「セルフィ?今回のケータリングは、去年頼んだとこやよね?」
「・・・・・・。」
「セルフィ?」


 声をかけられて、我に返った。慌てたように振り向くと、そこにはマリノアが書類片手に苦笑いを浮かべていた。
 いけない。そう思ってアタシは気を引き締める。後12時間、そのくらいしたらガーデンの一大行事「年越しカウントダウンパーティー」があるのだ。こんなとこで惚けている暇なんてなかった。


「ごめん、ちょっとぼうっとしてた。疲れてるんかな。」
「別にええけど。あのね、パーティーのケータリングのこと。去年頼んだとこと同じなんよね?」
「そう。あそこ結構美味しかったやろ。値段も良心的やったし。」
「じゃあ、搬入時間は去年と同じかな。確認はしといた方がええかな。」
「そうやね。マリノアお願いできる?」
「オッケ。」


 マリノアが持っていた書類をペラペラとめくりながら簡潔に打ち合わせを済ましていく。例年のこととはいえ、この季節はトラビアでは特に激しい雪に閉ざされる。いくら例年と同じような形にしたとはいえ、予測できない事象は起こりやすいとも言えた。確認はしすぎる程しておいた方がいい。
 マリノアはアタシの返事を軽くメモして、それからこくり、と首を傾げた。


「ねえ。せっかくのパーティーやのに、セルフィいまいちノッてへんね?」
「え?そんなことあらへんよ?
 ちょっと色々調整せなあかんとこが多くて、それで疲れたかなって、それだけ。」
「ふうん?」


 マリノアの指摘に、アタシ少しだけドキリ、とした。だけどそれについては見ないふりをして、ただいつものように明るく笑い飛ばした。それでも長年の親友であるマリノアは、イマイチ騙されては・・・くれなかったみたいだ。彼女の表情から、それは窺い知れる。


「まあ、ええけどな。じゃあ頑張ってな、学園長さん。」
「マリノア主任もな!」


 しかしマリノアは少しだけ苦笑を浮かべてから、そんなことを言って手を振り、そして行ってしまった。アタシは何でもないような元気な声で、去っていくマリノアの背中に呼びかける。マリノアは後ろを振り返らないまま、もう一度手を軽く振った。
 マリノアが姿を消して。そして一人になって。アタシはやっぱり一つ溜息をついた。今は仕事中で、それもアタシの大好きなイベント準備という、燃える仕事真っ最中のはずだった。周りを見渡しても、皆それぞれの担当の仕事を一生懸命こなしている。アタシみたいにぼうっと辺りを見回している人なんていない。
 そう、アタシだって、これからスピーチ内容も考えなきゃだし、各担当から上がってくる懸案事項と最終チェックをしなくちゃいけないし、来賓の方々への挨拶回りもしなくちゃならないし。忙しいことこの上ない。
 なのに。
 どうして。
 ガルバディアとの時差を踏まえたうえで、今頃パーティー準備の最後の詰めかな、とか、パーティーでは食事取る暇ないから軽食でも取ってるのかな、とか、そんなことばかり頭の中を過ぎっていくのだろう。きっといつもみたいに柔らかい笑顔を浮かべながら、さりげなくスタッフに助け舟を出しているだろう。その姿を思い浮かべてしまうのだろう。
 ーーーーー思ったって、彼は目の前にいないし。ただ、胸が切なく痛むだけなのに。


 アタシは、今年やっとアーヴァインと結婚した。ずっと夢中になって仕事してたらいつの間にか30歳になってて、アービンとの付き合いも10年超えてしまってた。アーヴァインは時折「そろそろ一緒にならない?」と言ってはくれていたけど、アタシがどうにも踏ん切りつかなくてそのままズルズルと年月ばかり過ぎ去ってしまっていた。周りがどんどん結婚して、子どもを持っていく姿を見て、羨ましいと思う気持ちは少しだけあったことは否定しない。しかしそれより何より、本当にアタシは仕事が楽しくて、それを犠牲にしてまで結婚したいという気持ちがなかったのだ。
 ゼルの嫁の三つ編みちゃんは、結婚して国立図書館の仕事を退職した。
 キスティスは妊娠出産を契機に、ドールガーデン学園長を退職した。
 リノアは魔女だから別だけれど、それでも魔女任務をこなしながらも転勤の多いスコールと一緒に、世界中を廻っている。


