時とともに失われていくものがあったとしても。
 それでも、君と俺の心の中にそれが確かにあったと、そう思えるなら。


***Time passed me by 〜夜の鉄路〜****


「うわぁ〜!!本当に星がいっぱい!」


 フィッシャーマンズホライズンからエスタへと延びる橋の途中で、リノアは綺羅綺羅した瞳を丸くして歓声を上げた。まるで飛び跳ねて駆け出していきそうだと思ってしまうほどに純粋に喜ぶ彼女を見て、スコールは穏やかに笑みを漏らした。ふわり、と薄い空色のワンピースの裾を翻して、リノアは足音も軽やかにまるで弾むように歩く。しっかりとした歩みでゆっくりと歩くスコールは、そんなリノアを眩しそうに見つめた。


「ね、スコール。」


 いきなり振り返って、リノアはスコールに尋ねた。何だ?と言いたげにスコールが首を傾げた。


「この線路、このまま電車が通らないままなの?」
「いや。後半月したら線路の整備を開始して、その後2年後にエスタ行きの列車就航を目指すらしいぞ。」
「そっか。・・・・・・じゃあ、こんな風に線路歩けるのも、後少しでおしまいってことか。」
「ああ。」


 そう。後少しの時間が過ぎ去れば、もうこの線路を歩むことなど出来なくなるのだった。エスタが鎖国を解き、頑迷だったフィッシャーマンズホライズンの駅長たちが態度を軟化させたこと、それはこの鉄道路線を開通させることが出来ることを意味する。以前のような敵対関係ではなく、交流や友好関係を東と西の大陸同士で持っている以上、飛空挺以外での経路が求められるのは必然だった。第一、飛空挺は乗船賃が割高で、一般の人間にはおよそ手が届きにくい。割安価格になるだろうこの鉄道路線が開通することで、以前よりもさらにいっそう両大陸間の人の行き来は激しくなるのだろう。一昔前では想像も出来なかった未来が、すぐすこに、手を伸ばせば届くところにまで来ている。
 だからスコールはこの休みにリノアを連れて、フィッシャーマンズホライズンまで来たのだった。
 両大陸が親密になること。それは、今まで働いてきた自分たちの仕事の成果が表れたように思えて、嬉しいと感じない訳はない。せっかく鉄道の設備がそのまま残っているのだ、それを利用しないのは勿体無いと思う。
 しかし。
 それでも、やはり一抹の寂しさは拭えない、というのが本音だった。
 この、果てしなく海に延びる一本道。この道は、自分の岐路を静かに見つめていてくれた。いくら歩いても果てなど見えない、そんな絶望にかられながらも、それでも希望を捨てられなかった自分。静かに眠るリノアを抱いて、ただひたすら歩いたあのときのことは、今でも鮮烈に思い出せるのに。それなのにここは、もうじきこうやって歩くことも出来なくなる。街灯の明かりすらない静かな月と星と海の世界は消えうせ、軋む鉄輪の音と眩しいヘッドライトと側灯の明かりが闇を切り裂いていくのだろう。そこには、もう自分たちの思い出の世界は無い。
 だから、これで最後かもしれない。そう思って、リノアを誘ってこの線路までやって来た。


 とすとす、と歩いていたリノアが、そっと線路脇の柵に腰掛けた。ふわり、と首を上げて空を見上げる。辺りには星がまるで砂を撒いたかのように無数に輝いている。今日は月は無い。そこはただ星たちの清かな光と、打ち寄せる静かな波の音しかなかった。隣に、スコールもそっと腰掛けた。2人でみる星空はいつだって穏やかなものだったが、今日は不思議と寂しさを感じさせた。


「もうじきここ、通れなくなっちゃう。だから、スコールはここに連れてきてくれた?」
「・・・・・・ここ、星がよく見えるだろ。周りに何も無いから、星が凄く多く見える。」
「・・・・・・うん。あのとき、わたしが星を見るの好きって言ってたの、覚えていてくれてるんだ。」


