「私、あの人苦手だわ。」
「え?誰のこと?」
「フューリー・カーウェイ。」





 隣で口を尖らせながらそう言うシエラ・マクリーンに、俺は少しだけ驚いて肩を竦めてしまった。そんな俺の様子を見て、シエラは何だか居心地が悪いといった表情をした。
 シエラがそういう、人の好悪をあからさまに言うなんて珍しい。俺はただ純粋にそう思って、そんな面が意外だったからそれをそのまま表したのだが、彼女はそうはとらなかったようだった。
 シエラはいつだって、真面目で真剣だった。ちょっとした苦手意識、そんなことを持ってしまったことを恥じているみたいだった。もう18歳になったのに、そういう潔癖なところはまるでこどものようだ。その純粋さと、潔癖さが、何だかとてもヤツに似ている。俺はそんなことを思った。





 ヤツーーーーフューリー・カーウェイは、俺達と同じクラスの軍士官候補生だった。
 そして、唯一。
 俺が、ともだちだと、そう言ってもいいと思える人間だった。







**With or without you







「どうかしたか、ビンザー?」





 本を読みながら、フューが穏やかに問い返す。俺が頬杖をついたまま、じぃっとフューのことを見ていたのに気がついていたようだった。





「何かさ、もったいねえよなあ。」
「何が?」
「お前、頭いいしさ、顔もいい。なのに、どうしてそう愛想がないんだかねえ。
 女の子にもそんな風に、仏頂面にしてんだろ?だから怖い、とか言われるんだぜ?」
「・・・・・・何だよ、いきなり。」





 俺がつらつらと考えていたことを口にした。フューにとっては、それがとても意外だったのかもしれない。先ほどまで熱心に読んでいた本から顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。
 フューリー・カーウェイ。フューは、艶やかな黒髪に綺麗な、まるで深い海の底のような瞳をしている。男にこういう表現はどうかと思うが、それでも美しいと思わずにはいられないほど、彼の容貌は整ったものだった。
 そして彼はまた、ガルバディアのエリートたちばかりが集まるこの士官学校でも、主席入学、の逸材だった。彼が出した、入学試験のハイスコアは教官達の語り草になっているらしい。今からもう、中央戦略部行きを打診されているくらいの人間だった。
 それなのに、な。
 俺はくすくす、と笑いながらフューに話しかけた。





「シエラ・マクリーン知ってるだろ。あの才女。女だてらに学年3位の成績のさ。」
「ああ。」
「彼女が言ってたんだよ。フューのこと苦手だって。何だか怒られてるような気持ちになるってさ。
 お前、彼女に何かしたのかー?」
「何もしてないが。だが、彼女が言うことは別におかしなことではないさ。
 いつも、そう言われるから。」
「アホ、納得すんなよ、そこで。
 だから、俺言ったんだ。フューはすっげえいいヤツだって。付き合ってみればわかるってな。
 お前、自分のこと卑下しすぎだぞ。もっと堂々としてりゃいいのにな。俺だったらそうするぜ?」





 俺が笑いながらそう言うと、フューは驚いたように瞳を丸くして。
 それから、かかかっと赤くなった。
 フューは色が白い。多分日焼けしにくい性質なんだろう。だから、赤くなったりするとすぐにわかる。そして、はっとしたときに浮べる表情は、いつもこどものように素直だ。
 俺が、おかしそうに笑うと、フューは額を押さえて困ったような表情を浮べた。





「・・・・・・からかうなよ、ビンザー。照れる。」
「からかってないって。ホントのことだ。お前、いいヤツだよ。地味だけどな。」
「俺は、ビンザーみたいに明るくて楽しい人間になりたいけど。
 ・・・・・・でも、ありがとう。」





 フューは笑う。ほんのりと、一見冷たそうに見える容貌に暖かさを加えるように。冬の日暮れ、寒々と冷えた空気にさっと太陽の光が走るような。そんな、ささやかなそれ。
 俺は、フューのその、遠慮がちな好意が嫌いではなかった。
 いや、この言い方は間違っているか。
 フューが、そうやって自信なさげな人間だから。どこか脆いような、弱いような、寂しさを持て余しているような、そんな人間だから。
 だから、俺はフューのことが好きだったのかもしれない。