 周りの皆が、結婚を契機に生活スタイルをガラリと一変させた。
 その事実が、アタシには恐怖と躊躇を覚えさせて仕方なかった。だから、アーヴァインの「そろそろ結婚する気になった?」という冗談のような言葉に、軽い冗談で混ぜっ返して曖昧にしたままでいたの。きっとアーヴァインはそんなアタシに気づいていただろう。アタシが「考えとくね〜」とか「アービンがいい男になったらね」とか、そんなことを言って誤魔化す言葉を聞いても、「そっか〜」と呑気に応えるだけで、喧嘩になるようなことは一度だってなかった。決してアタシを急かすような真似はしなかった。ただ、「そっか〜」と言って笑っただけだった。笑うだけで、済ませてくれていた。
 アーヴァインのプロポーズが冗談や嘘なんかじゃない、ってことは、アタシちゃんと分かっていた。その言葉を告げる時、アーヴァインは柔らかく悪戯気な微笑みを浮かべてはいたけど、それでも瞳は真剣だったから。アタシはそれに気づきながら、答えを彼に言うことは出来なかった。だってアタシの答えは、自分でもとても虫が良すぎると思うくらい、狡い願いだったんだもの。


 アタシは、アーヴァインのことが好きだ。彼を失くしたくない、傍にいたい、と思う。
 だけど同じくらい、仕事のことも好きだ。この仕事を無くしたくない、ずっと今のまま続けたいって思う。
 彼のいるガルバディアに行きたい、そして彼と一緒に毎日を過ごしたい。そう思うのに。
 トラビアから離れたくない。トラビアのために働いていたい。そう切実に思う。
 アタシはその2つの願いの、どちらかを捨て去ることなんて出来そうになかった。


 アタシ、どうしてもトラビアから離れたくなかった。アタシのホームグランドはやっぱりトラビアだ。今のアタシを作ってくれたもの、そのほとんどはトラビアにある。SeeDになりたいな、と思ったのも、自分の力を活かせる仕事に就きたいという理由にプラス、退官後にその磨かれた特殊技能でトラビアの役に立てるかも、と思ったからだった。
 だから、今アタシが着いている、「トラビアガーデン学園長」という仕事。これはアタシにとっては夢のような職業だ。トラビアの今と未来を守る、その手伝いが出来る仕事。アタシ、こういうのやりたかったんだ、そう心底すとんと納得できるほど、この仕事はアタシにぴたりと合っていた。無くしたくない。絶対、続けたい。そう思った、切実に。
 だから、結婚なんてとんでもない。そう思った。周りの友人たちの、結婚して仕事から離れていく様子。それを目の当たりにして、アタシにはそんなこと出来ない。真実そう思った。アーヴァインと一緒にいたい、そう思う気持ちは本当なのに。それを叶えることで失うもの、その現実が怖くて嫌で仕方なかった。今のままでいいじゃない、そう心の中で何度も叫んだ。今みたいに、休みを合わせて会って、話して、色々して。それでいいじゃないって。


 結局アタシは、トラビアガーデン学園長も辞めず。アーヴァインのことも手放さず。両方曖昧に手に入れて、そして、彼に無体を強いている。
 籍は入れたけれど、一緒には暮らさず、仕事も辞めない。そんな、アタシだけが何もかもを手に入れているような、そんな状態を。


