全ての生きとし生ける物への宿命ではありますが、貴方の忠実なるしもべである私に、その一瞬の時を与えることをお許し願えないでしょうか?」
「・・・・・・どうぞ。」


 柔らかな手で自分の掌をしっかり包まれ、さらに揉み揉みされている現状に背中をそばだてながら、スコールは短的にブータ伯爵に答えた。勿論心の中では、「ちょっとお時間いいですか?」という言葉をどれだけ装飾するんだこの人は、という罵声が飛び交っているが。
 それはともかく、スコールの承諾にブータ伯爵は瞳をキラキラさせて喜んだ。


「おお!貴方のその慈愛深きお言葉、仕草、私のつまらぬ身に余る光栄ですぞ!ああ、貴方の優しさはまるで春の訪れを囁く女神が立てるそよ風のように、私の心を癒し溶かしていきます・・・。」
「あの、時間ないので、要件をどうぞ。」
「おお。」


 放っておくといつまでも美辞麗句を繰り出し、全く本題に進まなさそうだったので、スコールは礼儀に反するとは思いながらもブータ伯爵の言葉を遮った。そんなスコールの行為にもブータ伯爵は気分を害することなく懐から一冊の本を取り出した。


「・・・・・・これは?」
「獅子殿の美しき蒼き瞳に捉えられるには、些か臆病風を吹かす小人の悪戯が我が胸を掻きむしりますが、どうかこの本をかの麗しく偉大な、漆黒の魔女姫に捧げてはくださらぬか。」
「リノアに?」
「ええ。拙作の取るに足らない小話ですが。」


 渡された本はピンクと紫の地に金の唐草模様が描かれている妙に分厚いものだった。小話か、これ?と訝しげに眺めるスコールに、ブータ伯爵は頬をまるで恋する乙女のようにほんのり赤らめた。


「以前に世に送り出したものの、修正版となります。以前のものは、多くの書を愛する者たちの真摯な眼差しには耐えられぬと思いましたので、第二版を出させていただきました。
 これを書き上げるにあたって、漆黒の髪艶やかな姫と砂金の輝き麗しき獅子殿の愛溢れる言葉を参考にさせていただきましたので、献本させていただきたく。
 我が卑小なる頭脳では全く思いもよらぬ言葉でございましたよ。さすが、お2人の愛は至高であり芸術を愛する者の心を掻き立てますな!」
「・・・・・・愛溢れる言葉って。」
「おお、愛の交歓として交わされる接吻についてですよ!私の浅薄な語彙では、ただ檸檬の味としか書き記すことは出来ませんでしたが、騎士殿が姫に『貴女と交わす愛の口づけは、貴女のその香しくも甘い蜜を私に与える』と仰ったとか!それを伺った夜、私の心は例えようもない感動に震えましたぞ!」
「・・・・・・はい?」


 ブータ伯爵が頬を赤らめながら熱弁するその言葉の意味が、一瞬本気で分からなかった。少し考えて、そして思い出す。そういやリノアに「キスの味」について尋ねられたことを。あの時自分は、自分の思った通りのことをそのまま口にしたのだが、こう改めて他人から言われると、デブータ語で修飾されて余計に耽美になっているとはいえ、酷く気障でロマンティックすぎるものだと思った。リノアが聞いているだけならともかく、他人にまで知られているのは、非常に恥ずかしく居たたまれない。穴があったら入りたい。正にそれだ。
 スコールは引きつった表情を浮かべながら、ただ立ち尽くすしかない。そんなスコールにブータ伯爵は何も気遣うことはなく、ただニコニコとしながら話を続けた。


「今回の本には、最初のところに献辞を入れさせていただきました。私の、かの魔法の国を取り囲む頂たちのように高く積もった感謝の気持ちを表すには、このような小さな言葉では到底足りませんが。」
「・・・・・・。」
「では、麗しの姫君に、どうぞ『貴女の下僕の捧げ物を、その慈悲深い御心でもって受け入れてください。』とお伝えください。」


 ブータ伯爵はそう言うと、握っていたスコールの掌をそっと持ち上げ、ちゅっとキスを落とし去っていった。普段だったらそうされる前に手を引き抜くのだが、今日は混乱の極みにある故にタイミングが遅れた。しっかりと口づけられた掌を嫌そうに見て、それからスコールは慌てて本をめくった。


『伝説のごとく煌く、砂金の輝き眩き騎士殿と漆黒の闇を溶かした麗しき姫の、崇高で浪漫あふれる愛の交歓にこの小さな物語を捧ぐ。』


 うわあ、と頭を抱えて蹲りたいような気分でその本の冒頭ページを開いたまま固まるスコールに、ドール大公陛下が近づいてくる。そしてひょいっとスコールの手元にある本を見て、ああ、と穏やかに頷いた。


「ブータ伯爵の新刊ですね。私も読みましたよ。いやあ、ロマンティックこの上ないお話でした。まさか君たちがモデルになっているとは思いませんでしたが。」
「・・・・・・忘れてください、大公陛下。」
「いやいや、なかなかに強烈で娯楽にはちょうど良かったですよ。君も読んでみるといい。」
「結構です。」


 もういっそ叩き捨ててしまいたい。そう思いながらも、「リノアに渡してくれ」と頼まれた以上、それを反故にすることも出来ず、スコールは嫌々ながらその本を荷物の中へ突っ込んだ。
 生真面目なスコールは、一度人と約したことを破ることなどしない。それが傍から見て哀れで愛おしい。大公陛下はこみ上げてくる笑いを噛み殺しながら、そんなスコールをじっと見ていた。


 今回の件がきっかけで、ブータ伯爵とリノアが「文学的交換日記」を始めることになるのだが。それをスコールが知るのは大分先のことである。




end.