君も、もしかしたら俺も。
 嬉しいときに染まる色はきっと、こんな風に優しい色。



****薔薇色のタマゴ




 かちり、とエッグの繊細な留め金を外して、リノアは中をまた開けてみた。中に詰め込まれているのは小さな可愛いチョコレート。蝶々の形をしたものをひとつつまみ出して、包装の銀箔をするりと剥いて口に放り込み、うふふと微笑んだ。またそっと殻を閉じて、かちりと留め金をかけた。乱暴に扱うと、繊細な音を立てて粉々に砕けそうだ。リノアは知らず知らず慎重に触れて、それからまた机の上に頬づえついて、エッグを眺めていた。
 ピンクの薄い殻に、たくさんの小花が散らしてある。春の訪れをそのまま愛らしく表しているような卵。小さな無数の宝石が煌いて、まるでこの世のものとは思えないほどきらきらと輝いている。こんな可愛くて綺麗な卵の入れ物、初めて見た。あまりの綺麗さに、最初見たときは言葉に詰まったほど。どこでスコールがこの卵のことを知ったのかは知らないけれど、自分の好みにぴったりな贈り物に、リノアは嬉しくて嬉しくて、どうにかなってしまいそうだった。


 そういえば、今年の誕生日前。スコールに何が欲しいか聞かれて、「何でも良いよ」なんて答えたんだっけ。ふと、リノアはそのことを思い出す。本当に欲しいものが思いつかなくて、スコールが選んでくれたならきっと何だって嬉しいに決まってる。そう思って、そんな返事を返したんだけれども。そのとき、スコールは少しだけ難しそうに眉を顰め、でもリノアの言葉に文句を言うこともなくただ、「そうか。」と頷いた。だから、リノアは、スコールが一体どんなものを誕生日にくれるのかしら、そう思って密かにドキドキしていたのだった。
 もしかしたら、何も欲しいものがないなら誕生日プレゼントはなし、そんなことになるかもしれないななんて思ったりもしたんだけど。まあ、それはそれで良かったんだけど。でもそれでも、スコールなりに色々考えて、きちんとプレゼントを用意してくれたこと。それがすっごく嬉しかった。このエッグも嬉しかったけれど、それ以上にこれを買おうと考えてくれたスコールの心、それがわたしにとっての最高のプレゼントだわ。


 そのとき、がちゃり、と寝室のドアが開いた。スコールが髪の毛をがしがしとタオルで拭きながら入ってくる。寝室のサイドテーブルにエッグを置き、それを頬杖ついて眺めているリノアの姿を見て、少しだけ彼は瞳を細めた。スコールが入ってきたこと、それにリノアは気づいて振り向き、そして小花が零れ落ちるかのように笑った。


「それ、気に入ったなら良かった。」
「うん。すっごく綺麗。わたし、こんな繊細な細工の卵の入れ物、はじめて見た。スコールはどこで知ったの?」
「前に、ブータ伯爵の屋敷に呼ばれたときに見たんだ。これよりずっと豪奢な装飾がついていたものだったが。ブータ伯爵の祖母君が、トラビアからわざわざ取り寄せた、とか。」
「ああ、なるほど。ニックは綺麗なものが大好きだもんね。」
「・・・・・・。」


 何でもないようにリノアはそう納得した。しかし、スコールは少しだけ苦虫を噛み潰したかのような顔をしている。エッグを見せてもらったときのブータ伯爵とのやりとりを思い出したのかもしれなかった。
 ニコラス・デ・ブータ氏はドール大公国の伯爵で、アルスの同級生でもあり親友でもある人物だ。あの性格の悪い男に友人、というのはおかしな話なのだが、アルスの底意地悪さを全く気にしない、という点でブータ伯爵は確かにアルスの友人の資格は十分にあった。そして、悪い人物ではないのだが、ブータ伯爵も相当にアクのある人物で、そういう意味でも確かにアルスの友達というのが納得、ではあった。
 むっすりとしているスコールに、リノアがくすくすと笑って問いかけた。