 アタシは、狡いんだ。
 アーヴァインと付き合うことにした時。これからは狡くて甘えてばかりのアタシじゃなくて、ちゃんとアーヴァインを大事にしたい、そう思っていたのに。今もそう思ってるのに。あれから10年以上の月日が経っているというのに、アタシは変わらず狡い。欲しいものは全部欲しがって、自分の気持ちばかりを押し通して、アーヴァインがそれを赦してくれるのをいいことに、図々しく甘えている。


「今回は、結婚して始めての年越しでしょ?だから、今年だけは一緒にいたいなあ。僕、トラビアに行っちゃダメかな?」
「え?こっち来たら、ガルバディアガーデンの年越しパーティ、出席出来なくなるじゃない。ガルバディアからトラビアまでなんて、よっぽど裏技使わない限り10時間かかるんだから。」
「うん。だからね、今年はガルバディアの方のパーティはお休みしちゃおうかなって。副学園長もそうしていいって言ってくれたしさ。」
「・・・・・・。」
「セフィ?」
「あほちゃう?」


 アーヴァインが少しだけ照れくさげにそう言ったとき。アタシは一瞬虚を突かれて黙り込んでしまった。滅多に願い事なんて言わない彼が、アタシに告げた言葉。それは当たり前すぎる程のささやかな願いだった。毎年一緒に、とは言わず。ただ、今年だけ。今年だけ一緒にいたいな、そうちいさく願った。
 アタシ。
 その言葉を言われて、何とも言えなくなった。アタシだって、アーヴァインと一緒に年越ししたいなって思ってた。だけど、アーヴァインにも仕事あるし、アタシももちろん仕事だし、だから当然無理だよねって思い切ってた。仕事を休んで会おうなんて、そんな考え、微塵も浮かばなかった。アーヴァインは、見た感じあんな風にラフだけど、でも仕事は結構真面目にしてるから、だからアタシと同じだろうと思い込んだ。年末年始すら一緒にいられない夫婦だけど、それがアタシたちなんだよね。そう、考えてた。
 でも、そうじゃなかったんだ。
 アーヴァインは、ちゃんとアタシのこと考えてた。アタシと一緒にいたいって、そう素直に伝えてくれた。アタシみたいに、最初から検討することもしないで諦めたりなんてしてなかった。毎年じゃなくていいから、せめて今年だけでも。そう、言った。僕がそっちに行っていいかな?そう、言った。アタシにガルバディアに来い、ではなくて、自分がトラビアに行くよって。仕事を休むことなんて思いもよらないアタシに、負担かけないように、そう提案してくれた。


 アタシ。
 自分が情けなくて、仕方なかった。だから、ただ一言、あほちゃう、とだけ言い残し、そして数日間アーヴァインを避けた。


 あほちゃう、って言葉は、アタシに向けて。
 好きなのに。とても大事な旦那様に気を使わせてばかりの自分が、本当に嫌で馬鹿馬鹿しかった。
 そして、アタシなんかのために、仕事休む気でいてくれたアーヴァインの優しさにも。馬鹿馬鹿しいほどの怒りを感じた。


