さよならの言葉なんて、言わない。 感謝の言葉も、告げない。 ただ、甘くて優しい、小さな歌だけを贈ろう。 空気に溶けて、光に溶けて、きっと其処此処にいるだろう貴女のために、ただ優しい小さな歌を贈ろう。 Sweet Songs 「・・・・・・はい、レオンハートです。」 滅多に鳴ることがない、スコールの私用携帯がブルブル、と鳴った。いつも彼はメールで済ませてしまうから、電話が鳴るということはほとんどない。リノアが驚いたように、キッチンからダイニングに戻ってきた。どうしたの、と心配そうに見つめるリノアに、スコールは心配するな、と言うかのように頷いてみせた。 「ああ、ゼルか。どうした、いきなり。」 『・・・・・・。』 「・・・・・・本当、か。」 『・・・・・・。』 「分かった、すぐにセントラに向かう。リノアも一緒に連れて行くから、バラムガーデンから魔女管理局に連絡してくれ。」 どうやら電話をかけてきた相手はゼルだったようだ。ゼルは今、バラムガーデン学園長の任に着いている。前任のシド学園長が引退した後、若年ながら全てのガーデンの基幹となるバラムガーデンを問題なく運営し、さらに発展させている。おそらく未来に、「伝説の学園長」と言われるんじゃないか。そう冗談交じりに語られるくらい、彼は適任でしかも手腕もあった。初め反対していた者たちも、今はすっかりゼル曰く、「チームの一員、仲間」になっている。ゼルを後継に指名したシド学園長は、やはり慧眼を持っていると言わざるを得なかった。 そんなゼルから、一体何の連絡があったのだろう?セントラに行く、ということは、引退したクレイマー夫妻のところに行く、ということだ。彼らが呼んでいるのだろうか? 不思議そうに首をかしげるリノアに、電話を切ったスコールは、陰鬱な痛みを堪える表情でもって応えた。何でそんな顔するの。よくない知らせなの?リノアが思わず顔をこわばらせる。スコールは辛そうな表情を崩さずにリノアに近寄り、そしてぎゅうっと抱き締めた。 「スコール・・・・・・?」 「リノア。」 「何が、あったの?」 「・・・・・・ママ先生が、死んだ。」 ぎゅう、と痛いくらいに自分を抱きしめるスコールの腕の中で、リノアは信じられない言葉を聞いた。「まませんせいが しんだ」これ以上ない簡単な言葉なのに、それはすんなりと自分の中に入っていかない。異物のようにつっかえて、気持ちが悪い。自分が立っているのか、それすら覚束無い。震える指でぎゅっとスコールの服を掴むと、スコールの抱きしめる腕がさらに強くなった。 ママ先生。 イデア・クレイマー。 スコールやゼル、キスティスやアーヴァイン、セルフィにサイファー。そしてもちろんわたしにとっても。彼女は大事な人間だった。 母とも呼ぶべき人、だった。 *** 「ああ、来てくれたんですね。こちらへどうぞ。」 セントラに着くと、シド前学園長が穏やかな顔でスコールとリノアを出迎えてくれた。彼は少しばかり痩せたように感じられたが、それでも看病疲れを湛えた憔悴した姿をしていなかった。 「・・・・・・何でこんなことになったんですか。ママ先生は、病気にかかっておられたのですか?」 静かな、低い声でスコールは前を歩むシドに尋ねた。シドはふるり、と首を振った。 「いいえ。老衰と、彼女の精神世界にある代替バッテリーの老朽化のせいだと思います。手術をしてイデアの体内に入れた魔力バッテリーは、あの当時まだまだ試験段階のものでした。本来ならまた手術をして新しいものに交換すればよかったのでしょうが、彼女自身の肉体年齢のこともあって、もう交換手術をすることは不可能でした。」 「じゃあ、ずっと分かってたんですか。いずれ死を迎えてしまうことを。」 「そうですね。ここ5年くらいは。」 「・・・・・・。」 相変わらず、シドは感情の起伏を表に出さず、ただ穏やかに話を続ける。彼はいつだってそうだった。自分たちに魔女と魔女の騎士の現実を告げた時も、イデアの手術と老化について教えてくれた時も。それについて思う感情や涙、痛みを表に出さず、ただ静かに微笑んでいる。