ゼラニウム





 今にも降ってきそうな曇り空。快晴の日ならば未だ高い位置に太陽が輝いているは
 ずの時間なのだが、厚く重なり合った雲が太陽の光の大半を遮断して地上は薄暗い。
 傘は一応持ってきてはいるものの、折り畳み傘では何とも心許ない。頼むから『こ
 れ』が終わるまでは降り出さないでくれと空に心の底で願うばかりだったが、やはり
 霧雨が降り出して、やがて小降りの雨に。小降りの雨はだんだんと勢いを増し、大降
 りの雨へ。
 遂に降り出した。
 SEEDの正装に雨の滲みが広がり、もともとの生地の色の濃い灰色は黒へと見る
 間に変化した。折り畳み傘を差すが左肩がはみ出てしまう。
 そのまま雨の滲みは広がって左腕全体を真っ黒に染めていく。染み込みきれなかっ
 た雨粒が拳を作った手の甲の腱を辿って薬指の指輪を辿って、中指と薬指の間を滑り
 落ちていく。握りすぎて儀式が始まる前に渡された親指ほ爪ほどの白いランプの
 シェードの様な形をした小さな花をつけてひょろりと湾曲した茎が3本、まとめて手
 の中で異様な形にねじ曲がっていた。
 神父の合図と共にその花を棺の隙間から放り込む。中を見るとしわくちゃになった
 やけに細く節だった生気が失せて白くなった水仕事なんて知らないような手の平と指
 が見えて、その周りにはさっき放り込んだ花ばかりが山ほど入っていた。
 最後に神父が祈りの締めくくりの言葉を声高らかに言い、彼女の名前を呼んだ。一
 人が蓋を閉められ永遠に目覚めることが無いであろう彼女の体は地中深くに埋められ
 ていく。土が覆い被さり、棺が見えなくなる頃になると、何事もなかったかのように
 周りで黒い傘を差していた人間が雨が当たらない場所求めて一斉に移動し始めた。
 その一団の流れに乗って、折り畳み傘も移動し始める。





 自分の部屋に帰ってきたのはもう日にちが変わってからだった。廊下であまり靴音
 が響かないように細心の注意を払い、そっと自室の扉を開けて電気を付けようとした
 瞬間、先にスイッチに他の人間の手が伸びる。
「まだ起きてたのか。」
  妻、リノアの手だった。その手にはおそろいのシルバーのリングがある。寝ない
 でスコールが帰ってくるのを待っていたのだろう、大きな欠伸を一つ。
「どこ行ってたの?どうして朝何も言ってくれなかったの?スコール居なかったから
 すごく心配したんだよ?」
  普段、仕事上あまりスコールの行動全般に口を出さないようにしているリノアが
 ここまで追求してくるのは珍しい。本人が言っている通り、それだけ心配したんだろ
 う。やはり出かける前にメモではなくちゃんと言った方が良かったんだろうか。しか
 しリノアの場合、言っても寝起きは覚えている事の方が少ないのだが。
「それにそんなに濡れて。お仕事あるのに風邪引いたらどうするの?何にも言わな
 かったことはもう良いから早く着替えて?」
  ね?と言い、首を傾げる癖や、ちょっとはにかんだように笑うのは出会った頃と
 なんら変わりはない。ただ少しお互いに踏み込んだ。相手の心の奥底に。
 真っ白な清潔そうなバスタオルと引き替えに今まで着ていた服をリノアに渡す。上
 着を脱ぐとその下のシャツまでもが湿っていた。そのままリノアに玄関先でシャツま
 で剥ぎ取られる。
「………あれ?」
  なんだろ。なんか入ってる…花?
 彼女が取り出した白いハンカチの中にまるでご大層に包まれているが如く紛れ込んで
 いたのはまるで御伽の国にありそうな白い小さな小さな丸いランプシェード。
「すずらん……」
  とお塩?
「スコールお葬式行ってたの?」
  軽く頷くとそのままバスタオルで頭を拭く、というよりは水気を飛ばす。もう今
 日は何も聞かないと意志を込めて「おやすみ」と言い放ち、リノアを寝室に引きずり
 込む。とりあえず今日はもう彼女についての話はしたくなかったので。
  リノアはどうしても聞きたそうな顔をしていたが、昔話をする根気も無いくらい
 憔悴しきっていたのを察して何も聞いてこなかった。リノアのこんな些細な心遣いに
 いつも助けられる。





