| 早く、たどり着きたい。 それだけを願い、まるで羽が生えたかのように大股に俺は歩く。 巨人の足跡、それを感じさせるかのように一歩一歩。 ***Giant Steps 「いらっしゃいませ。」 カラン、とした音が鳴り、ガラス戸が静かに開かれる。恭しく礼をするドアマンに、俺は軽い会釈だけしてさっさと中へ入った。まだまだトラビアは寒い。春の訪れを予感するような季節、それに確かに入っているはずなのに、吹き付ける風はきりきりと肌を刺すばかりだった。しかしさすがに店内は良く暖められていた。柔らかく温まった空気を感じて、寒さに縮こまっていた肩の力がふわりと抜ける。きっちりと首元を覆っていたマフラーや身を守っていた外套を外して、俺は店員に勧められるままソファへと腰を下ろした。 「レオンハート様、ご注文のお品、出来ておりますよ。」 「見せてくれ。」 「はい、只今。」 店員がお茶を差し出しながらそう俺に呼びかけた。俺はそれに言葉少なに頷き、そしてお茶を飲む。ハーブの香りのするお茶は実はあまり好みではなかったが、それでも全く手をつけないというのも気が引けて、一口だけ飲んでソファの前にあるコーヒーテーブルの上に置いた。 ふと目を向ければ暖炉があかあかと燃え盛っている。周りにおいてある調度品やらそのほかも、暖炉と白色灯の柔らかな明かりに包まれていた。冬に想像するしあわせな空間。暦の上では春なのに、確かに冬を感じさせる光景が広がっていることに、俺は少しだけおかしく感じた。 「お待たせいたしました。」 店員が恭しく、ひとつのトレイを持ってくる。中央には、繊細で豪奢な飾り付けをされた卵型の入れ物が載っている。薄いピンクの地に、柔らかな金色の鎖が巻きつきガーネットの小花が散らされている。かすがいにはエメラルド色のエナメルで作られた留め金。台座部分にもエメラルドのエナメルと宝石で彩られた文様で飾られている。かちり、と優しい音をたてて店員が入れ物を開けた。中を開くと、実は外殻の部分は半透明だったことが分かる。中から光を照らすと、まるくやわらかな壁の向こうに、外側の七宝と宝石が透けて見えた。 「いかがでしょう？レオンハート様のご注文どおりの仕上がりでしょうか？」 「ああ。問題ない。」 「それはよろしゅうございました。」 俺のそっけない返答にも、店員は動ずることなく静かに微笑んだ。そして、俺が取り出した包みを見て、おや、という顔をした。 「そちらは？」 「これをエッグの中に入れて、そして梱包して欲しいんだが。」 「お安い御用でございますよ。そちら、頂きます。」 店員はそう鷹揚に頷いて、そして俺が差し出した包みを開き始めた。中身は、色々な形をモチーフとしたチョコレート。ウサギやリス、小人や小さな花。それらを象ったチョコレートは、雪に閉ざされた長い冬を過ごすトラビア名物のものだ。こういう小さいお菓子は、彼女はきっと好きだろう。随分前にセルフィからトラビア土産と称して、この手の小さな菓子をもらったときも酷く喜んでいた。可愛くて、食べてしまうの勿体無い。そう言って夢見るように笑ったリノアの顔。それは今でも目の前に鮮やかに浮かび上がる。 小さな一つ一つのチョコレートを丁寧にエッグの中に入れながら、店員は穏やかに俺に話しかけてきた。 「レオンハート様はトラビアの出身ではいらっしゃらないんですね。お菓子を入れたエッグをプレゼントしようなんて、あまりトラビア男性は思いませんから。エッグは、今の季節贈られる方が多いですけれども、チョコレートをいれるという発想は初めてです。」 「普通はどういうのを入れるんだ？」 「そうですね、エッグは家族の写真とか、自分の写真を入れて贈ることが多いですよ。高価な品ですし、大事な方に贈られることがほとんどですから。