 ガルバディアガーデンは、アタシたちが初めて訪れたときからは大分緩やかになったけれど、それでも全世界のガーデンの中で一番、戒律と規律に煩い。うちのトラビアみたいにお祭り好きなところなんてなく、今回の年越しパーティだって、本当に純然たる気合い入れ集会みたいな感じだし、またお偉いさんたちの重要な公務の一つでもある。だからそんな大事なパーティーを学園長が不在で行うってこと、どれだけイレギュラーなのか必然と知れる。アーヴァインは何も言わないけれど、彼が学園長となっていることに不満の声を漏らす人間だっていること、アタシは知っている。アーヴァインの、どこかユルイ空気が気に入らない、そういう真面目四角人間が少数でも存在している、それがガルバディアガーデンだ。
 アーヴァインだって、そんなことは百も承知だろう。彼は緩く、あまり気を配っていないように見えて、実はかなり繊細に学園運営をしている。ともすれば強硬な国立軍事学校に傾きがちなガルバディアガーデンを、微妙な匙加減で、独立教育機関としての道へと導いている。それに反対する者がいることなんて、とっくに分かっているだろうし、自分が隙を見せればそこに付け込もうとする輩がいるかもしれない、ってことも、当然理解しているだろう。自分が、ギリギリのラインで働いているっていうことも、当たり前のように受け止めているのだろう。
 だから。
 むしろ、年越しパーティを休めそうなのは、アタシの方なのだ。トラビアガーデンの年越しパーティはガルバディアのものほど厳格じゃない。ただ皆で、年越しの瞬間を騒いで楽しもうっていう意味合いの方が強くて、挨拶回りなんかもあまりないくらいだ。アタシがガルバディアに行きたい、そう言っても、皆「気をつけてな〜」の一言で送り出してくれるに違いない。
 そう、アタシがむしろ、アーヴァインに会いにいくべきなのだ。
 それなのに。


 アタシは、やっぱり、仕事を投げ出してアーヴァインのところに行くなんてことは出来ないのだ。
 そして、アーヴァインが提案してくれたことにも、否定の言葉を言う。この仕事がどれだけ重要なのか、わかってるのか。そんな言葉で。
 貴方の進んでいる道を、アタシなんかのせいで歪ませたりしないで。何もかもを手に入れたいと願っているアタシの我が儘を、そんな風に赦さないで。いつだってアタシを甘やかしてばかり。そんなに優しくしないで。もっと自分のこと、大事にして。
 ーーーーーそう、素直に言うことはできずに。ただ、「自分の仕事を全うしろ」、そんな杓子定規なことをしか言えなかった。アーヴァインは、困ったように笑って、「そっかあ」と言ってくれたけど。怒ったりはしなかったけど。
 だからこそ。
 アタシは、そんなアタシが、やっぱり嫌いだと。そう痛切に思った。
 胸に痛い、と感じるほど。自分が嫌になった。


***


「後、7時間やね。セルフィはもうスピーチとか考えたん?」
「んー。まあなんとなく、はな。しっかり原稿に落とし込まんでも、うちの年越しパーティは雰囲気で話しても問題ないかなと思うてるんやけど。」
「そやね。うちんとこのは、ガルバディアのんとは違って大分ユルイもんなあ。騒ぐのが目的、みたいなとこあるしな。」


 後、7時間。
 今頃アーヴァインはパーティ開会の挨拶も終えて、一通り挨拶回りでもしてるんかな。そんなことをうつらうつら考えていたら、マリノアに声をかけられた。マリノアの担当はケータリング方面だ。もう発注も済んで、後はパーティー1時間前からの搬入まで仕事はない。だからこうやって呑気に話しかけてきたのだろう。
 それはともかく。
 マリノアが何気なしに言った、ガルバディア、の言葉にアタシは少しだけ身体をぴくりと震わせてしまった。きっとついさっきまでガルバディアのことを考えていたせいだと思う。身構えることもできず、つい身体が自然と震えてしまった。それが、アタシの今の現状全てを表しているような、そんな心持ちがした。
 マリノアは、それを見逃してくれるほど甘い人間ではなかった。だから腕を組んで、アタシに言い放った。


「なあ、セルフィ。あんたさ、愛情表現と確認が足りてへんのやないの?」
「そんなことない・・・・・・と思う、けど。」


 きっぱりと言われた言葉に、アタシは思わず瞠目して。それから軽く目を伏せた。マリノアはそんなアタシに、さらに畳み掛けるように言い募った。


「そんなことあるから言うてんの。あんた、今自分がどんな顔してるから分かってる?いっつもエネルギッシュに仕事してるくせに、今はパーティ準備で、あんたが大好きな仕事をしてるってのに。今にも消えていきそうやわ。」
「・・・・・・。」
「ちゃんと愛情表現して、確認して、満足してへんから、そんな風に思いを飛ばしたりするんよ。ちゃんと満足してたら、そんな顔もせんし、欲求不満状態になることもない。」
「・・・・・・欲求不満て。」
「しかも、きっとあんたの旦那さんのせいやないよね。あんた自身に問題があるんやろ。だからそんな、もどかしい顔してるんやろ。」