 薄曇りの朝。もう雨は降っていない。
 が、やはり窓から覗く空はどこが低く、威圧感があった。天気予報では今日の午後
 からまた雨が降るらしい。
 腕の中で未だ眠っているリノアに彼女のことをどう説明すればいいのか、スコール
 は静かに考え込んだ。そして考えている間にいつの前に起きて眉間に人差し指を当て
 てきた彼女にこう、切り出した。








 昔、魔女戦争のもっと前。
 SEED候補生の男の子が訓練中に大けがをしました。しかし、その男の子は課題
 の途中だったので、ガーデンの外にいました。しかも上級生が同行していなかったの
 で、だれも助けには来てくれません。モンスターがいつどこからでてくるか分からな
 い渓谷で、大の字で寝そべる少年は無防備でした。武器は一応持っていましたが、あ
 の大きなガンブレードを振り回すだけの力がもう腕に残っていませんでした。
 そこに一人の淑女が乗った車が通りかかります。淑女は、その少年を助けてガーデ
 ンまで送ってあげました。そしてそのままエマリィ、というファーストネームだけを
 言い残してまたどこかへ行ってしまいました。
 少年は律儀だったのでお礼がしたかったのですが、彼女のファーストネームしか知ら
 ないため、なかなか彼女を捜し出せませんでした。
 でも、彼が大きくなって、大きなポストに就いたとき、あの淑女から手紙が来まし
 た。淑女は必ず誰に手紙を書くときも、白い花を添えます。彼に来た手紙にも白い花
 が添えられていました。そして丁寧な字で書かれた手書きの手紙はとても短かった。
 十行たらずの手紙を貰ったのは少年は初めてでした。
 けれどたった数行の中には思いが詰まっていて、少年はその手紙がとても嬉しかっ
 た。



「大きくなりましたね。
 あの時助けた小さな少年がこんなにも大きくなるとは思ってもいませんでしたよ。
 また、
 時間が出来たら、
 顔を見せにいらしてくださいね。
 毎日が暇ですから、
 いつでも、
 いつかお越しになってくださいな。
 それまで長生きして楽しみに待っていますよ。


 Emally M olscen.」



 しかし、彼は大きなポストについていたのでなかなか彼女の元を訪れる事が出来ま
 せんでした。そしてその間に彼女は病気に掛かりました。
 病気は彼女の体を蝕んでいきます。
 彼女は遠くのある町の地主でした。しかし彼女はみんなから変わり者だと言われて
 嫌われ者でした。
 だれもお見舞いに来ず、彼女は寂しかった。
 そして彼女は長い闘病生活を冬の一番寒くなる少し前に終えました。病気に負けたの
 です。そして彼女は死ぬ間際、彼女は自分が産んだ時に死んでしまった子供の変わり
 に養子の娘にこう言いました。
 私が死んだら沢山スズランを棺に入れてね。もしかすると誰か一人は気が付いてくれ
 るかもしれないからね…。
 そしたらそのときは…。
 その先を彼女の声で聞くことはできません。彼女はひっそりと安らかな眠りについた
 のです。
 彼は結局生きている彼女と会話を交わすことが出来なかったのです。彼には訳の分からない後悔だけが残りました。
 そして昨日、雨の中、彼女の葬式は身内と部外者を一人でひっそり
 と行われました。
 彼女の死に顔はとても綺麗でした。
 彼女の顔を見たのは彼にとってそれが初めてでした。
 そして彼は式の途中一言も発しなかった。ただ心の中でありがとうごめんなさいと繰りかえし続けました。
 一人にしてごめんなさい。
 あなたがつらいときに気が付かなくてごめんなさい。
 つらくて泣きそうになってるときに自分はあなたのために何もしてあげられなかった。
 ごめんなさい。
 ありがとう。
 ごめんなさい。
 ありがとう。 