 士官学校に入学して、今まで自分以上に出来る人間を見たことのなかった俺にとって、フューは一種のショックを与えた。初めて、自分よりも優れた人間に出会った衝撃。どうしても追い越せない、そんな先天的な能力の違い。それを知って俺は、やっぱり絶望したのだ。
 俺は、幼いときに何も出来なかった、何も出来ず、魔女に殺されていく両親や仲間達を見ているしかなかった、その記憶をずっと抱えて生きていた。いつか絶対に復讐してやる。奴らにも、同じ思いを味合わせてやる。それだけを願い、必死になって努力していた。いつか、この国がまた狙われる事があっても、今度は歯向かいたい。助けたい。そのためには、力を得なくてはいけない。だからこそ、ずっと血を吐くほど努力した。血筋も良くない、親もいない俺には、それしか出来ることはなかった。努力すること、それだけが俺の毎日だった。そして、努力さえすれば、そしたら望みはきっと叶う。そんなことを真剣に、信じてもいた。
 そのおかげか、俺はきちんと地方推薦を取得し、士官学校にも特待生として入学できた。





 しかし。
 フューを知り、フューの能力を理解し。
 努力だけでは到達できない地平というものがある。そのことを俺は知ってしまった。
 そして、フュー自身が、その能力を持て余しているということも。彼が望むものはもっとささやかなもので、ありあまる才能をも必要としていないということも。
 そのとき、俺はやっぱり、絶望したのだ。
 神がいるなら。あの、幼い日々のときと同じように、俺は自分を呪った。
 神が本当にこの世にいるのなら。それは全く不公平な意思だと思う。
 あの力を欲しがっているのは、俺だ。あいつは必要とすらしていない。なのに、どうして必要としている俺にはなく、あいつにはある?あるべきところに力はあるべきだ。だったら、この現象は何なのか。
 ああ、やはり世の中は不公平だ。





 しかし、反面。とても世の中は衡平なのかもしれない。フューを見て、そうとも思えた。
 だから俺は、フューのことを嫌いにならないでいられたのだ。





 フューは、その美貌と才能のせいで、いつもひとりだった。
 本人は全く意識していないのだが、本来の無口さと合わさるとそれは、とてつもなく威圧感を他人に与える。どことなく話しかけづらい、一緒にいづらい、そんな感情を持ってしまう。
 多分それは、フューという存在が、とても人の劣等感を刺激するものだからなのかもしれなかった。





 フューは、何でも持っている。美貌も、若さも、才能も。性格は真面目で、人が悪いところもない。
 しかしそれは、完璧すぎるのだ。
 完全すぎて、眩暈がする。それはもう、人ですらないかもしれない。そんなことすら思ってしまう。たいがいの人間は、なりたい自分になれなくて、それでも諦め切れなくてもがいていたりするものだ。全てのものを手にして超然としているように見えるフューが受け入れられにくいのも、道理だった。





 馬鹿げたことだ。
 しかし、馬鹿げているからこそ、面白い。
 フューが欲しいのは、賞賛や憧憬や、そんなものではないのに。
 ただ、普通に話をしてくれる、そんなささやかなものなのに。明るい笑顔や、何でもない会話、そんなことを求めているだけなのに。あんなに優秀だからこそ、普通の人間が手に入れられるものを手に入れられない。
 ああ。
 神は、不公平で、そして平等だ。
 俺は、フューほどの能力はない。しかし、フューとは比べ物にならないほどのたくさんの友人や、ふざけあう仲間を持っている。
 どうしてもフューに勝てない俺が、唯一彼よりも優れているところ。彼が手に入れられないものを俺は持っていた。そして、そのことをフューが、ただ純粋に憧れている、そのことをも俺は知っていた。
 それは、俺を安心させる。
 フューにもどうしても手に入らないものがある、そして、それを与えられる人間は今のところ俺だけだ。彼に近しく優秀な自分だけが、フューの望むものを与えられる。
 それは、俺にささやかな優越感を与えた。





 俺は、フューのことが好きだ。友人だとも思っている。
 しかし、同じくらい。何でも持っているあいつが憎らしかった。何でも持っているくせに、普通の人間が当たり前に持っているものを持たないあいつが、滑稽だった。そして、その姿が何とも頼りなげで放っておけなかった。
 フューは知らない。きっと、ずっと知ることはないだろう。俺はあいつにこの気持ちを教えることはない。きっと、あいつには分からない。だったら、教える必要もない。





 知らなくていいんだよ、お前は。
 そのまま、綺麗なままでいればいい。
 そして、寂しげに笑っていればいいんだ。





「今度さ、シエラと3人で飯食いに行こうか?委員会とかも一緒だしな。」
「・・・・・・俺は、いいよ。」
「まーた。そんなこと言わずに、行こうぜ?俺もいるんだからいいだろ。」
「・・・・・・そうだ、な。ビンザーがいれば、つまらないなんてことないもんな。」