それがスコールには羨ましく、そしてもどかしかった。 もっと、泣いてくれればいいのに。 泣き叫んで、死んで欲しくなかったと喚いて。慟哭して。そして哀しみの中でのたうち回ってくれていいのに。 自分たちは嘆き悲しむシドの姿を見ても、決して幻滅なんかしないし、それを受け入れて癒してあげたいとすら思っているのに。悲しまないシドの姿を見て、手助けしようと思って差し伸べている手を言外に拒否されたかのように感じ、スコールはほんの少しばかりの哀しみを覚えた。 魔女のバッテリー理論。それはその説が主張され始めてまだ15年ほどだが、魔女のキャパシティに関する研究では通説としての地位を築いていた。人工バッテリーの開発に成功し、そのプロトタイプを実際にイデアの体内で稼働させ、治験データを積み重ねたことによって、現在の地位を確立したのだ。 魔女は魔力をどこからか受け取るが、それを一旦自分の体内にプールしている。受け取った魔力をそのまま放出せずに、一旦自己の体内で貯蓄し、それを脳神経内でエネルギー変換して魔力を行使する。魔力をプールしている場所が、いわゆるバッテリー、魔女のキャパシティと考えられているものだ。それは、存在するだけで魔力を消耗する。バッテリーが大きければ大きいほど、その消費魔力も大きくなる。魔女である間は魔力の供給を受けるから問題はないが、魔女でなくなるとその魔力の供給は絶たれてしまう。供給がなくなると、バッテリーは今度は宿主の生体エネルギーを糧として稼働する。それは宿主を食いつぶしてしまうまで行われる。中断はない。 それらの研究成果を実証するために、イデアはバッテリー交換手術を受けた。そのおかげで、魔女でなくなった後も、急激に老化したとはいえ、生きながらえることが出来ていた。 ーーーーー本来なら、魔女でなくなった時に死を迎えていたはずのイデアは、この手術のおかげでその後15年以上も生きていることが出来た。 その事情を全て、スコールは理解している。それでも、大事なかけがえのない存在が、もうこの世にいないこと。それを受けれられずに嘆くのは、当たり前の行為なのではないかと思う。例え、やがて死に至ることを知っていたとしても、それでもその日が来てしまったら、来て欲しくなかったと慟哭するのが普通なのではないか。それなのに、目の前の、かつて魔女の騎士であったシドはそんなことはしない。ただ静かに現実を受け入れ、惑うことがない。ふと、スコールは自分の隣を歩くリノアを見た。魔女である彼女にそんなことはないと知っているが、それでももし、リノアが俺より先に死んでしまったら。自分の手の届かないところへ行ってしまったら。そしたら俺は彼のように、泰然としていられるのだろうか。 ーーーーーきっと、無理だ。 哀しみと絶望のあまり、狂気に陥ってしまうかもしれない。 どうにもならない自分に絶望して、ただ慟哭するばかりの情けない姿を晒すだけかもしれない。 シド学園長のように、ただ泰然と緩やかに事象の流れを受け入れなければいけないのだろうか。魔女の騎士はそうでなければいけないのだろうか。そんなものに、俺はやがてなることが出来るのだろうか。 やがて、シドは普段彼らが使っている寝室の前までやってきた。 「どうぞ。イデアに会ってやってください。」 扉が開かれ、中に入ると、そこには泣き腫らした目を隠さないゼルと、涙をはらはらと零す、かつて三つ編みの少女だった頃とあまり変わっていない彼の妻、そして4人の子どもたち、そして沈痛な表情のキスティスがいた。年長の子どもたちは、イデアの死を理解しているらしい。彼らの両親と同じように悲しみの表情を浮かべていた。しかし、3番目の子と4番目の子は、まだ幼すぎて良く分かっていないらしい。きょとん、とした顔で開いた扉の方を見つめ、そしてそこにスコールとリノアの姿を見てぱあっと顔を輝かせた。 「スコールおじちゃんとリノアちゃん!」 ゼルの子どもたちは皆、スコールのことを「おじちゃん」と呼び、リノアのことは「リノアちゃん」と呼ぶ。