「なあに、スコールはニックにまた濃厚な接待でも受けたのかな?」
「・・・・・・あまり思い出したくない。その話はするな。」
「ニック、綺麗なものが大好きだから、スコールのことも大好きなんだよ。初めてスコールに会ったとき、すっごく感動したらしくて、わたしにながーい詩を送って来てくれたよ。スコール・レオンハートの美を称える詩。」
「やめてくれ。」


 くすくすと笑いながらベッドに寝転がるリノアに、スコールはさらにいっそう眉間の皺を濃くした。それでもリノアはおかしそうに、きゃらきゃらと笑いながら言葉を続ける。


「すっごく濃密な愛情表現に満ちた詩だったんだよ?読みたくないの?」
「読みたくない。」
「即答だね。わたしは感動したんだけどなあ。スコールのこと、綺麗な言葉でいっぱい語ってあって。わたしもそういうの書けたらなあってちょっと思ったの。」
「マジで、やめてくれ。」


 少し夢見がちにそんなことを言うリノアに、スコールはさらにむっすりとして。頭を拭いていたタオルを放り投げてからベッドで寝転がるリノアの横に座った。スコールが腰掛けると、きしり、とベッドが軋む。シーツが彼の重みで皺になり傾いた。リノアはスコールの傍にころん、と転がる。それは傾いたベッドのせいか、それとも彼女がスコールに近づきたかったからか。それは分からないけれど、手が届くすぐ傍にいるリノアに、スコールは少しだけ微笑んだ。
 リノアもそれを見て、にっこりと笑う。そっとスコールの手をとった。自分の手とはまるで違う、大きな骨ばった手。


「彼が何気なく手を振る。その仕草に私は極上の音楽を感じる。
 白皙の繊細な指が奏でる音楽に、私は甘美な陶酔に浸る。それは、神から与えられた至福のとき・・・・・・。」
「リーノーア!!」


 スコールの指に自分の指をそっと絡めながら、リノアは言葉を呟いた。それはいつもの彼女が言うようなものではなくて、酷く耽美でぞわぞわするようなものだった。リノアの意図を察して、スコールは絡められた指ごと握り締め、リノアの上に覆いかぶさった。リノアはおかしそうに笑っている。やっぱり、俺をからかってたんだな。そうスコールは理解して、リノアの額に自分の額をつけた。瞬間、リノアが少しだけ頬を染めたような。そんな気がした。


「あは、やっぱり分かっちゃった?」
「そんな詩、覚えなくて良い。気持ち悪い。」
「素敵なのに。」
「素敵じゃない。」


 むっつり、とそう嫌そうに答えるスコールに、リノアは笑った。笑うなよ、と睨むと、リノアは少しだけ困ったかのようなそんな顔をして、それからスコールの眉間にそっと触れた。


「リノア?」
「ここの傷、前より大分薄くなってきたけど・・・・・・、でもやっぱり残っちゃったね。」
「ま、仕方ないんじゃないか?」
「スコールってば、すぐに眉間に皺よせるから。今もそう。」
「今のは、リノアのせいだぞ?」
「わたし?」
「リノアが、恥ずかしい詩とか読み上げるからだ。」
「恥ずかしくなんかないと思うんだけど・・・・・・。」
「俺は嫌だ。」


 えー、と口を尖らせるリノアに、スコールは苦々しく呟いた。その表情は、彼が心底嫌がっているということをリノアに告げる。さすがにリノアは、それ以上口にするのは止めておこう、そう思った。
 スコールが、さわり、とリノアの髪の毛を撫でた。まだ少しだけ水気を含んでいる。彼女はいつもドライヤーをかけなかった。洗いざらしの髪をそのまま、自然に任せて乾かしている。だからだろうか、彼女の毛は痛むことなど知らぬように、いつも黒々と艶めいていた。
 触れた髪の毛の、僅かな水気。それが、風呂から出たばかりの自分には少しだけひんやりとしていて気持ち良い。スコールは一掬い、髪の毛を手に取ると、それに頬を寄せた。