 思い通りの台詞を口に出すフューに、俺は心の底からにっこりと笑った。
 フューは、俺の笑顔を見て全てを預けるような、そんな表情をした。





***





 日々は過ぎ去り、春が過ぎて夏が来て。今はもう、すっかり秋だった。
 海から吹く風が冷たくなると、一気に冬がやってくる。
 コートの襟を立たせて、吹き上げる風に少しだけ首を竦めていた俺に、後ろからシエラが声を掛けた。





「ビンザー!今帰り?」
「おー。今日、なんだか冷えるな。もう冬が来んのかな。」
「そうかな。そろそろ雪がちらつくかもね。シティは結構雪降るの早いのよ。」
「俺、シティで冬迎えるの初めてだからなあ。そっか、シティは結構寒いのか。」





 俺がふん、とした顔をすると、隣でシエラがおかしそうにくすくす、と笑った。そのとき柔らかな巻き毛がふわりと揺れて、俺の肩にかかった。それとともに、どこか爽やかで甘い香りがした。きっとシエラの香りだった。





「今日は、あなた一人なのね。」
「俺がひとりじゃ悪いみたいな言い方だなあ。」
「だって、あなたいっつも一人でいることなんてないじゃない。可愛い女の子と一緒だったり、フューと一緒だったり、そんなことが多いから。」
「俺は超遊び人って見られているわけですね、ミズ・マクリーンに。」
「そうじゃないわ。誰とでも仲良く出来るのって、いいなあって思って。うらやましいなと思ってるのよ。」





 俺がからかうようにシエラに言うと、シエラは困ったように真剣に言い返してきた。その様子がやっぱりとても子供みたいで、素直で。俺は思わず笑ってしまう。
 自分がからかわれていることに気がついたのか、シエラは少しだけ目を丸くした後、むうっとした顔になった。俺は、ぽんぽん、とシエラの背中を叩いた。





「冗談だって。んな顔するなよ。」
「わたし真剣に言ったのに、からかうなんて酷いわ。」
「ごめんごめん。」





 くすくす、と笑いながら俺はシエラに謝罪する。シエラは、その様子が信用ならないのよ、そう言いながらももう怒ってはいないようだった。ふわり、と花が綻ぶような笑顔を浮べる。
 ああ、こういうところ、やはりフューと似ている。俺はそう思う。
 シエラも、ものすごく理知的な美貌を持った女性で、しかも家柄も良かった。彼女は士官学校に来るまでは学校に通った事がなかったらしい。深窓のお嬢様だ。そして、コネで入学したなどという下卑た噂すらはねつけるほど男の中にあっても優秀な人間だった。
 だからこそ、やはりフューと似たように傷ついていた。
 あまりにも完全すぎる人間は、人の波に入っていけない。シエラの場合は、女性だと言うことが余計に状況を悪くしていた。士官学校は、やはりその特殊性から、男社会であることは間違いない。女の彼女には出来ることは少ない。いや、女だからこそ、全てを与えられないのだ。女性に対する無理解と誤解。軍部にはまだ、そういうものが歴然と存在している。





 いつだったか、シエラは俺に言った。
 わたしは、男に生まれたかった、と。
 男に生まれれば、そうしたらきっと、わたしはこんな思いをしないですんだわ。
 そう言って、泣いたこともあった。
 素直に、思いのままに静かに涙を流す彼女を見て、俺はどこか胸を衝かれたようなそんな感情を持ったことを未だに覚えていた。





「ねえ、ビンザー。」
「何?」
「ビンザーは、どうしてフューと仲がいいの?」





 シエラはいきなりそう尋ねた。随分前に、彼女はフューのことが苦手だ、と言ったことがある。あれから、俺とフュー、シエラで飯に行ったり、話をしたり、色々するようになった。今はもう、シエラはフューと普通に話をしている。苦手かどうかは知らないが、まあ普通に接しているんじゃないか、そんなことを俺は思っていた。だからいきなりシエラに尋ねられて、俺は少し驚いた。





「どうして・・・って。何か理由がいるのか?アイツいいヤツだし、それに何かほっとけないんだよ。」





 俺は困ったように、それだけ言った。
 フューに関して言えば、俺には俺なりに色々思うことはある。しかしそれをシエラに、いいや他の人間に伝える気はない。だから、俺は自分の気持ちで当たり障りがないことだけを言った。
 そんな俺の屈託には彼女は気がつかなかった。
 シエラは、少しだけ夢見るような瞳で言葉を続ける。