でも、もともと小物入れですから、何を入れても問題はありません。ピアスなどをいれる方も多いですね。」 「彼女は、ピアスをしないので。」 「ああ、なるほど。お菓子を一緒にプレゼント、ということは、これを贈られる彼女は可愛らしいレディなんでしょうね。」 店員の言葉に、俺は返事をしなかった。ただ少しだけ肩を竦めただけだった。おそらく目の前の店員は、このエッグの受け取り主は小さな女の子だとか勘違いしていそうだ。そのことに気づきつつも、それを訂正しようとは微塵も思わなかった。ほとんど会うことも交流を持つこともないだろう店員と、自分のプライベートな話をするという慣習は俺にはなかった。必要最小限、それ以上の言葉を交わさないのは今も昔も変わらない。 ああ、それでも。 店員が言った、「可愛らしいレディ」という言葉。それは確かにリノアの一面を表しているな。そう思って少しだけほんのりと口元が緩んだ。本人は子どもっぽいかなあなどと気にしていたりするが、彼女を一言で言い表すとしたらやはり「可愛い」。その一言につきる。もちろん、リノアは可愛いだけではなく、力強くしっかりとした大人の女性の一面も持ち合わせているのだが、彼女を思って一番に思い浮かぶ言葉は、やっぱり「可愛い」なのだった。それは何年たっても変わってはいなかった。 しかしそう信じる心とは裏腹に、それを誰かと語って分かち合いたいとか、そういう欲望はさっぱり俺には存在していなかった。リノアのどういうところが可愛いとか、そういうことを他人に語る気は全くない。彼女の魅力、彼女の仕草、それらは俺だけが理解していれば良い。見知らぬ人間に世間話のように彼女のことを語る、そんなことはまだ俺には出来そうに無かった。客観的に誰かに語れるほど、そこまで彼女の存在に馴れてはいない。 いや、きっと。 きっと、ずっと馴れることはないのかもしれない。 初めて会ったときも。しばらく会えなかったときも。帰ればそこに彼女がいてくれる今ですら。その時々に目にするリノアの仕草、表情、言葉に驚かされることが多いのだから。 最後の一つをそっと詰め込み、そして店員はエッグの蓋を静かに閉めた。そして丁寧に箱へとしまい、ラッピングを施す。リボンの色は何色がよろしいですか？そう尋ねられて、俺は迷わず淡い薔薇色のリボンを指定した。リノアを指し示す色、それは柔らかな薔薇色だと俺は思う。普段彼女は澄んだ空色の服を好むことが多いが、それが冴え冴えとした冷たさをもたらすのではなく、寒色系なのにどこか温かに感じるのはきっと、彼女自身が柔らかな温かさを持って加えているからだ。それは例えて言うなら、やはり淡い薔薇色だと思う。滑らかな頬に浮かぶ色、指先に染まる色。春を人に、俺に教える、春に生まれたひと。 「お待たせいたしました。」 綺麗にラッピングされた箱を袋に仕舞うと、店員はそれを恭しく俺に差し出した。俺はさっさとコートを着込みマフラーをしっかりと巻きつけ、そしてその袋を受け取った。持っていた鞄の中に大事に仕舞いこむと、もう用はないと言わんばかりにさっと立ち上がる。店員はおかしそうに俺を見て、それからドアを開けた。 「外はまた吹雪いておりますから、お気をつけて。エッグが、彼女のお気に召しますよう。」 俺は軽い会釈だけ返して、外の世界へと踏み出した。店員の言うとおり、外は軽く吹雪いている。細かな雪はさらさらと風と共に舞い、傘をさしてもあまり意味はなかった。傘の隙間を抜けて、俺のコートに容赦なく吹き付ける。 一歩を踏み出すと、しゃくっと軽く雪が軋んだ。あまりに粉雪だから、きっとこの雪は積もらない。根雪の上を通り過ぎていくだけだろう。 俺は、ぐっとまた首を縮こまらせ、家路への道を急いだ。