「ん・・・・・・っ、スコール?」


 少しだけくすぐったそうに身を捩るリノアを知りながら、スコールはさらにリノアの髪の毛の先に口付けた。さらに、ふわり、とした吐息が聞こえた。こんな場所に感覚なんてないだろう、それでも自分がした行動に確かに反応を返すリノアが、無性にいとおしかった。
 スコールが、瞳を閉じたまま、言葉を紡ぐ。


「その漆黒の絹糸は、私に絡みつき、心の鍵を奪い去る。
 私は手を伸ばし、それを取り返そうとするが、漆黒の流れは私の手からするり、と逃げていく。
 まるで触れてはならない禁忌のもののように。私を惑わすだけ惑わす癖に、私に捕まろうとはしてくれない。
 嗚呼、何と悪戯な小悪魔の所業であろう・・・・・・・。」
「ちょ、ちょっとスコール!!」


 リノアの切羽詰った声に、スコールは言葉を紡ぐのを止め、そしてまた額をつけてリノアを見た。リノアが真っ赤な顔をしてうー、とこちらを睨んでいる。少し潤んだ瞳と、額からも伝わる熱すぎるほどの熱。それがたまらなくおかしくて、スコールは思わず吹き出して笑ってしまった。さらにいっそう眉を顰めて、リノアが唸った。


「俺の気持ち、分かった?恥ずかしいだろ。居心地も悪いし。」
「ん。ごめんね。
 でもさっきの言葉。あれ、ニックの詩?」
「いいや。俺が考えた。」
「・・・・・・!!」


 意外な返答に、リノアはさらに赤くなって、どうしようとじたばた暴れた。何でいきなり?そう訝しげに思ってスコールが首を傾げると、まるで林檎のように熟れた頬をしながらリノアは文句を言った。


「だってだって!!スコールがあんな言葉を自分で考えて言ったなんて・・・・・・!しかもわたしのこと!
 ものすごく恥ずかしいよ!」
「ブータ伯爵の恥ずかしい詩は年中聞かされてるから、雰囲気をまねるのなんて簡単だ。」
「そうだろうけど!でも、めちゃくちゃ恥ずかしい〜!
 スコール、さっきの言葉、そんな風にいつも思ってるわけじゃないよね?ただふざけて言ったんだよね?」
「いや・・・・・・、言葉を装飾してはみたが、意外に本音・・・・・・。」
「やだーーーー!!」


 ふむ、と言う風にスコールが肯定すると、リノアは目を見開いて、それから一言叫ぶとスコールからくるりと身を反転してベッドに顔を押し付けた。その格好のままじたばたしている。


 やだやだ、すっごく嬉しいけど、でもそれ以上に恥ずかしいよ!!


 普段スコールは言葉少なだし、あからさまに口説いたり褒めたり、そういうことをしない。だから余計に、さっき言われた言葉が衝撃的でどうにもならない。
 スコール、わたしのことあんな風に良く思ってるの?買いかぶりすぎだよ。わたし、そんなに魅力的な子じゃないよ。普通だよ。
 スコールのがずっと魅力的なのに・・・・・・!!


 やがて少しの時間が過ぎ去ってから。スコールの大きな手が、つっぷしてじたばたしているリノアの髪を優しく梳った。そして。


「リノア?」
「・・・・・・。」
「リーノア?」


 そう、囁くように。彼が何回も自分の名前を優しく呼ぶから。だから、リノアは振り向かずにはいられない。この声に逆らって、顔を背けたままでいること。そんなことは到底出来ない。どんなに照れくさくても。


