「あ、あいたたたた・・・・・・。」
「セフィ!?」


 ソファにくつろいで温かなミルクを飲んでいたセルフィが、ふいに背中を丸めて呻きだした。またアレだと予想しながら、アーヴァインはキッチンからすっ飛んでいった。セルフィは大きなお腹を擦りながら苦笑している。ああ、やっぱりあれか、激しすぎる胎動のせいか。アーヴァインも苦笑する。


「また、チビ子暴れてんの?」
「うん。もうだいぶ動くの落ち着いてきてくれてもいいはずなんやけどねえ。元気やわ〜。」
「セフィに似てるんじゃない、そういうとこ。」
「元気すぎるのが〜?それはあんま嬉しくないな。女の子なんだから、もうちょっと穏やか方面でお願いしますヨ。」


 お腹の中の子どもは、つい先だって女の子だと言うことが判明した。お腹の中でのあまりのやんちゃっぷりに、「絶対男の子やって!」とセルフィはずっと言っていたのだが、その予想はまんまと外れたのだ。
 今も、セルフィが「穏やか方面で」と要望を出した途端に、お腹の中でセルフィを蹴っ飛ばしたらしい。あいた!という顔をしてセルフィがまた顔を顰めた。


 元気良くて、気が強くて。
 まるでセルフィの生まれ変わりみたいじゃないか。
 アーヴァインはくすくす、と笑った。そんなアーヴァインを、セルフィはじろりと見上げた。


「何か余裕やね、アービン?」
「そう?そう見える、かな。」
「うん。後で苦労して、『こんなはずじゃなかったー!』とか泣いても知らんよ、アタシ。」
「泣かないよ〜。」
「世話するの、アービンになっちゃうんやから。アタシ、どこまで手伝えるか、分からんのやし・・・・・・。」


 セルフィは俯いて、ミルクの入ったコップを両手に抱えている。何事にも誠実でいたいと、そうであろうとする姿勢が振るう容赦ない傷を、未だ彼女はやり過ごすことは出来ない。
 もっとズルくなってしまえばいいのにね。でも、セフィはそうはしないんだなあ。愚直なまでに、正面から向き合おうとする。もういい大人とか言われる年で、多少のずる賢さを身に着けてたって、誰も責めないのにね。セフィ自身がソレを赦そうとはしない。
 ーーーーー仕方ないなあ。可愛いなあ。
 アーヴァインはそっとセルフィの隣に腰を下ろし、そして優しく彼女の肩を抱き寄せた。


「あのねえ。それについてはセフィは気にしなくていーの。僕がそうしたくて、そうするんだから。セフィのため、とかじゃないから。」
「でも、やっぱこんなのおかしいかなってちょっと思う。だって、これじゃまるで、アタシいいとこどりみたいで。仕事もバリバリやって、赤ちゃん産んでも引退しないで。子育てとか家事とか、全部アービンにやらせて。」


 セルフィの妊娠が分かって、アーヴァインはガルバディアガーデン学園長を辞めた。今は主夫、という名の、いわゆるプー太郎だ。子どもが出来たら、絶対に仕事辞めてトラビア行くから。結婚してから言い続けてきたことをまさに有言実行した訳だ。
 自分が仕事を辞めるに当たって、ほんの少しの軋轢もなかったとは言わない。普段、あまりきっちりしてない姿ばかりを見せていたせいか、「アイツは仕事が嫌いだから」とか「妻に養ってもらうなんて男の癖に恥ずかしくないのか」とか陰口叩かれたのも知っている。それでも、自分が大切にしている人たちや、仲間、そして多くの仕事仲間には、清清しく受け入れてもらえ、応援してもらえたのだ。アーヴァインらしい、そう言われるたびに、そうでしょ、と胸を張れた。疚しい所や心残り、未練なんて微塵もない。晴れ渡った青空のように美しく、そこには何もない。
 でも、そこのところがいくら言っても、セルフィには今ひとつ理解できないようだった。言葉の上では理解しつつ、内容までは深く理解できていないと言うか。おそらく自分が仕事大好き人間だからじゃないか。アーヴァインはそう睨んでいる。


「僕、ずーっと言ってたじゃん。子ども出来たら仕事辞めるよって。トラビアで一緒に暮らすよって。家族が離れ離れなんて、僕そんなの耐えられないからって。」
「うん。」
「僕がセルフィの傍にいて、セルフィと家族になって、子どもを持ちたいって願ったの。それを叶えただけだよ。」
「でも、本来なら、アタシが仕事辞めてガルバディア行くべきだったじゃん。トラビアガーデン学園長でいたいっていうの、アタシの我侭やん。アービンは、アタシの我侭に付き合わされてるんやないかって・・・・・・。」
「ストーップ。」


 アーヴァインが人差し指をセルフィの唇の上にのせ、言葉を止めた。セルフィはアーヴァインをじっと見上げる。快活な翠の瞳は、どことなく潤んでいるように見えた。仕方ないなあ、可愛いなあ。アーヴァインは先ほどから抱いている気持ちを、また改めて噛み締める。