いくら彼らの両親が、リノアは父やスコールと同じ年なのだと言っても、信じなかった。今、スコールたちは34歳。かつてはほとんど差がなかった外見上の違いが25を過ぎた辺りから顕著になり始め、30を越した頃から決定的に差がつくようになっていた。スコールやゼルたちは皆、男盛りや女盛りを迎えて艶やかに威風堂々と、大人の風格を持つようになったのと異なり、リノアはいつまでも17歳のまま。初々しくあどけない少女のままだ。子どもたちが「リノアちゃん」と呼ぶのも仕方ない。リノアはキラキラした瞳で「リノアちゃん」と呼ばれ、やっぱり今日も苦笑した。 一番下の子が、とことこ、とリノアの近くに歩み寄って、手を引っ張った。どうしたの?とリノアが屈んで尋ねると、その子はあのね、とリノアの耳元に口を寄せた。 「あのね、今日いきなりパパが、イデアおばあちゃんのところに行こうって言ったの。おばあちゃんね前会った時に、次来るときは花冠を作ってくれるって約束してくれたから、だからすごく楽しみにしてたの。だけど、おばあちゃんずっとねんねしてて、おっきしてくれないの。どうしてかなあ?」 子どもならではの、純粋で素朴で、そしてそれを聞いたものを詰まらせる残酷な問い。リノアは思わず瞳を揺らめかしてしまう。そんなリノアを、一番下の子が不思議そうな顔で見上げた。 「イデアはね、旅立ったんですよ。いつかみんな、帰る場所に。そこへと帰ったんです。わかりますか?」 「・・・・・・よく、わかんない。おばあちゃんは花冠作ってくれないの?」 「君がそこへ行ったら、多分イデアは待っていてくれますよ。イデアおばあちゃんは、いつも約束を破らなかったでしょう?君が来たら、きっとにっこり笑って花冠を作ってくれますよ。」 シドが穏やかに微笑みながらそう語りかける。一番下の子はまだ3歳になったばかりだ。人の死について語ったところで、何もわからないだろう。それでもシドが言っている言葉は本当だということは理解できたらしい。そっかあ、おばあちゃん待っててくれるのかあ、そんなことを安心したかのように繰り返した。 「し、シド学園長!!」 「もう私は学園長ではないですよ、セルフィ。」 そのとき、またバタンと扉が勢いよく開かれ、そこには青ざめた顔をしたセルフィと、小さな女の子を抱いて真剣な瞳をしているアーヴァインがいた。セルフィはシドと子供たち以外の人間が浮かべている表情を見て、そして愕然としたような顔つきになり。そして、ポロポロと涙を零した。 「ホ、ホンマやったんですか・・・・・・?何で?こないだ会ったときは、まだ元気やったじゃないですか。何でこんなにいきなり・・・・・・。」 「いつかは訪れる時がイデアに訪れた、ということです。さあ、セルフィもアーヴァインも、こちらにいらっしゃい。イデアに会ってやってください。」 シドのその言葉に、セルフィとアーヴァインはイデアが寝かされているベッドに近づいた。スコールとリノアも、まだイデアの姿を見てはいなかったので、一緒にベッドへと近寄る。そこには綺麗な寝巻きを着せられたイデアが眠るように横たわっていた。 イデアは。 イデアは、全く苦悶の表情ややつれた様な姿をしていなかった。ただあどけないくらいに穏やかに瞳を閉じ、口元には微笑すら浮かべていた。とても良い夢を見ながら眠っている、そう言い表すのが至極ぴったりくる。身体は年相応の老人のようにかつての姿より細く小さくはなっていたが、それでも今にも目を開いて、「いらっしゃい、子どもたち。」と言って笑いかけそうだ。スコールとアーヴァインはギュッと眉を顰め、セルフィはボタボタと涙を零し、リノアも静かに涙を流した。 アーヴァインに抱かれていた子が、よいしょっとイデアに手を伸ばす。アーヴァインは慌ててその子を窘めた。 「こら、ばあばは静かにねんねしてるんだから、触っちゃダメだよ。起こしちゃ可哀想だろ?」 「ばあば、ねんね?」 「そう。」 「でも、ミーティが言えばおっきするよ。」 「・・・・・・ばあばはとっても眠いんだ。