「・・・・・・?」











向こうの方で、なにか人が騒いでる。
わたしは今ちょっと暇だったのもあって、そっちの方へ行ってみた。
 











「・・・・・・・ほんとにね、あなたプロなんだから、こういうことは困るのよ。す
るな、とは言わないけど、仕事には支障をきたさないで。」
「・・・・・・・・・・はい。」










なんだか、新人の子が怒られているみたい。
怒っているのは、うちの事務所の所長。所長って、仕事に厳しいからなあ。
新人の子は、すみませんでしたと言って帰ってしまった。
 










「所長。あのこ、どうかしたの?」
「ああ、ジュリア?聞いてたの。」
「聞こえたの。」










所長は眉間にシワを寄せて、ふ−っとため息をついた。
せっかくの美人がだいなし。










「あの子、今日はイブニングドレスの撮りが入ってたのに、あろうことか、体中に
いっぱい跡つけてきたのよ!!エロ本の撮りじゃないんだから、使える訳ないでしょ
う。」
「跡って?なんか喧嘩でもしたのかなあ。」










わたしがそう言って首をかしげると、所長はもっと大きなため息をついた。










「ジュ−リア。そのわざとぼけるの止めてくれない?」
「?」











わたし、ぼけてたんじゃなくて、ホントにわからなかったんだけどな。
そんなわたしの様子に気付いたらしく、所長は困った顔をして、わたしに耳打ちをし
た。










「あれよ、キスマ−ク。」
「キスマ−ク?」
「ブランド広告なのに、そんなのの写真なんか撮れないじゃない。まったくもう、や
んなっちゃうわよ。」











***







 



所長と軽く世間話して、自分の控え室の方へ行こうとしたら、例の新人の子がいた。










「ジュリアさん・・・・・・、所長怒ってましたか?」










そう聞かれて。
まあ、怒ってたのは本当なので。










「うん、そうだね。次からは気をつけたほうがいいよ?」
「でも〜。ジュリアさんも新婚さんだから、わかるでしょう?」
「?」
「なんか、ああいうのを付けられるっていうの、自分がすっごく愛されてるって気が
していいんですよ〜。なんか、彼のものになった気がするっていうか!!」











真っ赤になって、嬉しそうに語る彼女を見てて。
わたし、少し羨ましかった。
 










だって、わたしはそんなことされたことないから。











***











 
「ただいま、ジュリア。」
「おかえりなさい。フュ−。」
 










フュ−が帰ってきたときにいつもする、ふにゃっとした笑顔がわたしは大好き。
たぶんわたしもそんな顔をしているんじゃないかな。
「ただいま」も、「おかえり」も、家族にしか使えない言葉だから。
それを使うのが嬉しくってしょうがないの。
今まで1人で暮らしてたから、余計に。
 










一緒に暮らしてわかったけど。
フュ−はホントに不器用だ。
あんなに何でも出来そうな人なのにね。
わたしも働いているから、彼がヒマな時は色々やってくれようとしているみたいなん
だけど。
でも結局できなくって、途方にくれてる彼。
そんな姿がすっごく可愛い。こんなこと言ったら、怒られるかもしれないけど。
 










でも、不思議。
あんなに不器用なひとなのに、なんでわたしの体を触るときは器用なんだろう?











***










 
いつもみたいに愛されたあと、わたしは少しやってみたいことがあった。
いつもくったりとすぐに眠ってしまうわたしが寝ないので、フュ−は少し首をかしげ
た。










「ジュリア、寝ないのか?」
「うん。わたし、ちょっとやってみたいことがあって。」
「何」











ちょっと体はだるいんだけど、でもえいやっと起き上がって、フュ−の首に手を回し
て抱きついた。










「ジュリア?」










えっと、どこがいいかな。
新婚さんとはいえ、見えるとこはダメだよね。
そう思って、わたしはフュ−の胸にちゅっと口付けた。











キスマ−クっていうくらいだから、キスすればつくのかと思ったんだけど。
でも、これじゃあつかないみたい。
だから、今度はもうちょっと強くちゅうっと吸ってみた。
でもやっぱりつかない。
 










何度も何度も試してみたんだけど、やっぱりだめで。
そしたら、上のほうから、フュ−の声がした。
 










「ジュリア、一体何してるんだ?」
「・・・・・・ん〜。」
「別に吸ったって何も出ないぞ?」
「そうじゃなくて!!」
 










本当は黙ってこっそりやろうとしたのになあ。
わたしの思惑ははずれっぱなし。











「あのね、跡つけようと思ったの。」
「・・・・・・なんでいきなり。」











不思議そうな顔して、フュ−がわたしのことを見つめるから。
だから、わたしは少し恥ずかしかったんだけど、今日の出来事を話した。










「わたし、一度もそんなことされたことないから、だからねちょっと羨ましかった
の。」
「なんで。」
「だって、愛してるっていうシルシなんでしょう?だから、わたしもやってみようっ
て思ったの。」











「ジュリア、俺に跡つけられたかった?」










フュ−が意地悪そうににやっと笑う。
 










昔はこんな風に笑わなかったのに。
なんだか、すっごく悔しい。











「別に、違うもん!!」
「〜もん、とか言う時はジュリアは図星だったりするんだよな〜。」
「違うったら!!」
 










フュ−は暴れるわたしをシーツごとくるんでぎゅっと抱きしめてくれた。
そっと顔を上げると、いつもの穏やかな笑顔。











「・・・・・・ジュリアの仕事の支障になるからな。しなかったんだ。」
「・・・・・・そうだね。」
 










わたしは背中や胸が開いたイブニングを着る機会が多い。
プロとしては、そんな跡が残っていてはダメだと思う。
でもね。
でも、それが愛の証拠だっていうんなら、わたしはして欲しいの。
あなたに愛されていないって思っている訳でも、自信がない訳でもないのよ?
ただ、わたし、欲張りなの。
昨日より今日、今日より明日、もっとあなたに愛されたい。
愛されているという証拠があるなら、わたしは全部欲しい。
 