「あのさ。僕って、基本今まで流され人生だったわけ。」
「?どういうこと?」
「ほら、スコールたちのチームに参加したのも、自分から立候補したわけじゃなくて、単なる命令でだったし。SeeDになったのも、無理やりみたいなもんだったし。ましてやガルバディアガーデン学園長になりたいなんて言ったことないし。まあそういう流れになっちゃって、逃げ切れなかったっていうかさ。」
「・・・・・・。」
「だから、今まで自分が心底望んだことって、セフィと一緒にいたいってことと、セフィと家族になりたいってことと、子ども欲しいなあって思ったことだけなんだよ。自分でそうしたい、って思ったから、仕事辞めてトラビア来たの。僕、セフィみたいに、学園長になりたくてなってた訳じゃないからね。なる人いなかったから仕方なくやってたの。だからいつ辞めても良かったんだ。」


 あっけらかん、と言い放つアーヴァインに、セルフィは瞳を丸くする。きっとアーヴァインのそういう思考はセルフィの理解の範疇外なのだろう。セルフィには思いも着かない発想、視点だから、理解が追いつかない。
 それでも、セルフィは反論するかのように口を開いた。


「でも、アービン、ガルバディアガーデンきっちり運営してたやん。真面目に、ガーデン発展させてたやん。」
「そりゃあ、仕事だからね。さすがに手を抜くのはダメだと思うし。セフィだって、僕が手抜きで仕事してたら怒るでしょ?
 でもさ、仕事が好きで、やりたくて仕方なくて、とか、生きがいだとか、そんなこと思ったことないんだ。残念なことにね。とりあえずやってただけ。申し訳ないけど。」
「・・・・・・。」
「だからさ。セフィが気にすること何もないわけ。僕が僕の生きたいようにしてるだけなんだから。」


 アーヴァインの言葉に、セルフィは納得したのか。未だ顰められた眉を見るに、納得しきってはいないのだろうとアーヴァインは推測する。しかし、これだけは譲れなかった。自分が我慢しているとか耐えているとか、そんなことは微塵もない。セルフィにも負い目なんて一つも持って欲しくはない。
 だから。


「ねえ、セフィはさ。今、幸せ?」
「ん。アービンは?」
「僕ももちろん幸せ。これ以上ないくらい。」


 にこり、と太陽のように笑って、言い切ってやった。セルフィが思い悩むことなんて、本当に明後日の方向に間違っていて、そんなものは自分の中に存在すらしていないのだと。理解は出来なくても、視覚で、身体で感じ取って欲しい。そう願って、ことさらにアーヴァインは力強く笑った。
 セルフィが、やがてはーと溜息をついた。


「アタシ、仕事ばりばりするよ。今までもしてたけど、子ども産んでも変わらないよ。」
「いいんじゃない?セフィは仕事好きなんでしょ。」
「・・・アーヴァインより、仕事優先するときもあるかも。」
「でも、仕事より、僕を優先するときもあるでしょ。」


 アーヴァインが言い切った言葉に、セルフィは否定をすることはなかった。そう、そういうことなんだよ。だからセルフィが思い悩む必要は全くなくて、それは言うなれば、ただの杞憂ってやつだ。アーヴァインは破顔する。


「結婚するときにも言ったでしょ。何でも僕を一番、なんて思わなくていいよ。僕も大事、仕事も大事、子どもも大事、でいいじゃない。欲張っちゃえばいいんだよ。」
「アタシ、ホント欲張り。」
「そういうセフィが、僕は好きなんだからさ。」
「・・・・・・ばか。」


 セルフィはそう言うと、真っ赤になった頬を隠すかのようにアーヴァインに抱きついた。しっかりと身体が触れ合って、そしてお腹のあたりからどんどん、と何かが叩いている感触がアーヴァインにも伝わる。またチビ子がママのお腹を蹴っ飛ばしているな。自分の事忘れるなんて許さない、そう言ってぷりぷり怒ってるみたいだ、面白いな。アーヴァインはセルフィのお腹をそっと撫でた。


 思えば、自分の願いは幼い頃からずっと変わっていない。セルフィと一緒にいたい。それだけをずっと願ってた。途中離れ離れになって、もう二度と会えないかも、そう思う日々もあったけど。それでも翠の瞳の、快活な女の子を忘れることなんて出来なかった。スコールたちのチームについていったのも、セルフィがいたからだ。自分の人生の岐路に、いつだって彼女はいた。だから流され人生も悪くないと、そう思えた。


 出会ったときも、再会したときも。傍にいることを許されたときも、家族になれたときも。いつだって変化はアーヴァインにとって嬉しく感動するものだった。それはきっとこれから先もそうなんだろう。そう確信できる自分は、例えようもなく幸せだ。そうとしか言えない。そうだろう?


 ぐんにゃり、とチビ子が再度大きく、「その通り」と同意するかのように動いた。



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