今回はトラビアガーデンの査察のために、トラビアに居を構えている。世界のあちこちを転々とする生活、それを始めていくばくかの年月が過ぎ去った。ひとところに落ち着かない、ということは新しい友人関係や、土地に根ざした自分の居場所をなかなか持てないということを意味している。それはきっと人と関わることが好きな彼女からしたら酷く寂しい生活だろう。それでも、リノアはガーデンやエスタに留まることを選ばずに俺と共に生活をすることを選んでくれている。人と薄い関わりしか持てない、そのことに対する寂しさはあるだろうが、それでも俺と世界を転々とする生活を選んだ。それが意味するところを俺は理解している。そしてそのリノアの選択が、俺の痛みや内省を和らげてくれるのだ、確かに。 俺は、外套のポケットから携帯電話を取り出した。かじかむ手で短縮番号を押す。何回かのコール音の後に、聞きたかった声がした。 「もしもし。俺だ。今トラビアシティの中にいるから、後１５分くらいしたら着く。」 『今も、外吹雪いているでしょ？わたし迎えに行こうか？どこかお店で待っててくれれば、わたし車で迎えに行くよ？』 「･･････それはやめてくれ。スリップして事故るのがオチだ。」 『ひどーい。そんなにスピード出さないですよぅ。』 「雪国の人間じゃないから、雪道の運転は危険だから駄目だ。俺だってこんな天候で運転なんかごめんなんだからな。雪道は慣れている人間でないと無理だ。」 『そう･･････？でもスコール、寒くない？大丈夫？』 「大丈夫だ。歩いていれば暖かい。 それより悪かったな、今日は休み取れなくて。」 『んーん、平気。お仕事はしょうがないもんね。それでも、残業なしで上がってきてくれたでしょ？それで十分。すっごく嬉しい。』 「･･････そうか。」 『うん。ご馳走用意したから、帰ったら一緒に食べようね。ケーキも焼いてみたよ。簡単なのだけど。』 ウキウキと楽しそうにそう言うリノアの言葉が無性におかしくて、俺は思わず噴出してしまった。電話口の向こうで、何よぅと拗ねた声がする。その声に、くすくす笑いを偲ばせながら俺は答えた。 「･･････今日はお前の誕生日じゃないか。自分で自分の誕生日のご馳走作るって何か変じゃないか？何かデリバリー頼む、とか言ってなかったか、今朝？」 『そうなんだけど。でもやっぱりせっかくだから色々作りたいなあとか思って･･････変？』 「ちょっとな。いつも色々忙しいんだから、こういうときくらいサボっても罰は当たらないと思うぞ。」 『楽しかったからいいの！そりゃあ、出来栄えとかはやっぱりプロには負けると思うけど、でも味は悪くないと思うんだ。楽しみにしてて。』 「ああ。俺も、リノアの作るご飯の方が好きだし。」 『･･････やだ。』 「何が。」 『今、何かすっごい殺し文句言われた気がする。』 「･･････そうか？本当のことを言ったまでだが･･････。」 『ありがと。喜んでくれるなら、わたしすっごく嬉しい。これからも頑張る。 えへ、すっごくいいプレゼント、もらっちゃったなあ。』 少し恥ずかしげに、頬を染めながら話しているだろうリノアの姿が思わず目に浮かんで。俺はまたひとつ静かな笑みを零した。笑みとともに漏れた吐息で、白い靄が立ち上る。ちょっとした息ですらあっという間に凍り付いてしまいそうなほど、外は寒い。きっと今日も気温は氷点下だ。だけど、心や身体は不思議と温かかった。彼女の言葉が、確かに俺に春を告げている。一人で歩む雪道は体の芯まで凍えさせるけれど、リノアと何でもない話をしながら歩く道は何てほんわりと暖かいのだろう。 「帰ったら、風呂入りたいな。粉雪が纏わりついてるから。」 『わかった。じゃあ今からお風呂沸かしておくね。』 