 リノアが静かに問いかけた言葉に、スコールは頷くことはしないで、ただ星が良く見えるから、そんな理由を口にした。スコールの不思議な寂しさや切なさをリノアにそのまま伝えるのは、何だかやけに気恥ずかしかった。だからそんな風に誤魔化したのだけれど。リノアはスコールの言葉の裏にあるものを敏感に受け取っていたのかもしれないし、全く気づいていないのかもしれなかった。ただ、ほわりと微笑んで、それからスコールの言葉に素直に受け応えた。
 そんなリノアのことが何だか妙に可愛らしく感じて、スコールは腰掛けたまま大きく腕を広げた。その仕草に気づいて、リノアは少しだけ瞳を丸くして。それから嬉しそうに笑って、その広げられた腕の中にぽすっと入り込んだ。そのまま柔らかく、星が見やすいように後ろからスコールはリノアを抱きとめた。


「・・・・・・ふふっ、ほんわり暖かい。ここ、海の真ん中で潮風が吹き付けるから、夏でも夜はちょっと冷えるね。ありがと、スコール。」


 すっぽりとスコールの腕の中に入り込んで、リノアはそんなことを言って笑った。びゅう、と海からいきなり強風が吹きすさぶ。そのとき、リノアの長い髪が風に巻き上げられて、スコールの頬をくすぐった。そのくすぐったさのせいだろうか、それともいきなり彼女のことを抱き締めようと誘った気恥ずかしさからだろうか。スコールは横を向いて、ただぽつり、と言葉を紡いだ。


「・・・・・・これも好き、なんだろ。」
「ん?」
「こうやって、くっついているの。安心するから。」
「・・・・・・うん。」


 スコールの言葉は、いつもよりさらにぶっきらぼうだった。何だか適当で、投げやりみたいに感じられるかのように、その声音は甘さなんて一欠けらもなかった。それでも、リノアにはそれが照れ隠しなんだということがちゃんと分かっていた。だって、今自分を包んでいる腕はしっかりとわたしを抱き締めていて、背中に感じる彼の鼓動と熱はいつもより少しだけ高めだもの。暖かく包まれている安心感、それは自分がずっと欲しかったもの。それを知っているスコールは、わたしにそれを与えることを惜しまない。確かに感じるスコールの愛情に、リノアは何だか泣きたくなるような嬉しさを感じた。
 滲む涙を振り払うかのように、また上を見上げる。以前スコールに教わった道しるべのとおりに星たちを辿ると、そこにはステラマリスが輝いていた。
 リノアはステラマリスを指差して、それからスコールを見上げて問うた。


「あの星がステラマリス。合ってる?」
「ああ。」


 スコールもリノアの指先の差す星を見て、それから静かに頷いた。その仕草に、リノアはにこりとしてまた空を見上げた。


「本当に。いつでもどこにいても、あの星は空にあるんだね。」
「そうだな。」
「わたし、ここを通ったときのこと覚えてないけど、そのときもあの星は輝いてた?」
「ああ。だから、俺も祈った。」
「祈り。」
「そう、祈り。あの戦いのとき、リノアが教えてくれた祈り。」


 リノアの明日が、今日よりもっと素晴らしいものになりますように。
 リノアが、しあわせでありますように。
 目覚めたときに見える世界が、リノアにとって懐かしく嬉しいものでありますように。
 それは、小さな、だけど確かな祝福。リノアは、祈りは絶対に叶うと言った。それは間違っていない。今自分を見上げる彼女は、一瞬驚いた顔をした後で、それから何とも言えない表情をして笑ったから。その表情の意味するところは、スコールには理解できたような気がした。多分それは、初めてリノアに祈られたときの自分と同じ感情なんだろう。自分も確かに、泣きたくなるような嬉しさと切なさを感じて、どう言葉に表したら良いか分からなかった。それを思い出した。
 だから、そっとリノアの髪に自分の顔を埋めた。リノアの声と暖かさが、ほんわりと熱となってスコールに伝わっていく。