「それに、そんなの必要ないだろ。」
「・・・・・どういうこと?」
「だって、そんなのなくたって俺のこと全部知ってるのはジュリアだけだし。ジュリ
アのこと全部知ってるのも、俺だけだし。そういうのが、愛の証拠ってやつなんじゃ
ないのか?」
「わたしがこんなに甘ったれだっていうのも?」
「俺がこんなにしつこくって、執着心が強いっていうのも。」






 



そう言って、二人で目を合わせて笑う。
 










「俺、ホントに一生1人で暮らしていこうって思ってたんだぞ、ジュリアに会うまで
は。」
「そうなの?フュ−人気あるのに。」
「ないよ。人付き合いも上手くないしな。一緒にいる女性が気の毒だと思ってたくら
いなんだから。」










そう言って少し笑ってから、フュ−は真剣な顔をしてわたしを見た。
 










「たとえ嫌がられても、ジュリアの側にはずっといたい。そんな気持ちになったのは
初めてだから。だから、較べる必要なんてないんだ。ジュリア以外に欲しいひとはい
ないんだから。」
 










そう言った後、フュ−は真っ赤になって、頭をぐしゃっとした。










「あ〜。本当は言いたくなかったんだけど。俺ってちょっとしつこいから。」
「ううん・・・・・・。」
 










わたしは、フュ−にぎゅっと抱きついた。なんだか泣いてしまいそうだったから。










「わたし、すっごく嬉しい。わたしもね、同じだよ。」
「だから、証拠なんていらないだろ?同じ気持ちを共有してるんだから。」
「そうだね。証拠なんていらないくらい、フュ−が好きよ。」
「ああ。」
 










あなたの優しいキスが好き。
わたし最初の頃、激しいキスに慣れてなくって噎せたりしてた。
それに気付いたフュ−が、それからは優しいキスをしてくれるようになった。
優しいキスから、だんだんとゆっくり情熱的なものになる。
そのころには、わたし頭がくらくらしてなんだかよくわからなくなってるんだけど。
 










「・・・・・・・んっ・・・・・。」










フュ−の手がわたしの輪郭をたどるように撫でる。










「・・・・・・・やだ・・・・・、明日・・・も、はやい・・・・んでしょっ・・・
・・」
「別に早くないし。それになんか誘われたし。」
「さそ・・・・・ってな・・・・んか、ないも・・・・・っ。」
「やっぱり図星だな。」
 










***










 
次の日。
例の新人の子は来てたけど、でも仕事はさせてもらえなかった。
なんだか、ブランドイメージが「清純」だったらしくて、それじゃあ無理かなってわ
たしでも思う。
でも、うちの事務所が受けた仕事だし、穴を開ける訳にもいかなかったので、急遽わ
たしがやることになった。











わたし、モデルじゃあないんだけどなあ。とても綺麗に服を着こなせるとは思えない
んだけど。
でも、クライアントはかえって喜んでたし。所長には結婚のときとか色々お世話に
なったし。
そんな訳でやることになった。
 










着るドレスはピンクとか、淡い紫とか、ペ−ルブル−とかのソワレだった。
これにキスマ−クなんてついてたら、確かにすっごくやらしいかも。
わたしはその新人の子と較べて、少し背が低かったので、ちょっと仕立て直しをして
もらった。











「わたし既婚なんだけど、大丈夫なのかなあ?」










わたしのサイズの採寸をしていたクライアント側のスタッフに、そう聞いてみた。










「大丈夫ですよ、ジュリアさん!とても結婚してるとは思えないくらい初々しいし。
ジュリアさん、こういう色の服も似合いますし。」
「そう?ありがとう。嬉しい。」
「しかし、ジュリアさんすっごく綺麗な体してますねえ。しみひとつないっていうか
・・・・。新婚さんとはホントに思えないくらい。」
「ふふ、前の子のおろされた理由があれだったからでしょう?」










一緒に見ていた所長が笑いながら言う。










「ジュリアはね、プロ意識がしっかりしてる子だからね。一度も仕事に穴をあけたこ
となんてないわよ。」
「でも、それって大変ですよねえ。やっぱり跡をつけたがる男の人って多いし。ジュ
リアさんほど綺麗な方をお嫁さんにしているんだったら、自分のものっていう印が欲
しくなったりしちゃわないんでしょうかね?」











衣装の女の子たちがそんなことを言ってるのを聞いて、わたし、少し笑ってしまっ
た。










「あ、ジュリアさん何笑ってるんですか〜!!」
「ううん、なんでもない。」
「ジュリアさんの旦那さんて見たこと無いですね。名前だけしか知らない。」
「どんな人なんですか?」











口々に言う女の子たち。
わたしはにっこり笑った。










「すっごく素敵なひとよ。」
「それじゃあわかんないですよ〜!!」
「わかんなくていいの。」











あのひとの素敵なところはいっぱいあるけど。
でも、教えない。これはわたしの宝物だから。
所長を見ると、所長もにやっと笑ってウィンクした。
 










わたしたちのシルシは人から見えないところにある。
それでいいの。
みんなにカンタンにわかるシルシなんてつまらないじゃない?


 

 







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