25.見つけた!
(ディン母さん・8年前)


「かあちゃーん!!」


玄関から、元気でやんちゃな息子の声がする。私はひょいっと台所から顔を出した。


「お帰り、ゼル。」
「かあちゃん!これ!!」


そう言って、ゼルはちいさな手のひらにつかんだものを私に見せた。ちょっと得意そうな顔が、なんだか可愛らしくて、私は思わず笑ってしまう。
そんなわたしの様子に、ゼルはじたばたしながら、私に早く見るように、とせかした。


ゼルの掌には、ほんの少しの白い砂があった。


「これは、海岸で拾ってきたの?」
「うん!よく見てよ、かあちゃん!この砂、みんな星のかたちしてるんだぜー!!」


目を凝らして見ると、確かにゼルの言うとおりだった。砂は綺麗な五角形を描いていて、それはまるでちいさな星のようだった。これを見つけるのは大変だったろう。ゼルの得意そうな顔の訳がわかって、私はにっこりした。


「ありがとう、ゼル。とっても綺麗ね。どうやって見つけたの?」
「今日さ、みんなで砂の城作って遊んでたんだよ!そんで、砂掘ってたら、こういうのあったんだ。すっげえの見つけたって、俺ちょっとヒーローみたいだったんだ!!」
「そうなの。もう、海は平気になったのね。」
「何言ってんだ、かあちゃん?俺、海怖がったことなんかねえじゃん。ずっと海の近くに住んでんだし、怖いことなんかないよ?」
「そうね。そうだったわね。」


わたしが言った言葉に、ゼルはきょとんとした顔をして、首をかしげた。その様子は、まるで本当に何もかもをもなくしてしまった人のようで。私は、ほんの少しだけ悲しい気持ちになる。


ゼルは、もう覚えてないのね。
うちに初めて来たとき、ゼルはいつも海を怖がっていたのよ?もうどこかへ行くのは嫌だと、そう言って泣いたのよ?もうさよならはいやだ、そう言ってよく泣いたの。
最初のうちは、ママ先生とパパ先生のところに帰る、そう言って暴れたわ。おばちゃんとおじちゃん、どうしてぼくをみんなのところにもどしてくれないの?そう言って泣いて暴れて、そのたびに私と主人、おじいちゃんやおばあちゃんが宥めて。そのこともきっと、ゼルは覚えてないわね。


それは、きっと、この子が小さかったからなんだろうか。この子がどういう暮らしをしていたのかは知らない、けれどきっと、それはこの子にとってとても楽しかったものだったに違いない。それなのに、こんなに簡単に忘れてしまえるものなんだろうか。過去を忘れているというのは、それはこの子が現在が楽しいからなんだろうけれど。それでも、この子の中の大切なものがこうやって消えていってしまうことに、私たちは少しの安堵と痛みを感じてしまう。
今が幸せで、昔を忘れているというのは正直嬉しい。
だけどそのかわり、もしかしたらこの子は私たちのこともこうやって忘れてしまうのかもしれない。そんな恐怖をも感じるのだった。


「いいもの見つけたわね、ゼル。ありがとう。」
「へへ、すっげえと思うよな、かあちゃんも!」
「うん、すっげえと思うわ。」


私が笑いながら話しかけると、ゼルも嬉しそうに答えた。しかしその後、ちょっとだけ不思議そうな顔をして、私に問いかける。


「なあ、かあちゃん。」
「なあに?」
「俺さ、昔海岸で花火したことあったよな・・・?今日隣のルーチンに言ったら、嘘だって言うんだ。バラムの海岸で花火はしちゃいけないことになってるって。」
「そうね、バラムでは出来ないわね。バラムの海岸にいるモンスターは火におびき寄せられるから、危険なのよ。」
「・・・・・・俺の、思い違いだったのかなあ・・・。」


そうぽつりと言って俯くゼルの頭を、私は少しだけ撫でた。


「バラムではしてないだけよ。みんなで出かけたときにしたの。でもゼルはちいさかったから、だからバラムだと思ったのね。」
「そっか。」


安心したようににかっと笑うゼルに、私もにっこりと笑った。
そして、密かに。確かに。
安心、した。


わたしたちは、一緒に花火はしていない。
この子の中にある花火の想い出は、それはきっと以前いた場所での想い出なんだろう。
この子が全てを忘れてしまっている、と思ったのは間違いだった。この子は全てをなくしてしまっている訳ではない。忘れているようで、それでもかすかに覚えているのだ。それは、私も、私たちも、そしてこの子の中から消えてしまったかつてこの子を育てた彼らにとっても、とても嬉しいものだった。


人は全ての記憶を持って生きていくことなんて出来ない。幸せなことも、辛いこともだんだんと忘れ行く。それは仕方ない。一人が抱えられる想いは、きっと両の掌に抱えられるくらいしかないのだから。
今日のこの出来事も、きっといつか忘れてしまうんだろう。あっけないほど簡単に、忘れてしまうんだろう。私たちのことも、いつかは忘れてしまうかもしれない。
だけど。
やっぱり忘れているようで、人はそう簡単に忘れることは出来ないのかもしれない。記憶は、表に出たり影に隠れたりするだけで、やっぱりどこかに存在しているのだ。


それは、優しい。
そして、かすかだけど、暖かくて柔らかなひかりのような気持ちを私に起こさせた。


いつかなくしても、でもきっと見つけられる。
そういう予想を持てるのは、何て幸せなんだろうか。


25.見つけた! end.


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たとえほんの少しだったとしても、それでも少しは覚えていて欲しいと願う。