「今日、フェリシアに聞かれたわ。」
「何を?」


 帰宅して身支度をし、夕食を食べ始めたときにキスティスにそう話しかけられて、アルスは問い返した。アルスの仕事は相変わらず激務で、勤務を終えて自宅に戻るのは22時近くになってしまう。その頃、当然愛娘のフェリシアは眠ってしまっているから、今日何をしていたのか、どうしたのかは全て、妻のキスティスの口から聞くことのほうが圧倒的に多い。
 キスティスは自分の分の紅茶を淹れ、そして微笑しながらアルスの前の椅子に座った。


「何でママはパパと結婚したの?だって。幼稚園にもなると、女の子はませてくるわね。」
「それで、何て答えた?」
「パパのことが大好きだったからよ、って言ったわ。」
「ふぅん。」


 キスティスはそう言いながら、ほんの少しだけ苦笑を零した。それをアルスは見逃さない。多分、フェリシアに反撃されたんだろう、そう予測して言葉を紡ぐ。


「アイツ、それで納得したか?」
「納得・・・っていうか。一拍後に、『そういうことにしておいてあげる』って言われた。ちょっと返しが微妙よね。」


 キスティスの返答に、アルスはやっぱりな、と眉を上げた。自分たちの娘は、外側は比較的キスティスに似ていると思うが、中身がこれ以上ないくらい父親似だった。頭はいいが、その分皮肉屋でキツイ。そんなところ似なくていいのに、何でだよと常々アルスは思う。
 パスタをフォークに絡ませながら、アルスは溜息をついた。


「やっぱりな。アイツ、どこまでも俺に似て可愛げがない。どうせ女の子なんだから、お前に似れば良かったのに。」
「あら、貴方似で賢いじゃない。」
「アレは賢いとは言わない。小賢しいって言うんだ。」


 苦虫を噛み潰したかのように言いながらパスタを食べる夫を見ながら、キスティスは苦笑した。全くいつまでも、どこまでも自分を認めない人だ、と思う。アルスは頭が良くて、裏表がなくて、痛いほど誠実だと思うのに。確かに少し性格は捻くれてて、素直でなくて、意地悪な笑いが似合う人だとも思うけど、それ以上にたくさん素晴らしいところも持っている人なのに。
 キスティスの微苦笑に気がついたらしい。アルスは不機嫌そうにじろり、とキスティスを見た。


「何だよ?」
「相変わらずだなあって思って。フェリシアも賢くて可愛いし、貴方だって頭がよくて誠実だわ。」


 コロコロ、と笑いながらそう言うキスティスに、アルスはさらに眉を顰める。そして憎まれ口のようにさらに言い募る。


「自分の要望だけに誠実、かもな。確かに。」
「そうじゃないわ。そういうところもあるけど、貴方も確かに優しいわ。だから、好きよ。」
「お前、それは惚れた欲目ってやつだ。」
「まあ、そういうことにしておいてあげてもいいけど。・・・・・・しかたのないひと。」


 ぶすり、としながらパスタを食べているアルスに、キスティスは囁くようにそう言う。キスティスはよくアルスのことを、「しかたのないひと」だと言う。それを言われると、どうにもこうにも、自分がすっかり丸裸にされて何もかもを曝け出されているように感じて、アルスは非常に居心地が悪い。自分の全てが見透かされているなんて、自分の本音を隠しておきたい自分からしたら、まるで拷問だ。
 しかし。
 彼女が言う、「しかたのないひと」。その言葉だけは、気に食わないものは完膚なきまでに否定するアルスにすら、徹底的に否定することが出来ない。
 何故なら、その言葉を言うときのキスティスの顔は。瞳は。雰囲気は。まるで、自分をくるみ包んで癒す聖女のように慈愛に満ちていて。そのままでいいと、どんなに歪んでいて、どんなに捻くれていたとしても、そのままの自分で良いと確かに受け入れてもらえていることを実感させてくれるようなそれで。そんなものを前にして、一体何が出来ると言うのだろう。
 おそらく。非常に不本意ではあるのだが、それを否定する言葉を紡ぐことなんて、きっといつまでも出来そうにないだろう。
 ただかろうじて、まるで悪あがきのように、憮然とした表情を作って見せることくらいしか。それしか出来ない。口惜しいことに。


「フェリシアの、『そういうことにしておいてあげる』って、それ、お前の口癖がうつったんじゃないのか?」
「あら、やだ。そうね。そうかもしれないわ。」


 アルスがそう指摘すると、キスティスは口に手を当てた。その仕草は、端麗豪華といわんばかりの外見とはあまりにそぐわない、まるで幼女のようなそれだった。どれほど年を重ねても、いつまでも純真な心を見失っていない。如実にそのことを表すその仕草に、アルスは目を細めた。


 フェリシアの言いたいことは分かる。どうせ、「ママがパパを好きになったから」じゃなくて、「パパがママを好きになったから、あの手この手でママを篭絡して離れないようにさせてる」だけなんでしょ?とか思ってるに決まってる。それはあながち間違ってはいない。


 ーーーーー間違ってはいないが、真実でもない。
 何故なら、今、まるで子どものように笑うキスティスの姿は、きっと他の誰も見たことがない。彼女はいつだって凛と美しく毅然と振舞っている。そうであろうとしている。自分の思うまま、拗ねたり甘えたりなんてまずしないし、出来ない。それが出来るのは、アルスの前だけだった。
 だから、つまり。つまりはそういうことなのだ。


 しかし、勿論フェリシアにそのことを教えてやる気なんてない。勿体無い。これは、言うなれば2人だけの秘密だ。いかに娘であろうとも、秘密を共有する気はない。いつかフェリシアにそのことを尋ねられても、絶対に否定も肯定もしない。それはアルスの心の中では確定事項だ。


「しかし未来なんて、ホント分からないもんだよな。まさかに俺が、結婚して子どもまでいるとは想定すらしてなかった。」


 嘆息するかのようにそう呟くアルスに、キスティスも頷いた。


「私もよ。私なんて、恋人すら出来ないかもとか思ってたんだから。」
「それは卑屈すぎ。」
「そうかしら?」


 アルスの否定に納得していないらしいキスティスは、少しだけ口を尖らして、それからゆっくり紅茶を飲んだ。全くしかたのないやつ。アルスは心の中で苦笑した。キスティスはいつだって自分の魅力を全く信じていない。そんなことあるわけないのに。これほど優秀で、美しくて、素直で真面目な人間なんてそうはいない。自分からしたら、彼女についてはおよそ美点しか思いつかないくらいなのに、彼女自身がそれに気がついていない。誰よりも出来る人間の癖に、キスティスはいつもどこか頼りなく、不安定だ。
 しかし、そこが彼女のいい所であり、自分が惹かれる所だったりするわけで。


 アルスはキスティスの返事にこれ以上突っ込むことはせず、パスタを黙々と食べ続けた。そんなアルスを見ながら、キスティスは紅茶を飲みつつ柔らかな笑みを湛えた。



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