 話し終わったあとで一息つくと急に耳鳴りがした。
「スコールは今も辛い?」
「いや、でも彼女が死んだことをママ先生から聞いたときは正直辛かった。」
 待たせるだけ待たせておいて、結局彼女にこんな形で会いに行く自分が辛くて、悲しかった。
祟られてもいいとさえ思った。もしかすると俺は彼女に許して欲しかったのかもしれない。
「許して欲しかったのかもしれない。」
 そう、と目を細めて微笑むリノアの顔が彼女と重なって、また耳鳴りがした。
「ねぇ、スコール。すずらんの意味知ってる?」
「………スズランの意味?」
 リノアは小さく頷く。漆黒の髪がさらさらと腕から落ちて布団の上に散らばる。そ
 のモノクロのコントラストが美しかった。
「知らない。」
「君の幸せを願う。」
 いろんな人に幸せになって欲しかったんじゃないかな。
 自分は嫌われても、みんなは幸せに。前向きに生きて。
 そう彼女は願い続けていたのかもしれない。
「こじつけかもしれないけどね。」
 えへへ、とはにかんで笑う彼女が愛しくて、エマには悪いが、幸せだと思った。
 エマが本当にそう思っているのなら、俺はこの幸せをかみしめて生きなければと思
 う。
 自分に与えられた幸せの分量があるのなら全部使い切ってから死んでやろう。
 俺は動けなくなってから後悔するのは嫌だから。
 今この幸せをかみしめて。







  もしかすると、あのすずらんは彼女に捧げた花、ではなく彼女から捧げられた
 花、なのかもしれない。
  最後の最後、彼女がこの世からいなくなっても、彼女は最後までみんなの幸せを
 祈り続けたのだ。なんの見返りも期待せず。ただ、ひたすらに。
 なんて力強い生き方だろう。リリカルでも、センチメンタルでもない。ロマンチッ
 ク?…ちがう。
「ハードボイルドだな。」
 そういうと、首元でリノアが微かに笑う気配がした。ぎゅぅと抱きしめて抱きしめ
 返されることも幸せだと思った。
「ハードボイルドだね。」
 指一本一本の存在が分かるほど強く抱きしめても、リノアは痛いとか、苦しいと
 か、いつもなら言うはずの文句の一つも言わなかった。変わりに「健康で良かった
 ね…」と呟いた。
 あぁ、ほんとうによかった。健康で。指でリノアの髪の毛を梳くとリノアの髪の毛
 の感触がはっきり分かること。体のパーツが全部揃っていること。リノアとベットで
 寝そべっていること。仕事が出来ること。セックスができること。食べるもの全ての
 味がちゃんと分かること。友達や仲間がいること。
 その何気ないこと全てが幸せだった。







 後日、リノアに花の鉢を送った。
 その花の花言葉は「君ありて幸福」。









***

いそあより。
みかんさまからの頂き物です(嬉)!
ずいぶん前にみかんさまから創作をいただける約束をひっそりしてまして。
それでわざわざ作って送ってきてくれたのです!!感謝ですーvv


ご本人は「暗い」とかおっしゃっていましたが、なんのその。
わたしはこういう話大好きです!!
何気ないことで日々の幸せを噛み締めるなんて、まったく素敵なことだと思います。
そういう人生を送れている二人が穏やかでいいなあと思いました。






ではでは、みかんさま。
素敵創作有難うございました!!