 鋭い。
 やっぱりマリノアはアタシの親友で、長い間の親密な関係は伊達じゃない。アーヴァインのことを良く理解している訳ではないくせに、ずばりと正鵠を得た。
 そう、この問題に関しては、アーヴァインには何も問題はない。ほぼアタシの問題だ。彼は、ただ優しくアタシを甘やかし、そしてアタシの希望を汲んでくれているだけ。今の現状も何もかも、アタシが望んで彼が譲ってくれた結果。アタシの望む通りのものが、今ここにある。
 そのはずなのに。どうして。
 どうして、こんなに寂しいと。こんなに切ないと。会えなくて辛いと。そう思ってしまうのだろう。


 アーヴァインはいつも、アタシを甘やかす。
 アタシは、それを当たり前だと思っていないか。甘えてるんじゃなくて、甘ったれてるだけなんじゃないのか。そういう不安は、いつもある。
 アーヴァインは、アタシのことをすごく大切にしてくれるから。とても気遣ってくれるから。そして、それはまるで水のように自然に、当たり前のように行われるから。いつか、気づかずに通り過ぎてしまうことがありそうで、怖い。大切にされること、それが当然だと思いたくはない。


 離れていると、決まってアーヴァインのことを思う。
 それは寂しさだったり、切なさだったり、嬉しさだったり、暖かさだったり。その時々に与えられる感情は違うのだけど、必ず彼はアタシの心の中のどこかにいるのだった。時計を見たときはもちろん、何気なしな行動のついでに、または眠る寸前まで。どこにいても、今は彼は何をしているのだろうと、アタシが彼と一緒にいたら何をしてるだろうと、そんなことを思う。
 不思議だ。


「アタシ、ここにいて仕事するって、自分で望んだのに。何でやろ。何気ないときに、アーヴァインのことが浮かぶんよ。
 アタシの身体はここにいて、それはアタシがそうしたかったからなのに。ふとしたときに、心だけ飛んで行きそうになる。」
「・・・・・・旦那さんのところに?」


 そっと尋ねたマリノアに、アタシは何も言わなかった。そんなアタシに、マリノアは苦笑する。


「そんなん当たり前の話やないの。だってあんたら夫婦なんやし。あんたの心の一部は、確実に旦那さんのとこにある。それで当たり前やろ。
 それから自由になりたいんやったら・・・、そうやね。その心の一部を旦那さんから取り返さなあかんね。せやないと、ずーっと、無くした欠片を求め続けるままやろう。」
「・・・・・・そんなん、無理や。」


 マリノアの言葉に、アタシは首を振るしかない。
 アタシ、そんなの出来そうにない。嫌だ、それは絶対にしたくないの。
 彼のアタシを呼ぶ言葉。アタシに話しかける声音。アタシに触れる時の、大きな暖かい手。紡がれる吐息。ぽんぽん、とアタシの頭に手を置く些細な仕草さえも。彼の何もかもが、アタシの心にも体にも、当たり前のように馴染んでしまっている。もう、手放すことなんて、考えられないくらいに。
 ーーーーーそう、アタシはこんなにも。こんなにも、アーヴァインのことが好きなのだ。