 リノアは、そっとつっぷしていた顔を上げて、それからスコールに振り返った。先ほどからベッドシーツに顔を押し付けてじたばたしていたせいか、前髪はくしゃくしゃに絡んでいて、頬は擦れていた。その姿が、何だか酷く子どものようで。悪戯が見つかって罰悪く隠れていた子どものようで。スコールはやっぱり笑ってしまう。そのスコールの姿を見て、リノアはぷぅっとした顔をして睨んだ。


「やっぱり、わたしのことからかってる。」
「からかったつもりはないが・・・・・・でも、そうだな。笑うのは我慢する。」
「ありがと。」
「どういたしまして。」


 えへん、とリノアがそう謹厳な面持ちをわざと作って頷いた。それにスコールも神妙に答えた。それからスコールは一つだけ軽いくしゃみをする。あ、いけない。そう思ってリノアはスコールの髪の毛に触れた。まだ乾かされていない彼の柔らかな髪の毛は、十分に湿っていた。


「ごめん。すぐ乾かさなくちゃ、だね。風邪ひいちゃう。」
「寒いとは思わないから大丈夫だぞ。」
「でも、くしゃみしてたし。今日は帰り、雪まみれになって帰ってきたし。風邪引いちゃうんじゃない?大丈夫?」
「風呂入ったし、もう十分に温まったから。だから問題ない。」


 でも、と言いながらリノアはドライヤーを取ってこようとした。慌てたように上体を起こそうとする。しかし、スコールの手から逃れて起き上がろうとした瞬間。スコールの手によって再度ベッドに縫い付けられた。


「スコール?」
「乾かさなくて、いいよ。どうせまた風呂に入る。」
「それ、どういう意味?」


 目の前一杯に広がる、真剣なスコールの瞳に、リノアは首を傾げた。きょとんと、黒曜石の瞳がまあるく開かれている。
 変に鈍感で素直なところ。それは、やっぱり変わらないんだな。いくら時が経っても。
 スコールはそう思って、微笑ましく思い。そして、そっとリノアの唇に唇を落とした。ん、というリノアの声がする。その、唇が開いた瞬間に、スコールはそっと舌を潜り込ませた。一瞬だけリノアは身を固くしたけれど、すぐにスコールに舌を見つけられ思う様絡まされ、やがて次第に溶けていく。柔らかく舌が這わされるのに合わせるように、リノアからもそっと舌を絡まされて。スコールは心の中で笑ってから唇を離して、再度リノアの表情を額をつけて覗き込んだ。
 リノアは、頬をほんのりと薔薇色に染めて、スコールを見た。心なしか、瞳が靄っているような気もする。先ほどの赤さと熱とは明らかに違う、柔らかな色に染まるリノアを見て、スコールはさらりとまたリノアの髪の毛を撫でた。


「甘い、な。」
「さっき、エッグの中に入ってたチョコ食べたから。」
「寝る前のお菓子は止める、んじゃなかったのか?」
「今日はもらった日だし、特別。ね、電気消さないの?」
「消さない。」
「せめてフットライトくらいに落とす、とかは?」
「しない。」


 スコールの即答に、リノアはえっと言う顔をして、そして身をよじる。恥ずかしい?と尋ねると、こくりと小さく頷いた。まるで小動物、子猫や子犬のように頼りなげな仕草だ。だけど、リノアのお願いを聞いてあげるつもりはスコールにはさらさらなかった。


「さっき、俺が嫌だと言ってもリノアもやめなかったろ?だから、おあいこだ。」
「そんなの、全然違うじゃない・・・・・・!」
「違わないさ。俺もさっき、すっごく恥ずかしかった。」
「でもでも・・・・・・!」


 リノアは困ったような顔をして、ふるふると首を振った。いつもは仕方ないな、そんなことを思ってリノアの願いどおり明かりを落としたりするんだけども。今日だけは明かりをつけたままにしたい。いくらリノアが嫌がっても、明るい中で彼女を見たい。スコールはリノアの首筋を唇で下から辿り、そして耳元で囁いた。