ミーティアはいい子だから、起こさないで静かにしててあげられるよね?」 「うん。」 その会話を聞いて、キスティスがその美しい青い瞳を押さえた。子どもたちの言葉は、純粋だからこそ悲しみにくれる大人たちの心を鋭くえぐる。ここにいる誰もが、まだイデアの死という現実を受け止めきれていない。そんな中で子どもたちから出される無邪気な言葉が、酷く辛かった。 シドが穏やかに、子どもたちに言った。 「皆にお願いがあるんです。イデアおばあちゃんを、綺麗にお花で飾ってあげたいから、そのお花を裏手の花畑で一杯摘んできてくれませんか?おばあちゃんはお花が大好きだったからね。」 「うん、分かった!」 子どもたちは元気に頷き、そして花畑へと駆け出していこうとする。リノアは慌てて子どもたちを押しとどめた。 「駄目よ、わたしと一緒に行こう。花畑のところもモンスターが出るから、君たちだけじゃ危ないわ。」 「うん、じゃあリノアちゃん一緒に行こう!」 「いこう、いこう!」 子どもたちはリノアを取り囲んで嬉しそうにそう言い、リノアの手を引っ張った。リノアは子どもたちに引っ張って行かれながら振り向き、スコールたちに話しかけた。 「子どもたちはわたしが見てるから、大丈夫よ。皆は、イデアさんとお話してて。」 「有難う、リノア。」 「悪いな、リノア。」 アーヴァインとゼルの感謝の言葉に、気にしないで、とリノアは手を振った。スコールは、と言えば、そんなリノアを見ずに、ただひたすらイデアを見つめていた。 *** 「リノアちゃん、これなんかどうかな?」 「綺麗だと思うよ〜。他にもいっぱいあるから、探してみよう!」 「うん!」 花が咲いているところからは一歩も出ないこと。それを子どもたちにしっかり約束させてから、リノアは彼らを好きに走り回らせた。そっと小さくバリアを詠唱し花畑に結界を張る。これでもう大丈夫。モンスターたちは花畑には入ってこれない。 まるで子犬がじゃれあって遊ぶかのように、子どもたちはそれぞれあちこちを走り回って花を摘んでいる。リノアはそれを眩しげに見つめて、そして静かに腰を下ろした。 このセントラの花畑は、今も初めて見た時と全く変わらない。強い海風が吹き寄せ、辺り一面に咲き誇る小さな花花を散らしていくところまで、変わらずにそこにある。あのときは、ただ自分ととスコールしかいなかった。今は仲間の子どもたちがこんなに増えて、無邪気な笑い声を響かせている。それは、確かに時の経過が齎した変化だ。 「リノアちゃん。」 「どうしたの、ギル?」 座り込んで子どもたちを見ていたリノアに、ゼルの長子、ギルが話しかけた。彼はもう小学生だから、かなり物事を理解できている。リノアに話しかけたその榛色の瞳は、辛そうに歪められていた。ここに座る?そうリノアが呼びかけると、ただ黙ってぽすりと座り込んだ。ギルはゼルというより、母のミチル似で、物静かで考え深げな男の子だった。 「僕、今まで人が死ぬ、っていうの見たことないんだ。父さんは、僕が生まれた時にはもうSeeDじゃなくてガーデンの先生だったし。明日、急に会えなくなるとか、もうここにいないんだってこと、意味は知ってるけどよく分かんない。」 「うん。ギルくらいの年の子は、皆そうだよ。」 「・・・・・・でも。僕、どっかおかしいのかもしれない。」 「何で?」 リノアの慰めに首を振って、ギルはそんなことを呟く、訝しげに見るリノアに、ギルは困った顔をした。 「僕ね、イデアおばあちゃんが死んじゃったって聞いて。まだ一度も泣けないんだ。チビたちはまだあんまり死ぬってこと分かってないから、泣かなくて当たり前だと思う。でも、すぐ下のエミリはわんわん泣いたんだ。もうおばあちゃんに会えないのなんて、嫌だって言って。僕だってそう思うし、悲しいって思うんだけど。でも、泣けないんだ、どうしても。」 「・・・・・・。」 「僕、きっとすっごく冷たい人間なんだよ。本当に大事なおばあちゃんが死んじゃったのに、涙一つ零さないなんて。もう会えない、それ分かってるのに、ただぼんやりするだけで。