 俯いて、そしてぽつり、と零す涙を隠した。だけど、それはマリノアにはバレバレだったみたいだ。頭上で、空気を震わせるような苦笑が聞こえる。


「泣くくらいなら、旦那さんのとこ行けばよかったやん。」
「それも無理。」


 無理、なんだ。どうしても。
 だってアタシは、やっぱり仕事もトラビアも捨て去れないのだから。この心は、大事な人の傍にいたいと思うのと同じくらいに、自分が生きがいとしている仕事をしたいと。大切な故郷をこの手で守りたいと、そう願ってやまないのだから。
 アタシから仕事取ったら、なんにも残らない。仕事してないアタシなんて、考えられない。いつまでもくるくると忙しそうに働く、それはアタシの夢でもあり生きていく術でもあった。仕事を辞めたとたん、きっとアタシ萎んで枯れてしまう。そんな予感はある。
 それなのに。


「もう、どないしよう、アタシ。」


 アタシ、こんなに自分が弱いなんて思わなかった。
 こんなに自立出来ていないなんて思わなかった。
 アーヴァインに依存してしまってる自分なんて、そんなのダメなのに。甘やかされるばかりじゃなくて、彼を甘えさせてあげたいのに。それなのに、アタシは自分ばっかり。


「・・・・・・もう、じれったいなあ。」


 マリノアはそうイライラしたみたいに言った。アタシが顔を上げ、キョトン、とマリノアを見つめると。マリノアは苦笑しながら、アタシの目元を乱暴にゴシゴシと拭いた。


「そんな、兎みたいな目しとったら、皆が心配するやろ!もう、泣かないの。私が、プレゼントあげるから。」
「へ?」


 マリノアはそう言うと、懐から携帯電話を取り出した。ピピピっと電話帳を暫く検索して、それからようやく目当ての番号を見つけたみたいで、それを押す。そして、発信している携帯をアタシに手渡した。アタシはその番号を見て、目を剥いた。これは、アーヴァインの仕事用携帯の番号だ。マリノアはガーデンの仕事をしているから、アーヴァインの仕事携帯の番号を知っていてもおかしくはなかった。
 アタシがワタワタしている中、相手の携帯が通話になり、電話向こうから柔らかで多少他所行きの彼の声が聞こえる。


「もしもし?」
「・・・・・・。」
「もしもし?アーヴァイン・キニアスですが。どちら様?」


 アタシ、何て言ったら分からなくて、アワアワしながらマリノアを見る。マリノアは早く出ろ、とアタシに親指を突き出した。返事のない電話に、さらにアーヴァインの声が不審の感情を載せてくる。アタシ、何て言ったらいいのか全然気持ちの整理なんてついてなかったけど、それでも切られてしまうよりはマシだと思って、電話に出た。


「・・・・・・アタシ。セルフィです。」
「・・・・・・えっ、セフィ!?」


 アーヴァインが、声のトーンを上げた。心底驚いているんだろう。アタシが仕事中にアーヴァインに電話かけることなんてない。何て言ったらいいんだろう。正直に、マリノアが勝手にかけた、と言ってしまおうか。でも、アタシの名前を呼んだ彼の声が、驚きとともに歓びをも含んでいたから。アタシ、彼をがっかりさせてしまいたくなくて、そのことについては何も言わなかった。
 やがて、電話越しからも漏れ聞こえてきたガヤガヤとざわめいていた音。それが遠ざかって、静かになる。多分アーヴァインはパーティ会場を抜け出してくれたんだろう。きっと、ううん絶対そう。アタシも、そっとパーティ設営会場から抜け出してバルコニーへと向かう。そんなアタシに、マリノアが頑張れって笑いながら手を振ってくれた。アタシは、少しだけこくり、と頷いた。


「セフィ、どうしたの?電話なんてまさかかかってくるとは思わなかった。」
「・・・・・・ごめんね。忙しい時だよね。そっちはもうじき日付が変わるもんね。」
「ううん〜!ナイスタイミングだよ。今セフィの声が聞けて、僕すごく嬉しい。」