「ありがとう、スコール。まさかスコールもわたしに祈りをくれてたなんて思わなかった。すごく嬉しい。」
「・・・・・・祈りは絶対叶う。そうなんだろ?」
「うん。わたしがスコールにあげた祈りは叶ってる?」
「ああ。」
「じゃあ、スコールがわたしにくれた祈りも、多分叶ってるよ。スコールも同じようなこと、祈ってくれたんでしょう?」


 最後の問いかけに、スコールは返事をせずに、さらにぎゅっとリノアを抱き締めた。リノアの小さな指が、そっと後ろから抱き締めるスコールの腕にかかる。そして、リノアも抱き返すかのようにそろりとスコールの腕に絡ませた。その動きはゆっくりだったけれど、それがかえってスコールをどきりとさせた。そっと頬を捉えて自分の方に向けさせると、リノアはくるんとしたまあるい瞳でスコールを見上げた。ゆっくりと近づいていくスコールの顔に気がついて、そっと瞳を閉じる。長い睫が頬に影を落とした。深い黒の色のおかげか、まるで濡れたように見える。それは妙に艶かしかった。


 まるで吸い寄せられるかのように、唇が触れ合う。そっと触れるだけのキスをした後、それからもう一度唇を重ねた。
 そろり、とリノアの中に舌を潜らせると、それに気がついた彼女もそっと舌を絡めてきた。リノアを背負って歩いたあの頃とは違うこと。自分がリノアに触れることに躊躇がなくなったこと、リノアが深く触れられることに怯えなくなったこと。それは、あの頃よりもずっと2人が近くに来ていることを教える。それは、リノアから感じる甘さと相俟って、スコールの脳髄を痺れさせた。
 そっと唇を離して、それからまたスコールはリノアを見つめた。唇が濡れて光っているのが、星の清かな明かりの中でも確かに感じられた。あどけない表情を浮かべている彼女と対極にあると思えるほど、そこだけ大人の雰囲気を醸し出していた。


 リノアが、また星と、星空に溶ける海原を見つめた。そして、ぽつり、と言葉を漏らした。


「ここ、もう来れなくなるんだよね、こんな風に。」
「ああ。」
「それは、いいことなんだと思うけど。ここ、壊されてなくなっちゃうとかそういうことでもないし。
 だけど、どうしてかな。わたし何だか寂しい。ここを通った記憶がないけど、不思議と切ない気持ちになる。
 それは多分、スコールがわたしに祈ってくれた、その思い出があるからだよね。わたしが覚えていなくても、確かに祈ってくれた思い出があるから。」


 そう言ったリノアの表情は、泣いているような微笑んでいるような、どっちともいえない複雑なものだった。それでも、彼女が零した言葉は、まさしくスコールの気持ちを言い当てたものだった。スコールも、寂しくて切なかった。あのとき零した祈りが確かに叶えられている、その現実があってもそれでもなお。この場所にこうやって来れなくなる、そのことに対する寂しさが止められなかった。



「・・・・・・俺も、そう思う。思い出は心の中にある、そのことを理解していてもそれでも、ここがこういう風景でなくなってしまうことに、どうしようもない寂しさを感じてしまう。」


 だから、いつものようにするリノアへの短い返事だけではなく、確かな同意をリノアに与えた。スコールの言葉に、リノアも真摯に頷いた。


「一緒、だね。多分2人で持った思い出の地がなくなるから、だから寂しいんだわ。」
「ああ。」
「・・・・・・嬉しい。」
「・・・・・・何が?」


 先ほどまでの複雑な表情から、少しだけ小さな花のような笑みを浮かべて、ぽつりとリノアが嬉しいと言った。その意味が分からなくて、スコールはそっと尋ねた。そんなスコールにリノアはくるりと身体を反転させ、それからしっかりとスコールの首に腕を絡めて抱きついた。