父さんも母さんも、セフィおばちゃんも皆泣いてるのに、それ見ても、どこか自分がぼんやりしてるんだ。」 ギルはそう言うと、ぎゅっと膝を抱え込んだ。風がさらさらと、ギルの明るい茶色の髪をそよがせていく。それは、リノアにある人を思い起こさせた。繊細で、人と違う態度しか取れないことに心を痛める優しい子。人と違っている、そのことに傷つき悩んで苦しむ、いたいけな子。 きっと、あの蒼い瞳の彼も。幼い時はこんな子どもだったのかもしれない。可愛げのない嫌な子供だった、と本人は言っていたが、そんなことはきっとない。そんな言葉で、ただ自分のせいだと蹲って泣いていただけだったんだわ。それを知っていた人は、もうこの世にはいない。眠るように、彼の地へ旅立ってしまった。 「泣けないからって、悲しむこともできない冷たい人間だってことにはならないよ、ギル。」 「・・・・・・リノアちゃん?」 「辛くて悲しいことがあって、それに涙することは当たり前かもしれない。だけど、皆が皆、そう出来る訳じゃない。誰よりも悲しくて辛いのに、それを表に出せない人もいる。 泣いてないから悲しんでいないっていう訳じゃないと思うの。」 「・・・・・・。」 「ギルは泣けなかったかもだけど、でもイデアさんに会えなくなって悲しいって思うんでしょ?だったら、それが正しいのよ。きっと、ギルの心にはイデアさんの死が抱えきれないのね。だから、ぼんやりするばかりで周りについていけないって思うんだわ。ショックが大きすぎて、涙さえ出ない。そんなこともある。だから、自分が冷たい人間だなんて思わないで。わたしはギルは、優しくてすごくいい子だなあって思ってるんだから。」 リノアはそう言うと、にこり、と笑った。優しく温かな笑顔を見て、ギルは少しだけ眩しそうな顔つきをした。 「そういや、リノアちゃんもイデアおばあちゃんが死んでしまったのに、あんまり泣いてないね。スコールおじちゃんも、シドおじいちゃんも。悲しくない・・・・・・訳じゃないよね?僕とおんなじ?」 「スコールは、もしかしたらそうかもしれないね。あの人もとても優しいのに、それを表に出すのが下手な人だから。 シドさんが泣かないのは、イデアさんがこうなるってことを知ってたっていうのと、後はイデアさんが幸せだったってことを知ってるから、だから泣かないんじゃないかなって思う。わたしもそうだから。イデアさんの夢が叶ったんだなあって、イデアさんはとても幸せだったろうなって思うから、だから良かったねって思う。悲しい涙は、出ない。」 「・・・・・・?よく、分からない。イデアおばあちゃんの夢って、何だったの?」 リノアの言葉に、ギルは不思議そうな顔をして首を傾げた。そんなギルを見ず、リノアは空を見上げて呟いた。 「当たり前の人のように、命を全うして死んでいくこと。」 ギルは考え深げで多少大人びた子ではあるが、まだ小学生だ。リノアの言った言葉の意味がよく分からなかったらしい。何で?それは当たり前のことじゃないの?そうリノアに言い募った。 そのとき。 後ろから、ポス、っと大きな掌がギルの頭の上に乗った。振り向くと、そこには背の高い、砂金の髪を揺らして立つ人がいた。 「スコールおじちゃん!」 「ギル、そろそろ皆とイデア先生のところへ行くといい。皆、花は摘み終わったみたいだぞ。本格的に遊び始める前に行ったほうがいいな。もう一度摘み直しになっちまうぞ。」 「あ、いけない!」 ギルが花畑の方を見ると、チビたちは花摘みに飽きて追っかけっこをしていた。せっかくの花束を振り回しているから、花弁がちぎれて無残なことになりそうだ。エミリが困った顔をして、チビたちを止めようと奮闘している。 いけない、エミリだけじゃ下2人と、ミーティアの面倒なんて看きれないや。特にミーティアのやんちゃさと言ったら、凄まじいんだから。 ギルは慌ててチビたちの方へ向かおうとした。そんなギルに、スコールが後ろから声をかける。 「後1時間くらいしたら、アルスと一緒にフェリシアも来るそうだぞ。」 「えっ、ホント!?」 