 声だけだけど、アーヴァインが満面に嬉しそうな感情を隠さず笑っているんだろうな、っていうことはアタシにも分かる。アーヴァインは犬みたいに素直だ。自分の感情を隠さない。嬉しいことがあれば正直に嬉しいと言う。アタシが邪推する隙間なんか与えない程に、ストレートにアタシに気持ちを伝えてくれる。
 ーーーーーアタシ、アタシもそう出来たらいいのに。
 そう思う気持ちは確かにあるのに、それでもアタシはただ言葉を見つけられずに口を噤んで立ちすくむだけ。情けない。
 アーヴァインはそんなアタシに慣れっこなんだろう。アタシの返答がないことにも気にせず、呑気そうに話を続けてきた。


「こっちはね、後1分で年明けだよ。」
「うん。アタシんとこは、今年明けパーティの準備真っ最中。」
「そうだよね。ねえ、電話してきて大丈夫なの?暇あるの?」
「少し位は大丈夫だよ。」
「ならいいけど。セフィはいつもこういうイベントものとかって一生懸命になるからさ、今だってかなり忙しんじゃないかなって思ったんだけど。大丈夫ならいいや。」
「うん。」


 交わす会話は、いつもの言葉。話したいことは色々あるのに、そのどれもが言葉にならなくて、アーヴァインが告げる言葉に受け答えしているだけ、みたいな。
 何て、言ったらいいんだろう。
 何て、告げればいいんだろう。
 アタシの中を埋め尽くすような、まるで嵐みたいな感情。ただ好きだと、そう言うだけじゃ足りない気がする。アタシは、それにふさわしい言葉を持たない。だったらそれに近い言葉をたくさん紡げばいいのに、その勇気すら持たない。
 やがて、新年を告げる鐘の音が電話向こうから聞こえてきた。新年の挨拶をお互いに交わす。挨拶に紛れさせ、まるで何でもないことのようにアーヴァインはアタシを好きだ、と言った。その言葉にうっと詰まって、そして真っ赤になる。アタシも、と告げようとしたけど、真っ赤になった顔と心は、アタシの唇を硬直させてしまった。結局何も言えず、ただ沈黙が過ぎ去るばかり。


 ああ、アタシ、本当にどうしようもない。
 こんなアタシのどこが彼はいいんだろう。分からない。長年過ごして、これからも一緒に過ごしてもいいと思ってくれるほど、アタシに魅力なんてあると思えない。簡単な言葉すら、簡単に言えずにモヤモヤと押し黙る狡いアタシなんて。
 やがて、彼はいつもどおりの優しげな声で、電話を切ることを切り出した。


「じゃあ、僕もそろそろ戻らなきゃ、かな。そろそろこっちの皆とも挨拶しないとね。」
「・・・・・・。」
「じゃあね、セフィ。電話かけてきてくれて嬉しかったよ。」


 そのまま、プツっと通話ボタンを押してしまいそうな雰囲気に、アタシ思わずトラビア弁で止めてしまった。アーヴァインが訝しげにアタシに問いかける。アタシ、こんな、何も言えないまま何もしないまま、ただ彼からの言葉だけ受け取っておしまい、なんてしたくない。さっきからアタシの気持ち、やっぱり寂しいとか、年の始まりにはアーヴァインの声が聞きたかったとか、そういうこと何も伝えてない。時間も、チャンスもいっぱいあったのに、何一つ出来てない。
 アタシ、自分が遣る瀬無くて溜息をついた。


「・・・・・・アタシ、もうホンマどないしよう・・・・・・。」
「セルフィ?どうしたの?」
「アタシ、アービンと結婚して弱くなった。自立出来なくなった。こんなんダメなのに。」
「え?言ってる意味が良く分からないよ、セフィ?」


