44.思い出して
(エルオーネ)(スコール17歳)


わたしを見て、誰だかわからない顔をした。
わたしは忘れてないのに。どうして。


***


わたしは、その日、頭痛薬を貰うために保健室にいた。
今までずっと海で暮らしていたのに、いきなり陸上で暮らすことになったせいだろうか。船乗りがよくなるという、「陸酔い」。わたしはばっちりそれにかかり、気分が優れなかったせいだった。
本来は、わたしは陸の人間だったのに。いつのまにか自分でも知らないうちに、わたしは海の人間になってしまったらしい。


薬をカドワキ先生から処方されているときに、風が一陣ふわり、と吹き寄せた。そのときにベッドを区切るカーテンも揺れる。黒い塊、みたいなものが見えてわたしは思わずそちらを見やった。
そんなわたしに、カドワキ先生が笑った。


「ああ、あそこにいるのは、訓練とケンカを履き違えたバカそのにだよ。」
「あはは、酷いですね。」
「ま、多分またサイファーがつっかかったんだと思うけどね。いい加減飽きないもんかねえ。」


カドワキ先生が溜息をつきつつ言った言葉に、わたしは聞きなれた言葉を見つけた。サイファー。ちいさくてやんちゃだったあの子。じゃあ、サイファーとケンカになったというのは誰だろう?ゼルかしら?
この10年、聞きたくても聞くことはなかった懐かしい名前に、わたしは陸酔いよりもさらに、確かに陸にいるということを実感する。


「サイファーって言う子は、ケンカっぱやいのですか?」
「うーん、普段はそうでもないよ。ただ、スコール、あ、今寝てる子ね、あの子があんまりバカ正直に反応するから、余計にケンカになるんだろうね。
スコールも、もうちょっと大人になったほうがいいと思うけどね。」


カルテを書きつつカドワキ先生は、何でもないように語った。
しかし、その名前は。
わたしにとってはとても、特別な名前で。
わたしは。


わたしは、震える声を隠して、ぎゅっと手を握り締めた。そして、カドワキ先生にベッドで休んでもいいか、とお願いした。
カドワキ先生は、わたしが休むことに反対しなかった。


***


パーテーションで区切られたベッドたち。そのうちの一つに、彼はいた。
わたしは、隣のベッドからこっそりと彼を覗いた。


彼は、瞳を閉じていた。寝ているのかもしれないし、ただ瞳を閉じていただけかもしれない。どちらなのかはよくわからなかったけれど。それでも、瞳を閉じているのはわたしにとってはとても、好都合だった。ゆっくり大きくなったスコールを眺めることが出来るから。


スコールは。
とても身長が伸びていた。
すらっとして、少年から男の人になりつつあった。
まるで、あの、いつも「おねえちゃん」と言って後を追いかけてきたことも、全て嘘みたいに。10年の間に、とても、大きくなった。
だけど。
そよ風になびく、砂色の髪は昔と全く変わっていなかった。
レインの持つ髪の毛と、同じ。
どこまでも柔らかそうな、綺麗な砂金髪。
額に巻かれた包帯が少し痛々しかったけれど、そんなことは気にならないくらいにわたしは懐かしくて。涙が出そうなほど嬉しくて。


気付いたら、声に出して呼びかけていた。


「・・・・・・やっと、会えたね。」


何も言わないで別れてしまったけれど、わたしはあなたのことを忘れたことはない。
いつも、心配だった。
いつも、気になってた。
だって、あなたはわたしの、弟なのだから。


わたしの声はそれほど大きいものではなかった。
しかし、スコールは眠っていなかったのだろう。わたしの方を、ふっと、瞳を開けて見た。わたしとスコールは、一瞬目が合ってしまう。
スコールの瞳は、昔と変わってはいなかった。
どこまでも澄んだ、透明なブルー。
幼心に綺麗だと思った、あの色をそのまま湛えていた。


懐かしい。
いとおしい。
わたしはそんな気持ちを込めて少しだけ微笑んだのだけれど。


スコールは、不思議そうな顔をしただけで、また瞳を閉じてしまった。
その姿に、わたしは。


スコールの今の表情で、わかった。
スコールは、わたしのことなど何も覚えていないってことを。
スコールの中に、わたしという存在は綺麗になくなっているということを。
スコールの無関心な表情で、それを思い知らされて。
とても、こころが痛かった。


わたしたちが別れた時、スコールはまだちいさかった。
だから、覚えていないのは仕方ないのかもしれない。
それでも、わたしはとても悲しかった。
わたしは、ここにいる。あなたの思い出も何もかも、ちゃんとあったこと。わたしの中にはきちんと存在している。
それなのに、今のスコールの世界には、わたしは存在していない。昔遊んだことも、何もかも、なかったことになっている。


それは、とても虚しい。
とても、寂しい。
だから、涙が出そうになる。


どうか、思い出して。
わたしは、スコールに伝えなくてはいけないことがある。だから、思い出して。


なかったことにしないで。


そっとパーテーションから抜け出すときに、また風がふわり、と吹き抜けて行った。
わたしが零した、たった一つの涙のつぶも、その風が拭って持って行ってしまった。


44.思い出して end.


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贅沢な願いかもしれないけれど、そう思わずにはいられなかった。