「あのね、フューって不思議な人よね。あの人って何でも出来るじゃない?だからきっと、わたしたちや出来ない人間のことなんて興味もないとか思ってたの。」
「あいつにだって、出来ないことはいっぱいあるさ。見えにくいだけで。」
「うん、そうなんだよね。どうしようもない痛みを抱えて、それでもあの人は何でもないような振りをする。
 とても優しいのに、それをはっきりと表す方法を知らないの。」
「そうだな。ヤツはそんなところがあるかもな。」
「ビンザーがほっとけない、って言うのわかるわ。わたしもそう思う。」





 シエラははにかみながら笑う。
 その笑顔が、いつもシエラとは違って、何だかとても少女のようだった。俺は、どきりとする。隣にいる人間は女の人だ、それを認識してしまって、躊躇する。
 ・・・・・・・?
 何故、躊躇する必要があるんだろう?
 シエラが女性だ、そのことなんて当たり前なのに、俺は。
 こころで首をもたげる疑問を見ない振りをして、俺はシエラに問いかけた。





「何だよ、シエラ。フューのことが好きなのか?」
「えっ・・・・・・。」





 すると。
 シエラは真っ赤になって俯いた。
 ただ、いつものように、冗談のように言っただけなのに、きっとシエラなら、またからかってるのね、と拗ねたように笑うと思っていたのに。
 何気なく言った一言が、とても彼女にとっては図星だったと気付いて、俺は。





 俺は、どうしようもなく、痛みを感じた。





 どうして、フューなんだ?
 俺ではなくて、どうしてフューを選ぶ?この間まで、苦手だと言っていなかったか?それなのに、どうして。
 そして、何故俺はこんな感情を持つんだ?
 フューと仲が良くなるように。そう仕向けたのは俺だ。二人とも、少しずつ仲良くなっていった。それは俺の思い通りのことではなかったか。
 寂しい人間が傷を舐めあうように一緒にいる。そんな姿に癒されてたのは嘘だったのか。





 色々な思いがざわめいて揺れて、そして俺を揺さぶる。
 何か、とても尖ったようなものがそっと、胸を刺していく。そんな疼痛を感じる。
 黙り込む俺に、シエラはさらにいっそうわたわた、と慌てた。





「あ、あのね。フューのことはね、そんなはっきりと恋だとか、そんなこと思ってるわけじゃないのよ?」
「でも、好きなんだろ。もしかして、俺に声かけたのって、それで?恋路を協力してもらいたかった?
 別に構わないぜ。そんなのお安い御用だし。」
「ううん、そうじゃないわ。そんなことはしない。」
「・・・・・ははは。」





 真面目に、真剣に。俺の言ったことを否定するシエラ。しっかりと瞳に力を込めて、俺を見返す。
 それは生真面目なほど潔癖で、こどものようだった。
 俺はおかしくて、思わず笑ってしまった。





 馬鹿なシエラ。
 利用するものは利用すればいいのに。俺がフューの親友だ、ということを思いっきり利用すればいい。何を恥じる事がある?
 それとも、そんな考えは微塵も持っていない。そういうことなんだろうか。





 それは、綺麗だ。
 綺麗過ぎて、嫌になる。俺の目には眩しい。暗闇に慣れてしまった俺には眩しすぎる。
 憎らしい、と思った。
 そして、同じくらい。
 その綺麗な眼差しとこころで、俺を救ってくれないか。
 深い泥沼にはまっている俺を、掬い上げてくれないか。
 そんな囁きが、こころの中をさわさわと渡っていくのを止められなかった。水に飢えた生き物が本能的に求めているような、そんな強いねがい。それを俺は抱いていた。





 君なら、与えてくれるのかな。
 俺に、アイツに。
 綺麗な思いを。美しい祈りを。こころが暖かくなるような癒しを、涙が出るほどのぬくもりを。
 君は、与える事が出来るのかな。
 人を利用することを知らない、嘘をつくことを知らない、ただ真っ直ぐにぶつかって壊れてしまいそうな君は、俺を、アイツを救ってくれるのかな。





「ビンザー、フューには内緒にしておいてね?
 本当は、貴方にも知られたくはなかったんだけど。ダメね、わたし。どうも隠し事は苦手だわ。」





 シエラは苦笑して、それから肩を竦めて俺に言う。
 俺は、いつもどおり。いつもどおりな明るい笑顔を浮べた。





「何でだよ。俺に協力させればいいじゃないか。フューと俺は仲いいしな。俺のことを利用すればいいんだよ。」
「・・・・・・そんな風に言わないで。」
「何が。」
「わたしは、ビンザーのこと、大事だわ。そんな風に、ただ利用するだなんて、そんなこと思えない。
 わたしが好きな、大事な友人のこと、そんな風に接することは出来ないわ。」
「フューは鈍いから、普通にしてたら気付かないぜ?」
「それでもいいのよ。それとビンザーのことは別だわ。」