「今日は、リノアの誕生日、だろ?」
「うん。」
「だったら、今日新しい年を歩みだすリノアの姿を、全部見たい。残すところなく、全て見たい。駄目か?」
「・・・・・・。」


 リノアはスコールの言葉に、少し逡巡する。彼に全て見られるのも、彼の手によって変化していく自分の姿をあからさまに見られるのも、とても恥ずかしい。あの蒼い瞳が全部見ている、そう思っただけで逃げ出したくなるくらい恥ずかしい。
 だけど、スコールが見たい、と言うのなら。スコールしか知らない、のならば。それだったら。
 そう思って、リノアは俯いて、それからそっとちいさく頷いた。その仕草に、スコールは微笑んだ。リノアの首筋、頬、全てが薔薇色に染まる。それはまるで、誕生日プレゼントにしたエッグと同じ色だった。


「どうしても恥ずかしいなら・・・・・・。」
「恥ずかしい、なら?」
「リノアは、俺を見ていれば良い。俺がリノアの全部を見ているように、リノアも俺の全てを見れば良い。」
「・・・・・・。」
「そしたら、同じだ。恥ずかしいのも、照れくさいのも一緒だろ。」
「うん。」


 スコールも少しだけだけど、何だか照れくさそうにそう言った。その言葉に、リノアは薔薇色に染めた頬を緩ませて、それから嬉しそうに笑った。スコールの白皙の頬も、心なしか薔薇色になっている。きっと、今恥ずかしいと思っている感情を2人、共有してるんだわ。そうリノアは思って、それから肯定の意を強くしてぎゅっとスコールの首に抱きついた。


***


「リノア、朝も過ぎたぞ。」


 そう呼びかけられた声で、リノアはとろとろしたまどろみから目を覚ました。ふ、と目を上げると、目の前にはスコールが頬杖を着いて自分を見ていた。もう片方の手で、しっかりとリノアを抱き寄せているままで。
 ぬくぬく、とした体温が気持ちよくて、リノアはさらにスコールに擦り寄った。まだ眠いわ、もうちょっとだけこうしていて・・・・・・そう言いたげなその仕草に、スコールはほんのりと微笑を漏らす。


「まだ眠い?」
「うん・・・・・・。」
「でも、もう昼近いぞ。腹減らないか?」
「・・・・・・うん・・・・・・って、えっ!?お昼!?」


 とろとろとまどろんでいたリノアは、スコールの言葉にはっと目を覚ます。辺りを見渡せば、部屋はカーテンが閉められているにも関わらず十分に明るい。それは太陽が天高く昇っているあかし。やだ、大寝坊!そう思ってリノアは慌てて身を起こした。はらり、と毛布が自分の身体から滑り落ちる。しかし室内は、やはり厳冬期のトラビアなのでかなり冷えていた。さきほどまでのぬくもりから急に、身が締まるほどの冷気を感じて、リノアはくしゃん、とひとつくしゃみをした。スコールは、リノアの手を引き、再度布団の中へと引き込んだ。


「何も着てないんだから、風邪引くぞ。今エアコンつけるから。」


 スコールの言葉に、リノアははっとして、そしてすすすと毛布の中に大人しく潜り込んだ。目の前にあるスコールの身体。それももちろん何も衣服を着けていない。先ほどまで恐ろしいほど気持ち良いぬくもりは、彼の体温と肌の感触から与えられていたのだった。そのことにリノアは思い至り、かかかっと頬を染める。
 するり、とスコールがまたリノアをしっかりと抱き寄せた。寒くないように、と配慮したのか、さすさすと背中をさすってくれている。暖かくてすべすべした感触は、やっぱりうっとりするほど気持ちよかった。リノアはまた自分の意識が遠のいていくのを感じて、いけないいけないと首を振った。