一瞬頬を赤くしながら嬉しそうに振り返って反応したギルに、スコールは穏やかな笑みを浮かべながら頷いて、そして行ってこいと声をかけた。それを合図にするかのように、ギルは弟妹たちのところへと駆け出していく。ホッとした顔のエミリとともに、チビたちをうまい具合に家へと誘導していくギルを遠目に見ながら、スコールはくつくつと笑ってリノアに隣に腰掛けた。 「アイツ、素直でいいな。でも、キスティスはともかく、あのアルスが父親の娘だぞ。アイツの恋は前途多難だな。」 「肝心のお嬢さんの性格もアルスに似てるし?」 「だな。どう考えても純朴なギルが毒牙にかかる、みたいな気がするよな。」 「スコールったら酷いね、それアルスの前で言ったら殺されるよ。意外に娘ラブみたいだから。」 リノアがけらけら、と明るく笑った。そんなリノアを穏やかに見つめてから、スコールはまたリノアが見ている方角を見た。 辺り一面に広がる花たち。セントラの空はいつも曇天で、日の光は雲の隙間から差し込むようにしか零れてこない。それでも、寒々しいというよりどこか暖かな雰囲気を漂わす景色。長閑だとしか言い様のない景色。それは、いつだって変わらずここにある。 ーーーーーただ、この場所を守ってくれていた人が、1人欠けてしまっただけ。 「さっき、リノア、ギルに言ってたな。ママ先生は、自分の夢を叶えてきっと幸せだったと思うって。」 「うん。」 「俺たちだけになった後に、シド先生にも同じこと言われたよ。『イデアの夢は、可愛いお嫁さんになること、たくさんの子どもを持つこと、普通のおばあさんになること、だった。これだけたくさんの子どもたちに囲まれ、たくさんの孫たちにも会えて、そして年を相応に取って死んでいった。彼女は、夢を全て叶えることが出来たのだから、皆さんも少しでも良かったね、と思ってくれると嬉しい。』って。そう、言われた。」 「そっか。」 スコールの言葉に、リノアは少しだけ微笑んで頷いた。そして、そっと手を伸ばしてスコールの掌に触れた。リノアの細い指先が自分に触れるのを感じて、スコールはその手を取りそして軽く握る。リノアもきゅっと優しく握り返してきた。 「リノアも。」 「え?」 「リノアも、ママ先生と同じ夢を持っている?」 スコールがそっと尋ねる。それは酷く無機質な声だったけれど、だからこそリノアにはスコールが何かしらの痛みを抱えてそう言っているのだということが分かった。長年一緒にいるようになって、リノアはスコールが無機質な声を出したり無表情になったりするときは、大抵何か心に痛みを抱えているときだということを知っている。相変わらず優しくて心が柔らかな彼は、何か自分を傷つける現実があってもそれを表に出そうとはしない。ただ自分の中で考え、悩んで、そして答えを出す。 リノアは、それには触れないで、そうね、と呟いた。 「魔女の、果てしない夢かもね、あれは。皆、それがただ欲しかったんだと思う。アデルも、きっとアルティミシアも。もちろん、わたしも。」 「・・・・・・そうか。」 「でもね、イデアさんは全部手に入れたんだよね。これって凄いよね。わたし、イデアさんに贈り物もらった気持ち。」 「リノア?」 ともすれば沈みこんでいきそうなスコールの頷きに、リノアはあえて明るい声で言った。そんなリノアを、スコールが不思議そうな顔で見る。リノアはスコールの蒼い瞳を受け止めて、そしてにこりと笑った。 「だってね。今まで全部は誰も叶えられなかった夢なんだよ。お嫁さんになることは誰かしら出来たかもしれない、だけど子どもを持ったり、魔女であることを止めてその後生きておばあちゃんになって、なんて誰も出来なかった。イデアさんは、それをやり遂げたんだよ。 永い魔女の歴史の中で、誰も出来なかったこと。きっと無理だって皆が諦めただろうこと。それをイデアさんは諦めないで手を伸ばして、そしてちゃんと手に入れたの。これって、凄いことだよ。 諦めなければ、どんな願いだって叶う。今はとても無理、そう思っても、未来もそうだとは限らない。