17、守りたい
(シド×イデア シド13歳)


僕の隣の家のお姉ちゃんは、とても綺麗な人だった。
黒くて長い髪に、深い暗闇の瞳が瞬いていて。
まるでカミサマみたいだと、いつも僕は思っていた。
僕がちいさな頃から、お姉ちゃんは何一つ変わらない。ずっと綺麗なままだ。いつまでも若いまま。だって、お姉ちゃんは魔女だったから。


お姉ちゃんは、いつも優しい声で僕の名前を呼ぶ。
その声はまさに、天上の音楽もかくやといったように、鈴や楽器を鳴らしたかのように、僕の心をそよそよと通り過ぎていくのだった。


手に入れるなんてとんでもない。
ただ、見ていられるだけで幸せだった。
お姉ちゃんの笑顔を見るだけで、僕は幸せになったから。それだけでよかった。
ずっと、そういう風に思っていた。


***


「ただいま。」
「ああ、お帰り、シド。今日は早いのね。」


母さんが僕の声に振り向いた。母さんの横には、隣の家のおばさん。二人で世間話でもしていたのだろうか。僕を見て、慌てたように話をやめる。
僕は、かばんをおろして、それからキッチンの冷蔵庫から牛乳を取った。そして、コップに注いで飲み始める。
隣の部屋からは、ぼそぼそと母さん達が話をしている声がした。僕はそっと耳をすます。


「・・・・・酷いわね・・・・・。イデアちゃんが魔女だってことは、最初からわかってたことでしょう?」
「でもね、うちとしてもそうやって責めることは出来ないのよ。やっぱり、魔女と一緒にいてくれるような人はあまりいないし、その人の人生を犠牲にしてしまうかもしれないから。」
「・・・・・そうかもしれないけれど・・・・。」


ところどころ聞こえる母さん達の話に、僕は驚いた。お姉ちゃんに何かあったのだろうか。どうもそんな感じがする。僕は慌てて牛乳を冷蔵庫に戻すと、母さんに声をかけた。


「母さん、僕ちょっと出かけてくるよ。」
「ああ、はいはい。行ってらっしゃい。」


僕の呼びかけに、母さんと隣のおばさんはほっとしたように、返事をする。よほど僕には聞かせたくないようだった。そんな二人の様子が、僕に確信を持たせる。


お姉ちゃんに、何かあったんだ。
絶対、何か辛いことがあったんだ。


***


「お姉ちゃん。」
「・・・・・シドくん?」


やっぱり、いた。
お姉ちゃんは、大好きだと言っていた、村のはずれにある大きな木の上にいた。お姉ちゃんはとてもおとなしそうな、静かな容貌を持った花のような人なのに、案外おてんばだ。今もはだしで木の枝に座り込んでいる。僕も、靴と靴下を脱ぎ捨てて、お姉ちゃんの座っている枝の横の枝によじ登った。お姉ちゃんは、そんな僕を見て少し笑った。その笑顔は、いつものように優しく暖かかったけれど、でもどうしようもなく涙を堪えているような、そんな気持ちもした。


「ここから見える海は、本当に綺麗ね。」
「・・・・・・・うん。」


静かに、お姉ちゃんは話す。僕は、相槌を打つしか出来なかった。お姉ちゃんは、僕を見なかった。海を見つめたまま、静かに話した。


「シドくんは、わたしのこと、気持ち悪くない?」
「・・・・・・なんで、そんなこと、言うの?
お姉ちゃんは、お姉ちゃんじゃないか。」
「・・・・ありがと。今日ね、わたし振られちゃった。年も取らない、子供も産めない、そんな化け物とは結婚できないって、そう言われちゃった。」
「・・・・・・え・・・・・?あのお兄ちゃんが、そんな酷いこと言ったの・・・?」
「彼は何も言わなかった。彼のお母さんや、妹さんや、友達がそう言ったの。彼は、否定しなかった。もう一緒にはいられないよ、ってだけ言った。」
「・・・・・・・!!」


僕は、あまりのことにお姉ちゃんを振り返る。だって、そんなの、あのお兄ちゃんは最初から分かっていたことじゃなかったのか。お姉ちゃんは、最初随分お兄ちゃんのことを断っていたのだ。自分は魔女だから、だからダメだと、ずっと言っていた。魔女でもいいと、魔女だからって何も変わらないと、そうお兄ちゃんが何度もそう言ったから。だからお姉ちゃんはやっと自分の思いを告げることが出来たのではないのか。
お姉ちゃんは、僕のほうを見なかった。ただ海を見つめていた。静かに、ただ見つめていた。
ーー泣いても、いなかった。


「仕方ないんだよ。やっぱりね、魔女って、好きなだけじゃどうしようもないんだもの。
気持ち悪いって言うのもわかるんだ。」
「そんなことないよ・・・・!!」
「シドくん?」
「お姉ちゃんは、誰より綺麗だし、いい人だし・・・!!そんな気持ち悪いなんて、あるわけないんだよ・・・!!」


悔しかった。
何で、何でお姉ちゃんがこんな目に会わなきゃいけないんだろう。お姉ちゃんは何も悪くないのに。
お姉ちゃんが泣いていれば、まだよかった。だけど、お姉ちゃんは泣いてもいなかった。そのことが、余計に僕のこころを傷つけた。


きっと、お姉ちゃんは。
誰かと一緒にいたりとか、誰かを好きなったりとか、そういうことを諦めてしまっているんだ。
一人で生きていく覚悟みたいなものを、持たざるを得なかったんだ。
だから、涙を出すことが出来ない。


「シドくん、泣かないで?」
「・・・・・・お姉ちゃんが、泣かないからだよ。だから、僕が代わりに泣いてるんだ。」
「そっか・・・・・。シドくんは、優しいね。」


優しく困ったように笑いながら、お姉ちゃんはそっと僕の涙を拭いてくれる。その仕草が、たまらなく胸に来て、僕はお姉ちゃんを見つめた。


今は、まだ僕は子供で。お姉ちゃんは僕よりずっと大人で。だから、傍に立って守ることは出来ないけれど。
でも、後少し。後少したったら、僕はお姉ちゃんを守りたいんだ。泣きたいときに泣けないなんて、そんな哀しいことさせない。思い切り、泣けるように、僕が守ってあげたいんだ。


泣かないお姉ちゃんを見て、僕は。
見ていられるだけでいいなんて、そんなの嘘だとはっきり自覚した。
そして、僕が、お姉ちゃんを守りたいと、そういう欲をそのとき初めて持ったのだった。


17.守りたい end.


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強いねがいを、初めてこの胸に抱いた日。