「ね、スコール。もうお昼って、スコール今日仕事は?」
「今日は休み。昨日休み取れなかったから、せめてもの情けで今日は休みにしてもらった。」
「・・・・・・良かったあ・・・・・・。スコールお仕事だったら、完全に遅刻・・・・・・っていうか半日サボりになっちゃうよね。奥さんとして大失敗だわ。」
「俺の遅刻は、別にリノアは関係ないだろう。寝過ごすのは俺の責任なんだし。」
「そんなことないです!ちゃんと旦那様を起こせていない奥さん、っていう評価が下るんですよ!ちゃんと朝起きて、朝ごはん用意して、送り出してって。これは奥さんの大事な仕事なの。」
「そういうもんか?」
「そういうもんです。」


 小首をかしげるスコールに、リノアはそう言って鷹揚に頷いて見せた。その仕草が何だか面白くて、スコールは少しだけ笑って、それからベッドから起き上がりガウンを羽織った。


「スコール?」
「今日は休みだし、俺がコーヒー淹れてきてやるよ。」
「え、いいよ。わたしやるよ?」
「リノアは誕生日だったし。俺がたまにやるのもいいだろう?それに・・・・・・。」
「それに?」
「いや、何でもない。」


 それだけ言うと、スコールは扉を開けて行ってしまった。何を言おうとしたのだろう?リノアは訝しく思いながら、そっと上体を起こし服を着ようとした。
 が。


「いた・・・・・・。」


 起き上がろうとして、下半身がまるで鉛のように重く感じられるのを実感した。だるい、重い、痛い。その感覚だけが妙にリアルだ。さっきスコールが言いかけて止めた言葉、それを理解してリノアは赤くなりながら再度布団に潜り込んだ。多分、ううん絶対スコールは分かってたんだわ。わたしは途中で何が何だか分からなくなって、後はもうあまり覚えてもいないけれど。でも絶対、スコールは翌日のわたしがどうなるか、分かってたんだ。
 顔をさらに赤くして、リノアは布団の中でまんまるになってじたばたする。口惜しい、恥ずかしい、嬉しい。色んな感情がごちゃまぜになって自分でも訳が分からない。ただ、じっとしていられないほどむずむずする。そのことだけ実感している。
 そして。
 今度はぐう、とお腹の音が盛大に鳴った。
 もうやだーーー!リノアはさらにいっそう身を丸くした。今ここにスコールがいなくて良かった。もしいたら、絶対笑われる。恥ずかしすぎる。
 しばらくじたばたしてから、そっとリノアは毛布からひょこんと顔を出した。カーテンをしているせいでほのかに明るい天井を見る。それから、あたりに散らばっている自分の水色の寝巻きをそそそと引き寄せて、こそこそとベッドの中で着た。
 服を着てから、ゆっくりと身体を起こす。やっぱり身体の節々がだるくて重くて痛いけど、でも服を着たら少しだけさっぱりした朝、を実感できた。ふわり、とコーヒーの匂いが漂ってくる。スコールはいつもネルでコーヒーをゆっくり落とすから、香ばしい香りがあたり一体に広がっていた。
うん、ゆっくり起き上がれば大丈夫。だんだん、強張った身体も慣れて動く。リノアはそう感じて、うーんとひとつ伸びをしてからベッドから降りた。そのとき、ふとベッドテーブルに置かれたエッグが目に入った。薔薇色の可愛らしいそれは、朝の光で見てもやはりとても可憐だった。すごく可愛い、と思う。けれどなんでスコールはピンクを選んだのだろう?リノアは少しだけ不思議に思った。


 かちゃり、と音がして扉が開く。スコールがコーヒーを2つ持ってきた。片方は彼好みのブラック、もう片方はカフェオレ。パジャマを着てベッドに起き上がっているリノアを見て、少しだけ眉を上げた。


「起き上がって大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫。コーヒーありがとね。」
「いや、それは良いんだが・・・・・・。そうか、動けるのか。」
「なあに?」
「何でもない。」