「サンキュ。じゃあ、後で。」 『うん、待ってる。気をつけてね。』 俺は携帯を切って端末を外套のポケットに放り込み、またしゃくしゃくと音を立てながら歩き始めた。街の中心部を抜けて、外縁部へと差し掛かった。家もまばらになり、歩いている人影も見当たらなくなる。俺たちの自宅はまだここからさらに先。人里外れた、という形容がぴったりなほどの街のはずれにあった。 足元を見ると辺りはまっさらな雪面だった。誰も通りがかる者はいなかったのだろう。美しいほど、冴え冴えと広がる真白き光景に俺は目を細めて。 それから。一歩、またもう一歩と。先ほどよりずっと大股で歩き始めた。 この雪面を越えていったら、そこに。暖かな光と空気と、そしてそれを纏っているリノアが待っている。 今は寒さに凍え、誰も通らない道を１人歩く俺だけれど。後、１５分。それだけ経ったら、この１人閉ざされた世界から、リノアの待つ暖かな世界へと迎え入れられるだろう。 鞄の中にある、先ほど購入したエッグを思い浮かべた。リノアはきっと、こういうものが好きだと思って、随分前から作らせていたものだ。何が欲しい？そんなことを聞いても、彼女からは「うーん、今はそんなに欲しいものはないなあ。スコールがくれるなら何でも嬉しいよ？」という曖昧な答えしか帰ってこなかったから、自分なりに考えて決めた贈り物。どういったものなら喜んでくれるだろう、どういうものなら笑ってくれるだろう。それを一生懸命考えて、やっと思いついた品物だった。 昔だったらきっと、さっぱりわからなくて途方にくれていたと思う。でも今は、何となく、ではあるけれども彼女が好むだろう物が分かる。どういうものが好きで、どういうものがそれほど興味ないのか、それを感覚で知っている。それは、俺と彼女が一緒に過ごし、語り、互いを理解しようと努めた時間のもたらしたものだ。 君と何でもないことでも話をして。 君と、色々なものを見て。日々を過ごして。 そうやっていって積み上がってきた、俺たちの時間。 きっと明日から始まるリノアの新しい１年も、ずっとそうやって過ごしていくんだろう。そして、来年のこの日には、また新しい、違うものを贈ろう。そう俺は思うだろう。 ふと目を閉じれば思い浮かぶ、幸せな予想図。俺は口の端にほんのりと笑みを浮かべた。 外は寒く、人気もない道中で笑みを浮かべている俺は、酷く滑稽な存在だ。しかし、みっともないとは思わない。舞う粉雪に包まれながらも寒さをあまり感じずに、暢気に笑い顔まで出来るのはきっと。きっと俺の心が春に包まれているからだ。 しゃくしゃく、と大股に、少しだけ早足に俺は歩く。 後１５分、そんなに後ではなくて、早く家に辿りつきたい。迎えてくれる彼女の笑顔が見たい。プレゼントを渡して、どんな表情を浮かべるのだろう。俺が思い描いているものと同じだろうか。それを確かめたい。 俺は足取りも軽く、家路を歩み続ける。俺の後ろに残される俺の足跡は、きっとまるで羽根の生えた七里靴をはいた巨人のもののようだろう。大きくスライドをとった軽い足跡は、つけた後から降り積もる雪に消えていくけれども、俺の心を表す確かなもの。 一歩一歩、踏み出すごとに。 俺は君に、近づく。 もうじきに、全てを閉ざす冬の世界から、柔らかく開かれた春の世界へ飛び込むだろう。そのときを待ちわびて、ただひたすらに俺は足を動かすだけだ。 後ろは振り返らない。欲しいものは、通ってきた道程にはない。これから向かう先、そこに欲しいものがある。それを知っているから。 振り返らない、通り過ぎた道に残されるのはただ、浮かれた男が残した巨人の足跡。 end. ******************* 続きのお話あります。 薔薇色のタマゴ ←コチラをクリック |