長い時間の中で、全てのものが変化していく中で、自分の理と運命すら変わっていくことがある。それを教えてくれた気がするの。」 そこまで言うと、リノアはまた花畑と遠くに霞む潮騒を見つめた。アルティミシアから解放された直後のイデアも、よくこうやってセントラから景色を眺めていた。吹きさすぶ風に身を縮こませることもなく、すっきりと立っていた。あのときの彼女が何を思っていたのかは分からないけれど、やがてきっとそれすら遠い記憶となって微かに揺らいで消えていく。 リノアは、静かに歌を歌った。優しく、甘い旋律は不思議と心を落ち着かせるような気がする。確かに初めて聞いたものなのに、どこか懐かしいとスコールは感じた。 「それ、なんの歌だ?」 「昔、お母さんに習った歌。眠る子ども、眠りについた人、起きている貴方にも幸せな夢が訪れますよっていう歌。昔お母さんも、お祖母ちゃんに習ったんだって。」 「そうか。」 リノアの歌声は澄んで、どこまで風に乗って遥か彼方に飛んでゆく。風に吹き上げられて舞い上がった小さな花びらと、リノアの綺麗な高い声音。それは、彼方にいるだろうイデアの魂までも届くといい。スコールはそう願う。 スコールは、よいしょ、と花畑に寝転がり、自分の頭をリノアの膝に載せた。リノアが少し驚いたかのようにスコールを見て、それから微笑んだ。そのまま彼女はさらり、とスコールの髪の毛を撫でた。 「なあに、眠くなっちゃった?昨日からあまり寝てないものね。」 「そういう訳じゃない。ただ、その歌聞いていたら、こうしたくなっただけ。」 「そう?」 スコールの言葉に、リノアは嬉しそうに瞳を細め、それからまた海と空を見た。スコールは瞳を閉じている。リノアはまた、先ほどの歌をゆっくりと優しく歌い始める。それは、空気や、リノアの身体を通してスコールに染み入っていった。ささやかな、甘い歌。それは小さな子どもでも簡単に歌えるようなものなのに、どうしてこんなに心を震わせるのか。 スコールは、自分の瞳を手で覆った。 「さっき。」 「え?」 「さっき、俺たちにって、シド先生がノートをくれたんだ。」 「何のノート?」 「ママ先生の日記の断片。」 ぽつり、と話すスコールの言葉に、リノアは歌うのを止めて優しく相槌を打った。出会った頃のように、それは何?わたしにも見せて?とか、そういう押しの強い行動を今のリノアはしない。今はただ、スコールが話してくれるのを静かに待っていてくれる。33歳の女性らしい、大人びた落ち着きを湛えている。 外見年齢は出会った頃と全く変わっていないリノアだったが、確かに時の流れと変化は彼女にも痛切に訪れていた。魔女だといえども、時の流れの魔法に抗えない。 優しくリノアがスコールの髪を梳っている。瞳を閉じたままそれを感じ、スコールは話を続けた。 「皆さんのことが書いてあるところは、皆さんにも読んでいただくのがいいと思う。そう言って、シド先生がくれた。最初、何で日記なんか?と思ったんだが、中身を読んで分かった。」 「何が、書いてあったの?」 「基本的には、今日の天気とか。孤児院の様子とか。だけど、その日の最後に、俺たちの成長の記録が書いてあった。 どの日に、初めて笑ったか、とか。初めて立った、とか。歩いたとか。言葉を話した、とか。」 「そう。」 あの頃、孤児院には結構な数の子どもがいたことをスコールは覚えている。面倒を見るのはママ先生とシド先生だけで、2人は本当に忙しかったと思う。もうじき5人に増えるが、4人の子持ちのゼルの家庭を見ても酷く大変そうなのに、あの二人は大変な顔も見せずに数十人の子どもたちを育てていた。 あの当時、ママ先生たちはいつだって自分に優しかったけれど、だからこそ困らせたくない、手間をかけさせたくない、と思った。子どもは自分だけではない。他にもママ先生を必要としている子はたくさんいる。自分だけを見て欲しい、なんて言えない。そう思って、だからこそ近い存在で自分を気にかけてくれたエルオーネに依存した。 初めて出来たことも、何もかも。