 何だ、と少しだけ面白くなさそうな顔をしたスコールに、リノアは不思議そうに首を傾げた。しかし自分が「何だ、なら昨日もうちょっとしても大丈夫だったんじゃ」とか思っていたことは、とてもじゃないがリノアには伝えられない。スコールは曖昧に言葉を濁して、ベッド脇のサイドテーブルにコーヒーを置き、ふわりとベッドに腰掛けた。


「どうぞ。」
「ありがとう。ん、美味しい。」
「そうか。」
「あ、そうだ。ねえ、スコール?」


 スコールに差し出されたカフェオレを一口飲んで、リノアはほっとしたかのようにへにゃっと笑った。それを見てスコールも穏やかな眼差しをしてから、自分の分のコーヒーを飲んだ。リノアの飲める、苦味がなくまろやかな味の豆は、寝過ごした昼間にはちょうどいい。
 コーヒーを飲んでいたリノアが、思い出したようにスコールに呼びかけた。何だ?と声に出さず、スコールは視線を向けた。リノアはそっと、エッグを掌に載せて光に透かすように眺めた。


「何でこのエッグ、ピンクを選んだの?」
「ああ、リノアは水色とか青とか、そういう色が好きなのに?」
「そう。わたし、普段あんまり自分でピンクのものを手に取ることはないよね。それ、スコールも良く知ってるのに、何でわざわざピンクを選んだのかなあ、って。」
「ピンクは嫌か?」
「ううん、とっても可愛いけど。でも、何でこの色選んでくれたのかなあって、ちょっと不思議に思って。」


 リノアの疑問は尤も、と言えた。普段リノアは、ピンクとか赤とか、そういう色をあまり好まない。髪が黒いし、あんまりそういう色似合わないの、そうかつて言っていたこともある。スコールの目からしたら十分似合うと思うのだが、それでも本人は寒色系の色を好むことが多かった。
 別にそれはそれで、スコールは残念だとか思ったことはない。水色はリノアのからりとした明るさや活発さを良く引き立てていたし、女子はピンクがいいとかそういう先入観を持っていることもない。だったら彼女の好きな空色のエッグを贈れば良いのに。しかし自分の目を引いたのは、このピンクのエッグだった。どうしてもこれを、リノアに贈りたかった。


 それは、多分。


「俺が思うリノアのイメージと、この色が同じだったからだ。」
「淡いピンクが、わたし?」
「そう。」


 ふむ、と少し考えて言ったスコールの言葉に、リノアはさらに瞳を丸くした。そんなに意外だろうか。そちらの方がスコールには驚きだった。ありがちな発想だ、と言ってから自分でも思ったのに。リノアときたら、全く想定外だったらしい。
 でも、いいか、と思った。リノアが俺に抱いているイメージ、それだってきっと俺には想像もつかないようなものなのだろう。だったらお互い様だ、と思う。
 わたし、ピンクかなあ?そう呟いたリノアの頬に、スコールはそっとキスを落とした。リノアは振り返り、すぐ傍にあるスコールの顔に気づいてほんのり頬を染め、それからにっこりと笑った。
 ほら、やっぱり同じ薔薇色だ。俺の見立ては間違ってない。そう思ってほくそえむスコールに、リノアはなになに?と擦り寄ってくる。見えない尻尾がちぎれんばかりに振られているのが見えるようだ。それはとても微笑ましい光景だけれども、正直なところをリノアに告げる気は、スコールにはない。自分がリノアに触れる瞬間、触れた後、抱き合った後、いつだってリノアは淡い柔らかな薔薇色の景色に染まる。そんなことを言えばリノアは恥ずかしがって逃げていってしまうだろう。それはスコールにとって大変望ましくない結果だ。
 だから、言えることはただひとつ。


「そんなに意味はない、ただのイメージだ。」


 そう言って、スコールはまたコーヒーを一口飲んだ。その言葉に納得したのかしていないのか分からないけれども、リノアは首を傾げたまま「ふうん」と呟いて、カフェオレを口にした。





end.


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18禁な続きアリ。
裏にアップしてあります。