 アーヴァインが困惑の色を滲ませながら、アタシに心配そうに尋ねる。やっぱりアタシはアーヴァインを心配させてばかりだ。


「今電話したのも、アタシがアービンの声聞きたかったからなの。アービン今忙しいって言うの分かってるのに、自分だってやってることだからどれだけ大変かとか知ってるのに。それなのに仕事携帯にまで電話かけて。アービン優しいから何も言わないけど、アタシ、狡いんだよ。声聞きたかったくせに、何もまともなこと言えないで、アービンがくれるものばっかり欲しがって喜んで。」
「セルフィ。」
「今年は、アービンと結婚して初めての年越し、だし。今までみたいに何もなし、っていうのが何だか変に虚しくて。だから電話かけたのに、アタシったらやっぱりアービンからもらうばっかりで、何もアービンにあげられない。せっかくの年越しなのに。」
「・・・・・・セルフィ。」


 一度、口にしたら。そしたら止まらなかった。
 アタシの中でもやもやと渦巻いていたいろいろな感情。それは昏くて澱んでいて、そんなもの、他人に聞かせるべきではないのに、アタシは結局包み隠さずに言ってしまった。アーヴァインが、ホンのわずかの沈黙のあとに、アタシの名前を呼ぶ。その声は深くて静かで、何というか妙に男の人っぽかった。アタシ、ドキリと胸が鳴るのを覚えた。


「セルフィ、僕に会いたかった?」
「・・・・・・うん。会いたかった。」
「僕も会いたいよ。でも、今ここにセルフィいたらやばかったなあ。周りを気にせず押し倒しちゃいそう。」


 アーヴァインは、静かに、真面目な声でアタシにそう告げる。彼は怒ってはいなかった。トラビアとガルバディアで離れて年越しを迎えることを選んだのは君だろう、そう言って責めることもしなかった。ただ、アタシの気持ちを聞いて、まるでそれが歓びであるかのように受け入れる。
 結婚するときに言った、アーヴァインの言葉を思い出した。
「僕を一番、なんて思おうとしないでいいよ。」
 貴方が欲しいの。貴方が大事なの。だけど、貴方しか要らない訳じゃないの。貴方が全てではないの。そういうアタシの本音をアーヴァインは理解して、それでいいと言う。いっそ、「そんなに気の多い女は要らない」と棄ててくれれば。もしくは、「自分だけを見て」と縋ってくれたら。そしたらアタシは、きっとアーヴァインと一緒にいようなどとは思わないのに。これから長い人生を、共に過ごしたいなんて思わないのに。
 けれど、彼はそうさせてはくれないのだ。自分の気持ちを押し付ける、そんなことをしない人だから。ただ水のようにさらさらと流れて、そこに留まることがないように自然に振る舞える人だから。他人に優しく、己に厳しいから。
 アタシは、浮かんでは落ちてしまいそうになる涙を必死で堪える。アーヴァインといるようになって、アタシは泣き虫になった。アーヴァインのくれる言葉が、仕草が、行動が、優しさが。それら全てがあまりに綺麗だから、アタシの涙腺は自然に緩んでしまうんだ。


 電話向こうで、アーヴァインがウキウキとトラビアに来る計画について話している。楽しそうに話してくれる声を聞きながら、アタシやっぱりこそりと涙を流してしまった。でも、今目の前にアーヴァインはいないもの。少しだけなら、いいよね。悲しくて泣いているんじゃないもの。心が震えて、嬉しくて、自然に出てきてしまったものだもの。だから、いいよね。


 ふとバルコニーの扉越しに、パーティ設営会場を見た。デザートブッフェの辺に、妙にでっかい噴水みたいなものがある。そういや今年はチョコレートファウンテンをやるってマリノアが言ってたっけ。アタシはそれを見て、アーヴァインがこちらに来たら、アレを思いっきり食べさせてやろう、そう誓った。後から後から溢れて止まらないチョコレートの甘さで胸やけしてしまえばいい。そうしたら、アタシをいつも悩ませている幸せと辛さを、きっとアーヴァインも知るだろう。


「会ったときには、チョコレートたっぷり用意しておくから。食べてよ?」
「うん?分かった。」
「じゃあね。」


 アタシの言葉の意味、アーヴァインは良く分からなかったようだ。アタシはくすりと笑みを零して、パチンと携帯を閉じた。




end.