「リノア?」
「あのね、何だか不思議ね。楽しい気持ちや、喜ぶ気持ちだけじゃなくて、寂しい気持ちや切ない気持ちも一緒に持てたことが嬉しいの。
 一緒にいて、同じ気持ちを抱くことなんて、本当に奇跡みたいだなって。そんな奇跡を持てたことが、嬉しい。」
「・・・・・・奇跡、か。」
「うん、奇跡だよ。一緒にいても、同じことを考えていることなんて多分あまりないもの。それが当たり前なのに、それでも一瞬でも気持ちがぴたりと重なることがあるって、もうそれは奇跡としか言えない。」
「・・・・・・。そうかもな。」


 奇跡、という言葉はスコールは嫌いだった。もし奇跡なんてものが本当にあるなら、きっと自分の母は死ななかっただろうし、エルオーネは長い間彷徨う暮らしをせずにすんだ。何よりリノアも、魔女にならずに、もしくは魔女であることを捨て去ることが出来ただろう。でも現実は、そうではなかった。自分が選んだ道から分かたれた未来に、もがいて苦しんで受け入れて付き合っていくだけだ。
 だから、奇跡なんて存在しない。スコールは今でもそう思う。けれど。
 今、リノアが零した言葉は確かに真実だと、スコールもそう思った。リノアが自分と同じく、言葉にしがたい寂しさや切なさを感じていること。自分たちは確かに別の人間なのに、近しく同じような気持ちを抱けていること。それはやはり言葉で表すならば、奇跡という言葉がいちばんしっくりとくる。
 だから、少し沈黙した後に、小さく同意した。その言葉に、リノアも嬉しそうに微笑んだ気配がした。スコールの首筋に、リノアの暖かな吐息がそっと触れて過ぎ去っていったから。


 抱きつくリノアを抱き締め返しながら、スコールは上空を見上げた。瞬く星たちは、あの時、リノアを背負って歩いた時のものと全く変わらないように見える。それは当たり前か。星の時の流れはとてもゆっくりで、自分たち人間の時の流れなど到底追いつけないものだから。それでも、時間は確かにさらさらと流れていく。星にも、この場所にも、自分たちにも。あの時と同じものなど存在しない。全てのものは少しずつ変化していき、違う世界へと足を踏み入れていくのだ。それは全てに平等な出来事だった。
 多分今感じている切なさも寂しさも、きっとまた時が過ぎ去ったら忘れたり何か別のものに変化していったりするのだろう。
 新しく生まれ変わるこの場所で、これからリノアと新しい思い出をつくることもあるのだろう。
 それらに思いを馳せて、そしてゆっくりと瞳を閉じた。


 なくなってしまうものに、愛惜を抱くこと。なくなるという事実をただ受け入れ諦めるのではなく、そこにあったことに感謝し別れを認めること。そう出来る自分は、確かに以前の自分とは違っている。時は自分の上にも、確かに降り積もる。姿かたちが全く変わらないリノアにも、時は確かに降り積もる。時の羽ばたきは全てのものに平等だ。人間も魔女も変わらない。


 また、海から少し強めの風が吹き寄せた。ふわりと巻き上がってからリノアの髪がスコールの首筋を叩いてまた落ちていく。その刺激に蒼い瞳を少しだけスコールは開いた。通り過ぎていく潮風は、リノアのワンピースの裾をも揺らしてふわりと舞い上がるのが見えた。


 ーーーーああ、そこでもまた時が羽ばたいていく。
 過ぎ去る時の残像にスコールは目を細めて、それからリノアの首筋に顔を埋めて甘く優しい彼女の匂いに包まれた。寂しさや切なさを癒してもらいたがる子どものように。
 スコールの静かな吐息が、リノアの首筋を優しく撫でていく。微かに、叫びのようなくぐもった声が頭上を通り過ぎていった。それにスコールは微笑んで、それからまた瞳を閉じた。




end.



*********

18禁な続きアリ。
裏ページにおいてあります。