 シエラはじっと俺を見つめて、そんなことを言う。
 俺のこころの暗闇をも射抜いていくかのように、まっすぐに。俺を光で照らす。シエラのひかりに、俺は目を細めると共に、自分でも気付かなかったことに気付いた。こころの奥深くにひっそりと根付いていたものに、ようやく気付いた。





 ああ、そうだよ。
 俺は君が好きだよ。
 確かに、そう思った。
 どこまでも綺麗であろうとする君が、俺は好きだよ。
 そして、大事だよ。
 そういう気持ちが俺の中にあったこと。俺は初めて理解した。
 そして、とても。
 とても、目の奥が熱かった。
 どうしても届かないだろう、いや、手に入れたくはない、そう思って。
 はじめてまっとうな感情を抱いたのに、手に入れられない自分を確信して。目の奥が熱い。
 それを選んでいるのは自分なのに、自分を恨んでしまいそうになる。





 俺は、シエラの綺麗なところが嫌いだ。そして、そこが好きなのだった。
 いつまでもそんな風ではいられないだろう。そんな風に嘲笑しながらも、やはりいつまでも、綺麗なままで。そのままでいて欲しいのだ。
 手で触れることなんて思いも寄らない。汚れた俺が触れてしまえば、そこからシエラは汚れていくんじゃないだろうか。そのことを不思議と確信してしまう。
 俺は、そんなのは見たくは無い。見たくは無いんだ。
 フューと同じ。ここまで綺麗ならば、どこまで行けるのか見て見たいと思う。しかし、そこへ導くのは俺ではない。俺はそれをしたくない。
 だから、いくら好きでも。俺には手が届かない。
 いくら愛してても。俺には触れられない。
 俺がそれをしたくはないからだ。





 目の奥が、熱かった。
 いつかは彼女に触れるであろう、誰かを想像した。
 しかし、それがまだ見ぬ誰かではなくて、彼女の望むようにフューならば。
 それなら、まだ耐えられる。そう思った。
 だから、俺は微笑んだ。
 心から、本心から微笑んだ。
 フューとシエラが一緒になって、幸せになればいい。そして、どこまでも綺麗な、その彼方を俺に見せてくれればいい。
 俺は、それを望む。





「うまくいくといいな、シエラ。俺は、シエラやフューが幸せになればいいと思ってるよ。」
「ありがとう。でも、ビンザーもよ?あなたは人がいいから心配だわ。
 まあ、あなたはとっても人気がある人だし、大丈夫だと思うけれど。」





 シエラも穏やかに笑う。俺の微笑みが何を意図するかも知らずに、ほんわかと笑った。
 そう。それでいいんだ。
 俺は、俺の道を行く。随分昔にそう決めた。その道は、フューもシエラも歩かなくていい。お前達はどこまでも綺麗なままで。
 馬鹿馬鹿しいほど、愚鈍なほどの綺麗さで。
 俺には見られないその景色を、見つめていけばいい。





 君が傍にいても、いなくても。
 アイツが傍にいても、いなくても。
 俺は変わらない。俺は俺のままで、在り続ける。俺なりの正義を、貫いてみせる。
 例え君が敵になっても。アイツが敵になっても。
 俺は、俺以外の人間にはなれない。なるつもりもない。





 じゃあまたね、と言って去っていくシエラの後姿を俺はずっと見ていた。
 ふわり、ふわり、と淡い金髪がコートの上で踊る。オフホワイトのコートとのコントラストがまるで天使のようで。黒い髪、黒いコートに身を包んで立ち尽くす俺が、まるで悪魔のようで。
 それは本当に正しい風景だと俺は思った。
 そっと目を瞑ってフューのことを考えてみた。俺と同じ黒い髪、だけどそれは全てを閉ざす黒でありながら全てを受け入れる黒でもあり。どこか温かみのある黒で。何者にも染まらないと決めた、俺とは違う。全く、違っていた。





 お前達の綺麗さが、羨ましいよ。
 お前達の綺麗さが、まるで夢物語のように馬鹿馬鹿しいよ。





 俺は首を振って、また帰り道を急いだ。
 コートの襟は立てて、吹き抜ける風に首を竦ませたままで。





end.





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 あさがすみさん(@朝霞亭)へのリンクお礼で差し上げたものです。
 本来、リンクお礼品はうちではアップしないのですが、今回のお話はパパ編と非常に絡んでるゆえに、お願いしてアップさせてもらっちゃいました。
 リク内容としては、パパ編での若い頃のデリングさん、というものでした。フューやシエラは気付くことが出来なかったビンザーの想いを色々書けて楽しかったですー。