きっとママ先生は忙しくて気づきはしないだろう。子供のくせにそんな諦めすら持っていた。それでいいと思っていた。僕にはおねえちゃんがいる、だからママ先生は皆のものでいい。そう思っていた。 だけど、そうではなかった。 忙しいながらも、イデアたちはスコールたちを見ていなかったわけではなかった。些細な発見、それを必ず見つけてメモとしてでも残してあった。日記は自分たちが6歳になった頃からしばしば中断されるようになっていた。そして以前と変わらず毎日詳細なものをつけるようになったのは、自分たちが17歳を過ぎてあの戦いを勝ち抜いた後だ。そのことが、イデアの苦しみの過去、アルティミシアに精神を犯されていた事実をスコールたちに如実に知らせる。 しかし、イデアがイデアでいられた時は。その時は、孤児院にいた子どもたち全てに等しく愛情を注ぐ優しげな姿が、確かに浮かび上がる。 「まるで、甘くて優しい歌、みたいだね。」 「リノア?」 静かにスコールの話を聞いていたリノアが、そっと言葉を漏らす。スコールはリノアの意図が分からず、瞳を向けてただ問い返した。リノアは、花びらを巻き上げていく風、彼方に見える海を見つめていた。 「きっとその日記には、イデアさんの優しい歌で一杯だったんだね。いつも、わたしたちのことを思ってくれていた記憶や、思い出。それらが全部甘くて優しい歌になって、わたしたちを満たしていってくれるんだわ。」 「・・・・・・。」 「わたし、忘れないわ。そして、普段は思わなくてもきっと、何かの拍子にイデアさんのことを思い出す。わたしたち皆に、穏やかな歌と温かな手と、甘くて柔らかな優しさをたくさん、惜しみなく降らしてくれた人のこと。わたしたちの、大切な、おかあさんのことを。」 そこまで言うと、リノアはまた先ほどの歌を口ずさんだ。眠る人も、今起きている貴方も、優しい夢を持てますように。何度もそう繰り返す、優しい甘い旋律は、どうしようもなくスコールの胸に迫る。 ぎゅっと、瞳を閉じて、また目を掌で覆った。 リノアの歌は、空気に溶けていく。 そしてそれは吹きさすぶ風に乗って、花びらと共に空高く舞い上がる。空の彼方にいるだろうイデアの魂にまでもきっと届くだろう。きっと、それを耳にして、いつもの穏やかな笑顔を浮かべてくれる。慈愛に溢れた、ただ母としての笑顔を。 そっとスコールも、リノアに合わせてその歌を口ずさんでみる。子どもでも歌える簡単な歌だ。すぐに覚えてしまった。 重なった声音に、リノアは少しだけ目を見開いて。そして穏やかに微笑んでスコールの頭を優しく撫でた。 有難う、とは言わない。 さよなら、とも言わない。 だって、思い返せば貴女の姿はそこに、ここに、あちらこちらに現れる。貴女の言葉も、仕草も、笑顔も、何もかも忘れない。肉体がいなくなっても、貴女の記憶はここに、貴女と関わったすべての人々に降り積もっている。貴女は決して消え去らない。 だから、ただ甘くて優しい歌を歌おう。 優しい幸せな夢を見られるようにと、歌を贈ろう。 風が、花びらを巻き上げる。あたり一面、ピンクに染まる。 初めて来た時から、随分な月日が経った。それでも、この目の前に広がる花畑は何も変わることがない。 あの時と同じくらいたくさんの花で埋め尽くされて、そこにある。 それを見つめる自分たちがどれほど変化しても、きっと変わることはないだろう。 そして、それを見つめ守っていく人の姿も、きっと変わることはないのだろう。かつてはイデアが、今はシドが、遠い未来にきっとリノアが守っていく。そしてそれを守る人間が変わっても、眼差しと思いは変わらない、きっと。 潮騒と花たちの甘い香りと、吹きすさぶ風。 冬と春の合間の季節をスコールとリノアに焼き付けて、そして彼女は甘い歌とともに、風に散っていく。 スコールが手を伸ばしてリノアの頬を撫でた。いつも澄み切っている蒼い瞳は、心なしか赤みを帯びている。リノアはそれを見てやはり潤んだ黒い瞳を綻ばせ、そして身をかがめて優しいキスを落とした。 貴方にも、甘くて優しい歌を。 end. |